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安達太良の空の下で

颯太そうた、いい加減に宿題しなさいよー」
「分かってるって」
母の美穂のイライラした声に対して、颯太はぞんざいな返事をした。

毎年課題として出される自由研究が、颯太は大嫌いだった。「自由」なんて名前がついているのに、提出が義務付けられるなんておかしいじゃないか。
そうは思うものの、やっぱり宿題と名がつくからにはやらなければならないだろう。しぶしぶ重い腰を上げて、戸袋を開けてみる。確か、どこかに使い残しの模造紙がしまってあったはずだ。

特有のむっとした匂いに辟易しながら、ガサゴソと手探りで模造紙を探していると、何か重みのある箱が手にぶつかった。
「アイタっ!」
小さいくせに、いやに重みがある箱だ。
「何だ、これ……」
気になって引っ張り出し、箱の蓋を開けてみてギョッとした。

一振りの短刀。それも日本刀である。

「あっ!アンタ。勝手に出して」

振り返ると、美穂が怖い顔で睨んでいた。どうやら、相当大切なものらしい。
「ゴメンナサイ」
母のあまりの迫力にたじろぎながらも、まずは頭を下げた。
「でも、何でこんなものがウチにあるの?」
美穂はほんの少し、怒気を和らげて教えてくれた。
「それ、お母さんのおじいちゃんの遺品だよ。戦のときも身につけていたみたい」
「戦?」
はて、太平洋戦争ではさすがに日本刀はないだろう。それとも、曽祖父は刀マニアだった?そんな疑問を素直にぶつけると、美穂は呆れたように「戊辰ぼしん戦争の時に決まっているでしょうが」と教えてくれた。

戊辰戦争?そんなの、分かるわけがないじゃないか。

だが福島では、会津の白虎隊の悲劇は子供の頃からよく耳にするし、数年前に大河ドラマでも会津が取り上げられていたくらいだから、戊辰戦争に思い入れのある人も多いかもしれない。
颯太はそう思い直した。

「ひいじいちゃんって、戊辰戦争に参加していたの?」
「何言っているの。二本松少年隊に加わっていたのよ」

そういえば、そんなことを言っていたっけ、と颯太は思い出した。もっとも、自分が今まで歴史に興味がなかったから聞き流していただけなのだけれど。

剛介ごうすけじいちゃんはね、二本松少年隊に14歳で加わったんだって。数えの14歳だから、実際には13歳。あ、今のアンタと同い年だね。
隊長の木村銃太郎じゅうたろうさんから、それはそれは可愛がってもらっていたそうよ。だから、彼から招集命令が伝えられたときは進んで参加したし、ほら、白河に大人のサムライ達が援軍に行ってしまって、二本松のお城や城下を守る人たちがいなくなったから招集がかかったわけでしょう?みんな、修学旅行に行くようにはしゃいでいたみたい。

颯太は混乱した。何で「修学旅行のような、はしゃぎっぷり」だったんだろう?

美穂も、その時の剛介の心情はわからない、と首を傾げた。

颯太は、想像を巡らせた。

自分と同い年で、戦地に赴いた曽祖父。もしかしたら、「明日死ぬかもしれない」というのがリアルな出来事として捉えられなかったのかもしれない。
自分のことをかわいがってくれる先輩に、「おい、明日強豪校の◯◯と試合をするぞ」と言われるような、そんなノリだったのではないだろうか。

7月の時点では、会津が朝敵扱いされていたことも既に伝わっていたはずだけれど、それはきっと「大人の世界」の出来事で、自分たちの身を危険に晒す、リアルな出来事として想像できなかったのでは?

それを美穂に伝えると、そうかもね、とうなずいた。でもね、と美穂の言葉は続く。

「ひいじいちゃんは、最期まで武士の子だったよ」

曽祖父の剛介は戦死することなく敵の手を逃れ、名字を変えたり身分を変えたりして薩長や新政府の追求をかわしながら、生き延びた。
その途中、敵兵からは「子ども」としてみなされたのだろう、食事を分け与えられたり、怪我の手当をしてもらったりするなど、助けてもらったこともあったのだそうだ。

なるほど。曽祖父が見た「薩長」は、一律に語られる「会津藩から見た薩長」とはまた少しニュアンスが違うらしい。

それでも、慕っていた木村銃太郎の死や仲間たちの無念は、ずっと胸に秘めていたはずだ。朝敵扱いされながらも、二本松藩士としての誇りを忘れずに何が何でも生き延びると決心したのだろう。
それはそれで、「武士のあり方」ではないだろうか。

さらに、美穂の言葉は続く。
「あのお城の子供たちの銅像の後ろで、お母さんが縫い物をしているでしょう?あれは、母親から見るとなんとも言えないわよね」

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写真を検索して、これ?と尋ねる。
そうそう、これよ。
これはね、我が子が戦地に赴く際の軍服を縫っているの。もちろん、丹羽にわのお殿様に忠義を誓っているし、武士の妻や母親として「行くな」という本音は言えなかったでしょうね。でも、喜んで我が子を戦場に送り出す母親なんて、いないと思うの。だから、この銅像を見るたびに本当にやるせない気持ちになるのよ。

「そうなんだ」

それしか、颯太には言えなかった。それ以上言えるわけがないではないか。

自分と同じ年で戦地に立った曽祖父が生き延びてくれたからこそ、今の自分がある。

さっきまで自由研究で頭を悩ませていた自分が、ひどくちっぽけな存在に思えた。

よし。今度二本松に行くときは、曽祖父のお墓参りだけでなくもう少し歩き回ってみようか。あの急峻な坂を登って。


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