子供のが幸せで自由だと言うのは幻想にすぎない

大人は不幸で子どもは幸せだ。大人は不自由で子供は自由だ。子どものが大人よりも優れた自由な発想をできる。
はっきり言っておく、これらはほとんど幻想にすぎない。
まず子どものが幸せだと言うのは幸せな子ども時代を生きたからに過ぎない、世の中には不幸な子ども時代を生きた人もいる。その人たちは口を揃えて言う大人のが幸せだと。
子どものが自由だと言うのもそうだ、幸運にもあなたの自由を認めてくれた大人が居たに過ぎない。世の親たちは皆そうではない。子どもの自由を認めない親も多い。
子どもの発想のが優れている、それはあるかも知れない。しかし所詮それはたまたま持っている子供の生まれついた発想に過ぎない。またそれを上手く表現して人々に芸術として理解してもらうにはやはり大人としての経験や知識が不可欠だ。
何かが優れてると言うにはそれを説得できる力も必要だし、自分を売り出す行動力も必要だ。
大人になる事は不幸で不自由で多くを失うと言う人は気が付いてないのだ。
「そもそもおまえは子ども時代から何も特別なもの持って産まれてないと言う事に」
むしろ大人になったからこそ多くを得る事ができたし、様々なものを享受できてるのに、それを理解できてない。
何故ならまだ己自身の頭の中の子どもがもっと自分は素晴らしい人間であると言う幻想を訴え続けるのだ。
受け入れろ!自分は凡庸な何もないただの人である事を。何もありはしないのだ。仮に何かあるとしてもそれは多くの人たちと上手くやって周りの様々な才能と協力して初めてあなたの才能は生かされるのだ。
自分1人で何か偉大な事を成し遂げる、そう言う時代も過去にはあった。しかし現代は1人で成し遂げるには何もかも複雑化しすぎている。あなたは何かの構成員になり維持するための歯車にならねばならないのだ。
それが嫌ならば社会のはじっこで大人しく生きる事だ。それでも人生はとても幸せなものだ。神は偉大な何も持っていない自分を産んでくれた。
それはただただ私が人生の生きる幸福を味わうためそしてそれを世に伝えるがために過ぎない。忘れてはいけない。

「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」

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