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【直違の紋に誓って】第三章 若木萌ゆ~野津大佐(2)

 剛介は黙って野津の話を聞きいていたが、称賛なのかそれともただの悪趣味なのか、判別がつきかねた。ただの自慢話にしては、あまりにも真実味がありすぎる。
「それは、当然でありましょう」
 思わず、野津の雰囲気につられて返事をしてしまった。剛介にとっては、二人の勇士とやらの行動はごく常識的だった。恐らく、今の自分でも同じように斬り込むのではないか。それにしても、野津に一刀を浴びせたのは、誰だろう。
「やはりな」
 野津が、愉快そうに微笑んだ。
「薩摩では、違うのですか」
「違うな」
 一転して、野津の顔には苦々しさが浮かぶ。「違うからこそ、今のような有様になっている」
「どのようなことでしょうか」
「薩摩の者同士が、お互いに殺し合わねばならぬということだ」
 野津が薩摩の出身であるのは、剛介も聞き知っていた。だが、薩摩の御国事情までは興味がなかっただけだ。
 
 あの戊辰の戦は、新しい国を生むという大言壮語から始まった。多くの者に夢について来させるには、御旗を掲げるのが手っ取り早い。そこで孝明帝のご薨去を奇貨として、幼帝を奉り、徳川を討つという名目で東下した。それが、俺等だった。
 夢を語るのが上手いのだよ、あの者らは。
 儂ら薩摩の者は、関ケ原以来、徳川に虐げられてきた。島津の殿もそう仰っしゃられ、だからこそ、首魁たる徳川を討たねばならぬと思っていた。実際のところは、島津の殿のためというよりも、徳川に対する私怨じゃな。そこで止めておけば良かったのだよ。

 剛介は、思わず野津の話に聞き入った。薩摩の者が自虐するのを聞くのは、初めてである。正に、あの頃東国の者が言っていた通りではないか。

 だから、儂は東下があまり愉快ではなかった。会津が孝明帝の信任が篤かったのは、薩摩の者も知っておった。蛤御門では共に戦ったのだからな。嘆願書を受け取り、大名の座から下ろすだけで良かったのだ。それを、誰が使嗾したか、会津はどうやっても潰さねばならぬと言い出した。
 かつての仇敵であった長州の手前、嘆願書などを受け取っては引っ込みがつかないというのもあっただろう。むしろ、世良などはどうでも良い。ただ、会津を始めとして奥州の者にしてみれば、長州も薩摩も土佐も、大した違いはなかろうな。
 儂らは白河を落とし、二本松へ進んだ。正直に言おう。二本松も、勤王の者が多かった三春と同じように、簡単に我らに降るだろうとたかを括っておった。かの地には勤王の者がいたのも、嚮導の者を通じて掴んでいたしな。多くの藩兵は、あのとき、国元へ戻れずにいた。落とすのは訳ないはずだった。
 だが大きな誤算は、多くの者の、公に対する忠義心だった。
 二本松の奥方は大垣藩の出であったから、大垣を通じて降参してくるだろうと踏んでいたのだよ。それが、どうだ。丹羽の血は守りながらも、自分等は最後まで戦い、武士の誇りを見せつけた。その忠義心を、どうして貶めることができようか。
 仮に立場が入れ替わっていたのならば、薩摩は早々に降っていただろうな。

(どうだろう)
 野津の独白には、悪い気はしない。だが、そこまで称賛されてもなお、簡単に「はい、そうですか」とは受け入れ難い。どこか、空々しく聞こえる。称賛されたところで、多くの者が生き返るわけではないのだ。だが、剛介の気持ちにはお構いなしに、野津は独白を続けた。

儂は、あの二勇士の為に、一月あまりも二本松に止め置かれた。あまりにも傷が深すぎて、終いには東京へ戻された。だから、会津には行っておらぬ。だが一月もおれば、多少なりとも二本松での話は聞こえてくるし、情も湧く。
 刀を握った子供の骸も、幾つも見かけた話も聞いた。それでも二本松の者は、敵味方の区別なく多くの者を埋葬したという。我が子を斃されながらも、その墓よりも先ず、敵であった長州の墓参りをする者もいたそうだ。「遠すぎて、身内の者は墓参りに来れないだろう」と申してな。
 また、ある者は、安積艮斎先生に縁のある社で、あの日も勤行に務める禰宜を見かけたそうじゃ。武士だけではない。領民の多くが一丸となって、公の為に命を賭し、二本松の誇りを見せつけた。二本松は、間違いなく美しい国だ。
 それに引き換え、儂らはどうじゃ。結局は、一部の者の夢に乗せられ、身内での争いを招いた。義侠を装いながら、私憤から生じた夢のために、多くの者を巻き添えにした。儂は、それが情けない。

そこまで言うと、野津は顔を歪めた。
 だが、と剛介は思う。
 幾らかつての仇敵から称賛されたところで、失われたものは戻って来ない。
「あのとき、貴官は幾つだった」
「十四でした」
「そうか。では、その歳からすると、お主も儂らと戦ったのだな」
 野津の口元に、再び笑みが戻ってきた。やはり、ただの自慢話にかこつけた、悪趣味なのだろうか。相手は雲上人ではあるが、次第に腹が立ってきた。
「嬲っておられるのですか」
 剛介は、気色ばんだ。
「とんでもない。素直に受け取らんか」
「二本松の者が聞いて、良い気分になる話ではありませぬ」
 それが、剛介の偽らざる本音である。その言葉で、さすがに野津も剛介の心中に気付いたのか、しばし視線を落とした。
「貴官は、なぜこの地に来た」
 野津は、唐突に話を変えた。
「戊辰の怨みを、晴らすためか」
 正直に答えるべきか。
「どうでしょう」
 剛介は、曖昧に答えた。先程の赤帽の嫉妬を、思い出したのである。野津も、再び真顔になった。
「儂は、川路の人の情を利用するやり方が気に入らぬ。会津の者を始めとする奥州の者の多くが、戊辰の仇を討とうと警視隊に応募したのは、知っておる。
 確かに、あの戦いで我らの中には蛮行を働き、それを手柄とした者も多かった。だが、その復讐を利用して、薩摩の私人の争いにさらに多くの者を巻き込もうなど、人の道に外れるにも程があろう。その心を嘲笑う者がいたとしても、川路は気にしないだろうな」
 そう言い切ると、野津は口元を真一文字に結んだ。
(野津大佐の不機嫌の理由は、これか)
 ようやく、剛介は納得した。
 川路が戊辰の戦いに参加していたかどうかは、剛介は知らない。年回りからすると参加していてもおかしくないのだが、何せ薩摩は大藩である。参加していない藩士がいたとしても、おかしくなかった。だが仮に、野津の言う通りだとすれば、野津が川路を厭うのも無理はないかもしれない。
 少なくとも、野津はかつての敵であっても、士道や人道に恥じない心は称賛できる人物なのであろう。彼が二本松に対してしたことは許しがたいが。 
「大佐は、今のやり方をどのように思っていらっしゃるのですか」
 野津が人の心を持ち合わせているのは理解できた。だが、結局は第二旅団の参謀を務めているではないか。矛盾だらけだ。
「そもそも、薩摩の問題は薩摩の手で処分すべきであった」
 新政府は、発足当初からさまざまな矛盾だらけであった。倒幕一つを巡っても、さまざまな思惑が複雑に絡み合い、多くの怨恨も生んだ。本来は徳川を倒すだけで良かったはずが、発端となった薩摩では、そのカリスマ性に魅了された西郷党で占められ、一種の独立国の様相を呈した
 奥州に対する仕置を巡っても、比較的温情派だった西郷と、徹底的に潰さなければ気が済まなかった長州の木戸。その狭間に立たされた大久保。
 それぞれの思惑の違い自体が、藩の枠組みを越えて士族の不満をさらに煽り、西郷暗殺計画の噂すら持ち上がった。それに義侠心を駆り立てられた私学校の生徒の暴発。そして抜群のカリスマ性を誇った西郷が奸賊とされたことにより、独立国薩摩は、かつての奥羽越列藩同盟のように、国造りにおける危険要素と見做されるに至った。
「強いて敵を作らねば、己の正当性を誇示できないということでしょうか」
 思わず、皮肉が口をついて出た。
「そうだ」
 野津は、剛介の言葉を否定しなかった。
「それが、戦の始まりの本質であろう」
 そうかもしれない。だから、奥羽越列藩同盟が立ち上がったのだ。結局は、破れたけれど。
「大佐?」
 あまりに長く二人っきりで語っているのに、不安を覚えたのだろう。一人の将校が顔を覗かせた。
「済まぬ。もう少しだけ待て」
 野津の話に聞き入ってしまったが、かなりの時間が経っていた。剛介も、そろそろ戻らないとまずい。
「失礼しました。これにて、お暇いたします」
 剛介は、一歩下がり、敬礼した。
「少し待て」
 野津は、胸元から小さな帳面を取り出すと、何やら書き付け、一枚の紙片を切り取った。
「これも天の巡り合わせであろう。取っておけ」
 剛介は、ありがたくその書付を押し戴いた。
 帰営後、周りに誰もいないのを確かめて見てみると、野津が作ったらしい歌が書き留められていた。

うつ人もうたるる人もあはれなり
共に御国の人と思へば

>「薩摩隼人(1)」に続く

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©k.maru027.2022

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