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「霞ノ国ヒストリア感想文」

放送よりもかなり前から、今村様より「福島中央テレビで二本松少年隊特集の放送がある」と伺っていた、ワタクシ。
「直違の紋に誓って」の作者としては、これを見ないわけにはいきません。今村様から、「剛介のパネルも紹介される」と聞かされていましね。

繰り返し登場した剛介のパネル

放送を視聴してかなり驚いたのが、予想よりも遥かに多く「剛介のパネル」が使われていたことでしょうか。
広報にほんまつなどで紹介されたことはあったものの、ここまで大々的に取り上げられたのは今回が初めてのハズです。4、5回出てきたはずで、ちょっとした感動モノでした。
→最後の二本松少年隊士の生き残りにも関わらず、歴史書などでは、剛介はほとんど紹介されていないのです。

ちなみに武谷剛介出陣像のモデルを務めたのは、私が交流させていただいている今村様のお父様です。

昭和4年生まれの方ですが、11歳のときに映画の宣伝も兼ねて撮影などに協力されたそうで、「いつか二本松少年隊の話を書きたい」と仰っていたとのこと。
御本人は国語の教師を勤められていて、地元の新聞に「畠山一族(丹羽氏入植前の二本松地方の豪族)」の小説を連載されていたキャリアも持っていらっしゃった方です。
「霞ノ国ヒストリア」が放送された4/22日は、お父上の命日だったとのことで、素敵なご供養となったのではないでしょうか。

また、番組最後の方で現二本松市長である三保恵一氏のインタビューの背後で映り込んでいた脇差しは、剛介が身につけていた脇差しです。
本来は今村家の物なのですが、にほんまつ城報館で展示されています。私も、前身の二本松資料館に展示されていたときに、実物を拝見しました。
これも、作中で父である半左衛門から贈られたものとして、武谷家に伝えられる伝承と共に使っていますので、懐かしく感じました。

「武谷剛介の実像」については、過去の記事からどうぞ!

見覚えのあるエピソードが続々


二本松市の全面的な協力の元に作られた番組ということもあり、今回は見覚えのあるエピソードも次々と登場していました。
やはり地元からの視点というのは大切で、今まであまり語られることのなかった

• 二本松藩が、会津を説得する役割も担っていた
• 二本松藩の子どもたちは敬学館で武士道の何たるかを学んだ
• 白河での100日余りの攻防戦
• 7/28日(落城前日)の猶予の1日についての、議論の場面→これについては、諸説あります

などが、紹介されていました。

中でも私が感動したのが、戦死した成田才次郎(14歳)が、長州藩士白井小次郎に斬りかかっていったときのエピソードです。
これは、私も城下戦の場面で使いましたし割と「少年隊悲話の一つ」として有名なのですが、その後については、扱われることが少ないのです。

成田才次郎の父は、息子を討たれたにも関わらず、白井小次郎の小次郎の暮参りを欠かさなかったと伝えられています。それも、自分の息子の墓よりも先に、白井の墓へ参っていたとのこと。
当時の二本松藩の「武士道」を伝えるエピソードとして、私はこの話もぜひ後世に伝えてほしいと感じていました。

拙作においては、剛介が大人になってから西南戦争で野津大佐(戊辰戦争当時は、野津七次)との邂逅を果たしています。その場面の中で、野津が二本松藩士への尊敬の念を伝えるエピソードとして、使いました。
名前は出しませんでしたが、あの話は成田才次郎のお父上のエピソードに基づくものです。

他にも、拙作でも使った

• 上崎鉄蔵の「行って来いではないでしょう。『行け』というだけでいいんです」のエピソード
• 岡山篤次郎の、お母さんに「持ち物全てに名前を書いてくれるように頼んだ」というエピソード
• 17歳で戦死した小澤幾弥のエピソード

など、やはり「少年隊悲話」として現在に伝えられているエピソードが、いくつも出てきました。
これらのエピソードが「ショートドラマ」として再現されていたこともあり、その後の展開が分かっていても、涙なしでは見られませんでした。


二本松は美しい国

順番は前後しますが、番組のオープニングは、桜が咲き誇る霞ヶ城のロングからスタートしました。
私は習慣からつい「霞ヶ城」の名前で呼ぶことが多いのですが、その名は、「春になると城内に咲く桜が、まるで霞のようだ」と讃えられたことから、霞ヶ城と呼ばれるようになったと言われています。
春の霞ヶ城を上空からドローンで撮影された映像は、本当に「美しい」の一言。

そして、奇遇ですが、番組の最後は「二本松の提燈祭り」の映像で締められていました。

番組内では、「当時の武士の子供たちも楽しんだかもしれない」と伝えられていました。私も、スピンオフ(父の背中)では、剛介が最後に「今度は息子(会津に残してきた長男の貞信)を秋の提燈祭りに連れて行ってやろう」と決意したところで締めて終わっています。
ここも私が感動した点で、やはり二本松の方々にとって「故郷の映像」として忘れられない行事なのでしょう。

拙作では、戊辰戦争当時、薩軍の将として二本松にやって来た野津大佐に、「二本松は美しい国だ」と語らせました。

二本松藩が美しいのは、風景だけではありません。そこに暮らす人々の心もまた、美しい土地なのです。
今回の番組は、何よりもその「心の美しさ」までしっかり伝えてくれたことに、感動しました。

惜しむらくは、これが全国放送でなかったこと。
全国放送でもいいレベルの番組だったと感じましたし、にほんまつ城報館でも「期間限定」でなく、常設展示として流してもいいのではないでしょうか(笑)。

最後に、板垣退助の「二本松藩絶賛」の言葉を紹介して、〆たいと思います。

一藩こぞって身命をなげうち斃れてのちむまで戦い抜き武士道の精髄を尽くしたのは二本松をもって最上とする

※二本松の歴史については、こちらが詳しいです!

今回、「霞ノ国ヒストリア」で取り上げた場所については、過去の記事からどうぞ!

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