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Epicross2. 解釈という名の未来予測

「印象でものを語るな」と言われる。

それは印象というものは事実ではなく、その人がしている解釈だからだと。

アドラー心理学でもNVC(非暴力コミュニケーション)でも、事実と解釈の分離をすることが、円滑なコミュニケーションや正確な捉え方をするにあたって必要とされる。

実際に印象や解釈をベースにしたコミュニケーションによって起こっている問題は多い。

非対面コミュニケーションの限界

チャットベースのコミュニケーションツールやSNS投稿において、炎上や議論の紛糾など後が絶たない。

ちょっとした著名人や反響が大きいとあっという間にニュース沙汰になる。

文章の本意はどうであるかはさておき、これも解釈が解釈を呼びエスカレートしていった事態であると言える。

なぜここまで頻発しているにも関わらず、この類の問題がなくならないかと言えば、1つにツールとしての特徴がある。

チャットにしてもSNSにしても、基本的には短い文章を伝達することを前提としたコミュニケーションツールである。

事実の羅列や一方的な意志表示をするのにはもってこいのツールである。

長文を投稿することもできるが、ツールとしての性質上長い文章はなかなかに適さない。

まずもって読んでもらえない可能性は高いし、全文読んでもらえたところで果たして本意を理解できるかどうかは怪しい。

文章ですべてを伝えることはそもそも不可能なのだ。

解釈の必然性

加えてタイムラグが発生する。

書き込んだ時間と投稿を読む時間は必ずしも一致しない。

読むタイミングも状況も読み手に一任されている。

そんなコミュニケーションでは、正確性よりもスピード感が重視される。

いちいち背景や意図を確認をするには時間がかかってやってられない。

確認したところで、返答までのタイムラグと文章の正確性を考えると先が見えない。

行動に移すことを考えると、文章に書ききれない書き手の状況は想像するしかないのだ。

行間の間を読んだり、背景を想像したりする能力がコミュニケーションには求められる。

毎回のコミュニケーションで、すべてを説明できるとは限らない。

つまり、解釈ができるということは、コミュニケーションを円滑に進める能力の1つなのだ。

人はなぜ解釈をするのか

解釈が問題だということであれば、解釈をしなければ善い。

しかしながら、人は進化と成長の過程で、その能力を捨てなかった。

解釈するということは、意味・意志・意図を与えるということ。

意味・意志・意図を与えるということは、未来を予測するということ。

人は現在のできごとに意味・意志・意図を与えて、未来を予測してきた。

未来を予測するために、人は解釈をしている。

それは、人は察するということで無用な争いを避けてきたからであり、解釈を知るということで次の行動の判断材料にしてきたからである。

そして未来予測ができるという能力は人間を守ってきた。

「葦である」とパスカルが言ったように、人間は自然界の中では非常に弱い生き物である。

他の動物と生身で対面したらまず勝てない。成す術なくやられるしかない。

そんな生き物が自然界で無事に生きていくためには、危機や危険と回避することである。勝てない動物とは遭遇しないことである。

未来予測は自然界のパワーバランスの中では弱い人間が、生き残り続けるために得た危機回避能力なのだ。

解釈その先に

解釈によって人間は、コミュニケーションを円滑にしてきた。

未来予測によって、人類は自身の生存を守ってきた。

その危機回避能力を使って現在も人間はあらゆる判断している。

危機回避には、自分の希望であり実現したい未来の姿が反映されている。

解釈を通して見えるものは、自分自身が描いている希望の一端だ。

解釈によって生まれる未来もそんなに悪くない。


和△1金◻︎3◻︎3D30/4w5/INTP/秘密兵器。ワークデザイナー。高校時代に出会った料理人の影響で料理の道へ。「素材を活かす」料理の考え方は人材にも通ずると信じ、その人が持ち味を“思い出す”自己変容を描くセッションや研修を実施中。