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Epicross.11 クライシス

先日、緊急事態宣言が出された。

いよいよ名実ともに「危機」となった。

危機に直面すると、人はいとも簡単に化けの皮が剥がされる。

普段纏っているベールを剥がされ、その人の「本性」が現れる。

こういうとき人は意識するしないにかかわらず、無力にも素の自分を出してしまう。

ただ、それは全然悪いことではなくて、そうなったからこそ見えてくるものがある。

緊急事態宣言が出されて3日、そんなことを考えたくなった。

ベールがなくなった世界

SNSやインターネット上では様々な反応がなされている。

今、社会全体の発信の頻度は上がっているんじゃないだろうかと思う。

この事態の影響か、実にいろんな内容が目に付く。

批判、応援、情報提供、扇動、不安、要望...etc

様々な意図や思惑が、世の中に向けて発信されているが、その内容自体の正否を論じることはさほど重要ではない。

それはいずれ分かることであるし、時間の経過とともに変わることでもある。

それよりも今注目すべきは、なぜそのような発信をするに至ったかという点である。

今回の事態を受けて、発信の頻度が増えているとすると、人々が何らかのカタチで今回の事態に反応しているということである。

目に見える反応が起こっているということは、それを起こした人の内面で何かが起こった、あるいは何かが変わったということである。

今注目すべきはまさにそこなのだ。

この事態に突き動かされたものが自身の内面にあること。

発信や反応の裏側にある、本当の変化はそこなのだ。

今回の事態で、何か変わったことがあったとするならば、内面に何か刺さるものがあったということだ。

ベールの下にあったもの

建前というか、普段の取り繕っているベールの下にあったもの。

いろんな投稿を見ていて感じることは、人の「本性」には2つあるということだ。

この未曾有の事態に晒されて、その2つの本性が明瞭になって現れている。

1つは「弱さ」である。

見通しの立たない状況で、人々の「弱さ」や弱さに端を発するアウトプットが増えている。

人々が普段隠していた、見ないようにしていた「弱さ」を浮き彫りにしたような気がしている。

当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなったとき、人間はこうも脆いことを目の当たりにした。

不安や不満、それらはすべて自身の弱い部分が現れたことによって起こった反応である。

そして多くの反応は原因を自分の外に求める。

過度な情報提供や批判、ムーブメントなども弱さが顕在化したことに対する防衛反応である。

社会問題になったトイレットペーパーの買い占めやマスク転売などは、まさに「弱さ」に起因する反応の極みと言っていいだろう。

普段どれだけ守られた環境の中で生活していたか、ということを思い知らされた出来事だった。

一方、もう1つの本性である「可能性」も見えた。

普段は起こりもしなかった対応やサービスが、次々に生まれている。

普段通りの状況ならば無償の提供を実施しただろうか。店舗以外での提供の機会を模索しただろうか。オンラインの活用を考えただろうか。

考えもしなかった事態に直面したことで、逆に考えもしなかったサービスや商品が生まれている。

それが今回見えたもう1つの本性「可能性」である。

だからこそできることを

「弱さ」と「可能性」

人であれ、組織であれ今回図らずも2つの本性を突きつけられたわけだが、もしかしたら、これを機会に人間はより本質的なものとつながったのかもしれない。

外出を控えたり、在宅勤務をしたり、その過程の中で、実は普段なければならないと思っていたものが、さほど重要ではなかったり。

あるいは当たり前のように感じていたものが、生活や人生にとって、とても重要だということに近づいたり。

本質に至る気づきが生まれている。

「ピンチはチャンス」と安易に言う気はないし、事態は依然として危機的状況である。

しかしながら、それを嘆いていても事態は終息しないこともまた真なりである。

今が危機だとするならば、今だからできることにしっかり向き合う先に、危機から脱した未来があるのではないかと思う。


和△1金◻︎3◻︎3D30/4w5/INTP/秘密兵器。ワークデザイナー。高校時代に出会った料理人の影響で料理の道へ。「素材を活かす」料理の考え方は人材にも通ずると信じ、その人が持ち味を“思い出す”自己変容を描くセッションや研修を実施中。