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歴史の沼にハマる

noteも今年で3年目になりますが、「レキジョ」として認識されるようになったのは、案外最近かもしれません。
とは言え、「新しくハマっている」というよりも、「再度足を踏み入れた」という方が近い感じがします。
そんなわけで、文字通り「底なし沼」にハマっているのは、ずばり「歴史」です。

歴史にハマる小学生

いつから歴史に興味を持ったのかは定かではありませんが、恐らくきっかけは、小学校3・4年生のときの担任の影響だと思います。
私の世代でも既に珍しかった「戦争を語れる世代」の先生で、とにかく怖かった^^;
計算したら、昭和9年生まれの先生でしたから、先生が受けてきた教育内容も、随分昔風の影響を受けていたのでしょう。
そのため、「歴史」についてもよく授業の中で語られており、私も随分と薫陶を受けた気がします。

同時に、世代的&環境的に高等教育を受けることが出来なかった私の父が、持っていた趣味の一つが、「歴史」でした。父の数少ない趣味の1つでしたが、冷ややかな視線を送る母を横目に、大河ドラマを見ていたり、歴史関係の本を愛読したりしていたのも、見過ごせません。
色々やらかしてくれた父ではありますが、唯一「共通の趣味」として、歴史について父娘で語り合っていたものです。
母はあまりいい顔をしていませんでしたが……。

そんなわけで、初めて小学校で「歴史」の授業を受けた頃には、学校の授業を待つまでもなく、「得意科目」となっていました。

学生時代は最大の得点源

当然、中学校でもその傾向は続きます。
今では多少違うかもしれませんが、私の頃は中1・2で地理・歴史、中3で公民を習うことになっていました。
地理や公民もそれなりに得意だったのですが(社会全般が割と得意)、歴史については、地区の模試でもよく歴史分野で満点を取っていたので、もはや「オタク」の領域に足を踏み入れていたとも言えます。

さらに高校では、1年の時は「地理」を強制されましたが、高2になって、志望校(国公立大)の関係から、理系クラスに放り込まれました。
理系クラスの生徒は、「世界史」「化学」「物理」の何れかから1科目選択することになっており、「国立文系」が第一志望だった私は、迷わず「世界史」を選択。
後に、このシステムは世間的にも大問題になったのですが、結果としては世界史を選択して良かったと感じます。

上記のWikiでも未履修問題について述べられていますが、私の高校はなぜか「世界史」ではなく「日本史」が、3年生の必修科目に指定されていました。
そのため、3年時は「日本史」と「世界史」を同時並行で学習するという、なかなかレアな体験をしています。
今でもそうですが、大学受験では世界史よりも「日本史」を選択する生徒の割合の方が多く、特に私の学校では、受験で「世界史」を使う人はごく少数派でした。
理系クラスならなおさらです。
学年全体で6クラスのうち2クラスが理系でしたが、私のクラスで3年生でも引き続き世界史を選んだのは、私だけでした^^;

まあ、数学が嫌いで「歴史」に逃げていたのもありますが(笑)、本職の?文系クラスの生徒を押さえて、世界史・日本史共にほぼ毎回満点近くを取っていたのですから、もはや歴史は、私にとって「ライフワーク」の領域に達していたと言っても、過言ではないでしょう。
ちなみに、なぜか毎回「ケアレスミス(誤字など)」で減点され、とうとう満点を取れなかったのは、ほろ苦い思い出……。💦

意外と大学受験では使う場面が少なかった

当然大学受験でも、最も得意だった「世界史」を中心に受験を乗り越えるつもりでした。
ところが、センター試験はともかく、二次試験で「世界史」を使った試しは1度しかありません。
それも、センター試験の数英の成績が悪すぎて落っこちた、群馬県の某大学のC日程(現在の中期日程)の試験のみ。
後は、前期日程もしくはA日程の小論文での勝負が多く、一度くらい、国公立の「二次試験」で「歴史」での勝負をかけてみたかったと思います。
ちなみに、家庭の経済状況の都合で「私大」はほぼ受けていません。

今更ですが、全国模試での私の世界史の偏差値は、最高で73くらいだったでしょうか。
受験勉強を通り越して、オタク道を極めた結果がこの数値でした(笑)。
「好きこそものの上手なれ」とは、よく言ったものです。

歴史好きの血が再燃

そんな私ですが、結局進んだのは憧れの「史学科」ではなく、地元の大学の「法律系学科」。
一般教養や般教ゼミで中国史を再度学び直したことはありましたが、専門科目との兼ね合いもあり、歴史からは次第に遠ざかっていきました。

ですが、長い月日が流れてnoteでアップする記事のために、ある方に「地元の良さ」をアピールする取材を申込み、その席でインタビュアーの方が「実二本松少年隊の子孫である」という話が出ました。
そこから、かつての「レキジョ」の血が再燃。
元々無類の歴史好きですから、「二本松少年隊の小説を書きたい」という欲求は、かなり早い時期から芽生えていたのです。

こちらは短編ですが、後に発表した「直違の紋に誓って」の習作となった作品でもありました。

そして昨年、初めて「歴史小説」を書き下ろしました。
ご子孫である「今村様」に、微細に渡りご相談に乗って頂き、誕生したのが「直違の紋に誓って」です。

紆余曲折があり悩みどころも多かった作品ですが、多くの方のご支援もあり、ライター業とは別に、「モノカキ」として胸を張って紹介できる作品となりました。
カクヨムでも同時発表していたのですが、そこからTwitterでも見知らぬ多くの方々に拡散して頂きました。
さらに、当人の知らないところでも取り上げて頂き、本当にこの作品は幸せ者だと感じます。

お陰で、現在の新作である「泪橋」がなかなかPRしにくいという、贅沢な悩みも抱えることになりましたが(苦笑)、このような小説を書かせていただいた今村(武谷)剛介さま・及び関係者の方々には、感謝するしかありません。

歴史から学ぶこと

ところで、なぜマイナーとされるジャンルにも関わらず、私はこれだけ長いこと「歴史の沼」にハマり続けていたのでしょう。
「好きなものは好き」で良いじゃないか、とも思うのですが、強いて言えば、人の営みは連綿と続くものであり、また、どこかである格言を意識しているからかもしれません。

その格言とは

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

誰が言い出したのか思い出せずにいましたが、かのドイツの宰相「ビスマルク」でした。

この格言の解釈は色々あると思いますが、私は、次のように解釈しています。

  • 個人ができる体験・経験などたかが知れている。それらに執着することは、己の視野を狭めることに他ならない。

  • 人は多様な生き様を持っているが、長い人類の歴史を紐解けば、どこかで類似の事象を見つけられる。それが自分や誰かの悩み解決のヒントになるかもしれない。

そんなわけで、別の顔である「文学好き」と「レキジョ」の血がミックスされた結果、「歴史小説」にもチャレンジするようになりました。
この分であれば、当面退屈しないで済みそうです。

※お題に「ハマった沼を語らせて」というのがあったので、久しぶりに「お題」にチャレンジしてみました。
公式お題を使うのは久しぶりでしたが、この手の「チャレンジ」も、悪くないですね(笑)。


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