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一足早いクリスマスプレゼント

知り合いのライター(兼ディレクター)さんから、こんな写真を頂きました。(※使用許諾済みです)


こちらの2枚の写真は、「アオモリジョイン」のサイト運営者である、かんからさんが撮影なさったもの。
※私もよく知っているローカルネタを豊富に扱っていることもあり、時々サイトを訪問して楽しませていただいております(笑)。

かんからさんは以前から「ご当地記事」で共に盛り上がるライター仲間のお一人と私は認識していますが、先日三戸さんのへ大神宮へ参拝されたとのことで、撮影してきてくださいました。
お付き合いもそこそこあるので、私が「南部地方」に住んでいたのも、ご存知なのです。
本当に、有り難い!

ところで、お気づきになりましたでしょうか。
墓碑には、「会津藩殉難者無縁塚」の文字が。
そう、ここは戊辰戦争で破れて斗南となみの地に辿り着いた、会津藩の人々が眠る墓所の一つです。

私も斗南地方には中学校3年間住んでおり、三戸町も馴染みのある場所でした。
ですが、当時中学生だった私は「斗南藩」の存在は知っていたものの、まさか地元が会津とつながりがあるとは思わなかったのです。当然、墓地を訪れることもありませんでした。

今思えば、結構「歴史的遺産」の眠る地域に住んでいたのに、なんて勿体ないことを!と今となっては、歯噛みするばかりですが(^_^;)

そして、三戸町の公式HPを拝見して感動したのが、会津藩は「賊軍」とされたにも関わらず、南部の人々は会津の人々を温かく受け入れ、力尽きた人々の御霊を今でも慰め続けて下さっているのです。
白虎隊の顕彰碑ができたのも、実は会津の飯盛山よりも三戸の方が先だったとのこと。
さらに、会津藩で敗戦の責任を取って「切腹」を命じられた「萱野かやの権兵衛ごんべえ」のお墓も、三戸にあるそうです。
戊辰戦争では、南部藩も「朝敵」とされましたから、何か通じるものがあったのかもしれません。


かつて、「白熊杯」でこんな短歌を詠みました。

「えんぶり」の文字のつなぐや斗南となみの地
たまさかなるか多生たしょうえにし

歌の意味としては、白熊杯の解説を御覧いただければ幸いですが、人の縁というのは、つくづく不思議なものだと感動せずには、いられません。

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