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秋の夜長の一冊( アンリ・ボスコ「シルヴィウス」 天沢退二郎 訳 新森書房 )

アンリ・ボスコ(1888~1976 )。フランス生まれ、ヨーロッパ各地やモロッコで教員として長年働いた人。

前回記事にした『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』の中に名前が出てきたので初めて読んでみた作家です。

”一九四三年六月十二日
  たくさんのフランス人作家が我が出版社と契約する。うちの目録がこれほど充実したことはかつてない――ベルナノス、常に誠実なジオノ、ボスコ。


「シルヴィウス」は、1948年発行の小説で、(60才の語り部が生まれる少し前の話なので、1880年代の)南仏の架空の町、「ポンティヤルグ」が舞台となっている。

 ポンティヤルグという《裕福な大きい村》では、メグルミューという一家が《村の人口千六百のうち(中略)二百人をこえている》。《住人はみんな穏やかな気質》で《メグルミュー家を敬愛》し、《メグルミュー家の人々も、住民のこの好意には十分に酬いているのである。》

そんなわけで、メグルミュー家の者は決してこの故郷を棄てることがない。息子を寄宿学校へ、娘を修道院に出したりはする。ところが、息子も娘たちも、勉学の終る日がくると、生家へ舞い戻ってくる。

「シルヴィウス」は、その一家の一人。

そう、シルビウス伯父さん、メグルミュー家では『気のふれたシルヴィウス』と呼ばれてた。この一族には、気がふれた人物といったらかれだけだからね。なにしろ、良識というのがわれわれのトレードマークなのさ”

物語はこの「メグルミュー」一家の中で起き、終息する。

《百の心、ひとりのメグルミュー。百人のメグルミュー、ひとつの心》
感動するのもみんな一緒。不幸であれ幸運であれ、それがメグルミュー家のひとりに降りかかるとき、百人の顔が驚愕したり、ほころんだりする。
娘たちはかならず早婚である。こんなに心優しい一族にあっては、そうでなければならない。《優しい心は、とても待てない》と、メグルミュー家の格言にもある。
ポルティヤルグの人々はこう語る――メグルミューの知恵は、分別、善意そして美徳。
  そして、実際に、メグルミュー家の人々は賢いのだ。かれらの呼吸は誠実そのもの。義務を果たすのも楽しみながら。かれらの話はとても感じがいい。こうした長所はゆるぎなく、良識のしるしがきちんとついている。

さて、主人公のシルヴィウス(60)だが、決して厄介者という訳ではない。では、何をしたか?

彼は、ポンティヤルグを離れ、旅に出たのだった。

町で、行きつけの食料品店が提供する豆類は、かれには信用できなかった。「自分で直に買い付けに行かねば」とかれは言った。そこで、一頭の馬と、小型の二輪馬車を買い込み、そうしてある朝、ひとりで、行きあたりばったりに、田野をよこぎって出かけていったのだ。
夏も冬も、執念が心をつき動かすと、シルヴィウスは夜明けにポンティヤルグをあとにして、夜まで帰らなかった。そしてだんだんと、いよいよ遠くへ放徨の足をのばすようになっていった。
かれは愛されていたのである。みんながかれを好きだった。どんながさつな、、、、百姓でも、《シルヴィウスっつぁん》は土のこともわかるし、分別もたっぷりある人だと言い言いした。
 なるほど、かれは良き助言者だった。食料補給の件を別にすれば、シルヴィウスくらい健康な頭脳、情深い心の持ち主はなく、これ以上良き伯父さん、世話好きな従兄弟はいなかった。

シルヴィウスは、冬が好きだった。

一月には、豆はほんとうにしっかり乾燥しているのさ。こうでなきゃいけないっていう品物が手に入る。冬は人を裏切らない」

《北風が吹いて、荒々しい寒さの年……》彼は出かけて行った。《雪野に散在する小作農家をめざして。》そして、《それまでかれも一度たりと馬車を乗り入れたことがなかった》、《広大なエーブの曠野へ入り込んで行った。》

すっかり心奪われて、シルヴィウスはすでに虚空の中を旅していた。そしてこの限りなくつづくように見える風景の中へ幻の馬車もろとも消え失せたかもしれないーーもし、とある小さな丘のかげに、黒々とした塊が見えて来なかったならば。(中略)シルヴィウスは、その前に立ちどまったとき、それは死体だとわかった。一頭の馬。横ざまに崩折れて、硬くなって横たわっていた。かわいそうな獣、栗毛で、すっかりやせて、骨張っている。胸廓の下に前足がぽっきりと折れて、鼻孔は雪すれすれにひらき、雪は風に圧されて馬の体のへりにもりあがり、そのやせた背に白い粉を被せていた。

その後たどり着いた一件の家で、

「今夜は、へんねぇ、おおぜい人が通ること、それもたてつづけに」
(略)
「さぁ……五人か、六人でしたね。子どもと、大人と、女の人もいたし、老人もいた。貧相な馬が引っぱって……」
(略)
「その馬は、もう死んでいます」とシルヴィウスは言った。

シルヴィウスはその人たちを手助けするために後を追い、一緒に、別の町での生活が始まる。

このエピソードが、この物語の、シルヴィウス(メグルミュー一家)の転換点になります。

当然、

メグルミューの中でも最も有名なひとりが、メグルミューの慣習しきたりにそむく行為をしたということで、ポンティヤルグの人々はみな気分をわるくした。かれらは、メグルミューの慣習のうちに、自分らの慣習の真髄。見て賛嘆することによろこびを感じ!住民全体の誇りとみなしているからだ……

 

ポンティヤルグを離れることがないグルミュー一家の人たちも、シルヴィウスの居場所が分かると、迎えに向かうことに決めます。
 その先でも、もちろん、争いはなく、互いの思い遣りと信条のなか物語は進み、宿命的に静かに終わります。


この小説を読んで、まず思い返したのは「故郷を捨てる」ということでした。

別の土地に移り住むということは、結局、生まれ育った場所に満足していないということです。自分を育ててくれ、仲間として接してくれた人達の場所を。

それが、人間の本能なのか、個人的エゴなのか、その中間の何か、なのか、は、まだ私には分かりません。

あと、極めて深い愛を共有している(という設定の)一家の人間関係を描いたこの小説は、「詩」に近いもののように思えました。





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