エッセイ◆想像力を持つということ◆
人には見えていることよりも、見えていないことの方が多いような気がしている。
だから、想像力を持つことは大切だと思うのだ。
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見えないことって自分では、なかなか気がつかない。
気がついても、敢えて見えないふりをしたり、無意識に切り捨ててしまうことだってある。
その方がラクだし、怖くないから。
だけど、見えないことを切り捨てていくのに慣れてしまうのは、もっと怖いことじゃないだろうか?
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想像力を持つってことは、相手を思い遣る気持ちを持つってことだと思っている。
そうすると、想像力を無くすということは、相手の見えていることだけしか見ない、その奥にある気持ちを汲み取らない、ということになるのではないだろうか。
そうだと、何だかあまりにも殺伐としているように感じてしまう。
気持ちの裏の裏まで常に読むべきだなんて言いたいわけじゃない。
だけど、ほんの少しだけ、相手の心を察する、想像してみる気持ちくらいは持っていたいと思うのだ。
そして、それは結局、自分に返ってくることでもあるんじゃなかろうかと思う。
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わたしは想像力を持たない人が苦手だ。
そんなことを言っている自分はどうなんだ? と言われて、胸を張れるほどの想像力はないかもしれない。
でも、想像力を失いたくはないと思っている。
想像力を失っても気づかなかったり、平気な人間には、なりたくないのだ。
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キッパリと割り切りたくないのかもしれない。
失敗もしてきたし、今もしているだろうし、傷ついた分と同じくらいに、人を傷つけてもきたと思うけれど、それに対して平気ではいたくない。せめて。
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自分に自信を持つことは大切なことだと思う。自分を大切にできないと、なかなか人にまで優しくなんてできないから。
だけど、自分に対する自信、そこに迷いの一欠片も持たない人は怖い。
少なくとも、わたしにとっては怖い。
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わたしは、いつも迷っていて、それは過剰な自信の無さや優柔不断とも繋がっている。
オドオドとしている自分に嫌気がさすことも多い。
だけど、この迷って考えるということだけは、苦しいけど手離したくない気がするのだ。
勿論あくまでも、わたしの考え方で、これが正しい全てだなんて言うつもりはないけれど。
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ただ、傷ついた時も傷つけた時も、せめてそこで一度、立ち止まって考えたい。
それだけは忘れたくない。
こんな、ちっぽけな間違いだらけの存在だけど。
そんな存在だからこそ。
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そう思わずにはいられない。
「いつかこんな冬の終わりに─心象風景の欠片たち─」つきの より
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