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生命のアヴァリティア

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世の中や社会で起こっていること。あるいは極々身近な範囲や関係性の中で起こっていること。ワークデザイナーとして、生命体としての人の可能性に向き合ってきた筆者が、様々な出来事を根源的…
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記事一覧

Epicross.12 とは言っても世の中は“万能”を求める

「多様性の時代」とか「短所ではなくて長所に目を向ける」とか言われる。 何か正解があって、そこで定義される「正解」を目指して努力するのではなく、1人1人の「個性」とか「可能性」に目を向けていくべきだと。 組織運営とか人材育成でもそうするべきだと。 世の中の流れもそうなってるし、これからの複雑性の時代を生きていくためにはそうなのだ。 とは言っても潜在的に求められるのは“万能”と呼ばれる人材であり、汎用性のあるスペシャリストなのだ。 ここに多様性の社会の人材育成の難しさを

Epicross.11 クライシス

先日、緊急事態宣言が出された。 いよいよ名実ともに「危機」となった。 危機に直面すると、人はいとも簡単に化けの皮が剥がされる。 普段纏っているベールを剥がされ、その人の「本性」が現れる。 こういうとき人は意識するしないにかかわらず、無力にも素の自分を出してしまう。 ただ、それは全然悪いことではなくて、そうなったからこそ見えてくるものがある。 緊急事態宣言が出されて3日、そんなことを考えたくなった。 ベールがなくなった世界SNSやインターネット上では様々な反応がな

Epicross.10 安全性をどう考えるか

新型コロナウィルスの話題が出てから、今日まで様々な対策・対応が取られてきている。 未知のウィルスに対して、手探り状態での対応が続いているが、個人にも社会にも与えた影響は大きい。 また、マスク不足でゴムが品薄になるなど、影響が思いもよらぬところにまで派生して、この世界がシステムの連鎖によって動いていることを、図らずも実感させられる事態になった。 安全性についても、様々な影響や指摘が出ている。 いかに普段のリスクマネジメントに穴が多いか。否、普段のリスクマネジメントとして

Epicross.Extra 再開

みなさんご無沙汰しておりました。 年度末やら新型コロナの影響やらで約1ヶ月半更新が止まっておりましたが、今週(4月)から徐々に再開していきたいと思います。 再開にあたりトップ画像を統一することにしました。 画像を選ぶ時間的ロスを減らし、できるだけ投稿の精度を上げたいと思っています。 引き続き『生命のアヴァリティア』をよろしくお願いいたします。

Epicross9. つながりは財産と言われるが

価値観の変動が言われる。 経済的価値観をベースにした資本主義経済から次の価値観へ。 様々な価値観の定義はあれ、価値観が変化していることは事実なのだろう。 多様性とかダイバーシティとかまさに、価値観が変わる → 価値観が増えるということを如実に表している。 価値観が変わる時代の真っ只中にいる。 これを機会に「価値観」というものを見直してみたい。 つながりという価値観への違和感 例えば、貨幣価値以外の価値観として人とのつながりが挙げられている。 お金ではないところで

Epicross8. サポートの視点

能力開発の視点で見たときに、支援とかサポートにはいろいろある。 組織や団体とかで言えば、運営方法や会計事務、広報の仕方等、営利非営利を問わず様々な団体や組織から様々な講座や相談会が開催されている。 講座によって人気があったりなかったり。 初心者から上級者まで、各段階において支援がなされているわけだが、その支援は本当にためになっているのだろうか。 支援に効果がないと言いたいのではない。 支援がニーズを満たしているのかどうかである。 では、受ける側の支援のニーズにはど

Epicross7. 本当の孤立を知っているか

孤立化が社会課題になっている。 いわゆる社会的孤立。 生活困窮者、障がい者、高齢者、若年者、独居生活者、マイノリティ....etc 社会的弱者と言われる方たちの支援や課題解決を考えたときに、当事者が孤立していくことが、課題を助長させ、適切な支援に結びついていかないと言われる。 では、孤立化を防ぐための支援はなされていないのか。 答えはノーだ。 孤立化を防ぐ支援はなされているし、そもそも社会的弱者のための支援は、孤立化を防ぐことも含まれている。 ではなぜ孤立化はな

Epicross6. 全体性の時代

社会が変化してきているとか、世の中の価値観が変わってきているとか言われ始めたのはもうずいぶん昔の話になるが、ごく最近になってその変化が顕在化してきたように思う。 それは漠然とした社会という広い範囲の話だけではなくて、仕事や生活、身近ないろんな分野や場面において「今までと同じでは成り立たない」ということが現れ始めている。 時代の変化の発端を垣間見ているようである。 音もなくしかし確実に、社会の水面下で起こっている変化。 徐々にうねりのように起こり、静かに定着化している変

Epicross5. 集団の浄化作用

集団には集団の浄化作用がある。 人間という生き物は「社会性」というものを発展させて、自然界の中の生存競争に打ち勝ってきた。 集団の中にいるということは、自分の安心安全が担保されているということであり、集団に属することで自分自身の安心安全を守ってきた。 それが人間の欲求になっているのは、マズロー欲求階層説(第2段階、第3段階)の中で言っている通りである。 それに伴って自集団がどうであるかということ、自分たちの集団の安心安全を維持することはほぼ無意識に注意が払われている。

Epicross4. 自分自身と向き合うということ

自分自身と向き合うときがある。 それは何か壁にぶち当たったときかもしれないし、何か外的なキッカケで生まれたタイミングかもしれない。 内省、内観、自分探し、自己理解...etc いろんな言葉で表現される「自分自身と向き合う」ということ。 自分と向き合ったその先に、自分を識る瞬間があるということ。 自分を識ったその先に人は何を見るのか。 そんなことを考えてみたい。 自分自身に出合う旅自分自身と向き合うということは、途方もない旅である。 自分自身と向き合った結果出合

Epicross3. 人の想いを汲むということ

人は想いを汲んでもらいたい生き物である。 さらに、人の想いも汲みたい生き物である。 ただ、人は人の想いを汲めない生き物であり 人の想いを汲めると思っている生き物である。 人の想いを汲むということ。 本当にこれができたとしたら、どれだけ人間関係が円滑になるだろう。 どれだけ普段の生活が幸せなものになるだろう。 人の想いを汲むということ。 それは幻想なのかもしれない。 あるいはもしかしたら希望なのかもしれない。 関係性が希薄と言われているこの世の中の中で、この「想

Epicross2. 解釈という名の未来予測

「印象でものを語るな」と言われる。 それは印象というものは事実ではなく、その人がしている解釈だからだと。 アドラー心理学でもNVC(非暴力コミュニケーション)でも、事実と解釈の分離をすることが、円滑なコミュニケーションや正確な捉え方をするにあたって必要とされる。 実際に印象や解釈をベースにしたコミュニケーションによって起こっている問題は多い。 非対面コミュニケーションの限界 チャットベースのコミュニケーションツールやSNS投稿において、炎上や議論の紛糾など後が絶たない

Epicross1. ノイズを拡張させるということ

物事には必ず本質がある。 その本質を認識しているかどうかが、できあがりの質や納得度、そしてその後の一貫性や整合性に関わってくる。なので、大小に関わらずプロダクトやプロジェクトなど何かを創造するときには、そのものの本質の理解が大切になってくる。 実際にできているできていないは別にして、ここまでは理解されている方は多いと思う。 では、どうやってその「本質」と言われるものを見つけていくのか。 本質に辿り着くために 本質を見つけるためには余計なものを削ぎ落とすことが必要である