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22/自分が死んでもいいと思える理由
第3章 デカダンス
<3,380文字>
【記事のポイント】ちょっとぶっそうなタイトルですし、全体主義の圧力は絶対に避けなければなりませんが、一方で種の存続にかける自己犠牲には、ある種の崇高さが宿ります。思考の陰と陽の両方を捉えておくことが大切ですね。
1. 種の絶滅と個人の死
この章では、デカダンスという概念の考察とあわせて、20世紀に入るところから、第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦にいたるまでの時代を見ていきます。
「種の絶滅」という言葉には、独特の響きがあります。
単体としての活動の停止ではなく、生命連鎖の全体が終わることの重みは圧倒的です。
オキナワオオコウモリ、オガサワラアブラコウモリ、エゾオオカミ、ニホンオオカミ…。
具体的な名称をあげると、その重圧はさらに実体感をともない、取り返しのつかないことが起きてしまったのだという嘆きが胸に広がります。
デカダンスという感覚は、そうした絶望感に似ています。
それは「過ぎた時間は取り戻すことができない」というモダン意識から起こる、もうひとつの危機的な時間意識なのです。
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2,951字
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1975年には、時間意識の大きな断層があります。
そのことをテレビマンガをテーマにひもときます。
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