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美しい農家という幻想

私はかつて農協と言うものは日本の農家に必要なもので日本の農家を守るうえで大事な組織だと信じてきた。しかしそれは過った考えだったとだったと今は思っている。
今日本の米作りが危機に瀕している、しかし今の状況を作った戦犯の一つに農協と言う組織があると私は感じている。そもそも皆さんは農家と言うものが実にひたむきに農業に励み苦しい肉体労働に耐えつつ、手塩にかけるように大事に育てたお米を私たちに提供してくれていると牧歌的な幻想を信じてはいないだろうか?
これは私が年間を通し感じた、農家の友人の話を聞いた農家の生活と農協から直接お米を売買したことによる農協とそれに依存する農家の仕事への姿勢を書いていきたい。
まず言いたいのは現実の農家は非常に怠惰である、もちろん朝早く起きて作業をしたり苦しい肉体労働をすることもある。しかしそれは一時的な事でほとんどの期間を彼らは自由気ままに生きているのである。私が思うに稲作と言うのは手をかければいくらでも手をかけられるものであり、逆を言えば手を抜こうと思えばいくらでも手を抜けるものなのだ。
要するにその米農家の仕事に対する熱量は格差があり、さらに言えば彼らの仕事に対する姿勢は公務員的で保守的であり、特にほとんど農協に依存してる農家であるほどほとんどの事を農協に任せてよりおいしいお米を作ろうという努力や新しい販路を見つけようとか、様々な品種を試そうなどと言う研究心や米への愛情はあまりないように感じられる。
それはそうだろう、農家にしてみればとにかく米を作って農協に収めさえすればそれですべては済むのだ。もちろん農家は大変な仕事なのは理解できる、しかし別に農家だけが大変な仕事であるわけではない。むしろ農閑期などがある農家は休めないと言いつつ実は休んでる部分も多い。稲作においてさまざまな点に手を抜けば味が落ちるものができてもそれは農協がすべての米を混ぜ合わせて売ってしまうのだからそれに品質などどうでもいいと思っているように私は感じた。
また農協は仕事がとても雑で去年の米を今年の新米だと言って送ってきたり、今月の米を断ったにもかかわらず送ってきたり、その米の製造年月日も日付と付けられた新米マークのシールが符合してないので首をかしげるようなことが何度かあった。要するに農協の米はとても良い品質とは言えないのだ。
我々の見ている農家と言う美しい農業の姿は多くが幻想なのだ。私は今は信頼できる米作りに意欲的な農家と直接やりとりして米を買っているがやはりその品質は格段に違うし、本当に米を愛する農家の仕事ぶりは送られてくる今月の農家の様子を記した冊子にどれほどその農家がお米に手塩をかけているか感じさせてくれる。
無農薬など口で簡単に言うがそれをやることは本当に手塩をかけてやっていることなのである。このような農家と比して現実の多くの農家は稲をちゃんと見てすらいないのではないかと思う。何故なら猛暑による米が焼けてしまう問題は去年から起きていることだが多くの農家が今年も同じ失敗を繰り返し、猛暑のせいで米が焼けたと嘆いている。しかしこうなることは前年の結果を見れば自明の理であったはずだ。
私の購入している農家の冊子によれば今年の米の出来は至極順調だという、ちゃんと対策しているからだろう。このような農家の仕事に対する差がかくもあっても農協はどの米もほとんど同じように扱ってしまっていると思う。彼らにはどの農家がどのように作った米であるかなどどうでもいいからである。
彼らは自分の看板を背負って仕事をしていない、農協と言う看板で自分たちはプライドも何もなくただ毎年同じようにやっているに過ぎない。この実に公務員的で無気力で熱意のない人たちが作ったお米こそが私たちが普段食べているお米なのではあるまいか。
私たち消費者は主食である、お米について無頓着すぎるように思える。ただ何となく買って何となく消費している。確かに米の保存法が良くなったため昔に比べていつでも美味しいお米を食べられるようにはなった。しかし根本的な米そのものの品質に対して私たちは何も見ていないし、ただ無頓着にそれを消費している。
しかしそれこそが私たちの米の消費量を低下させ米離れを起こさせてる本質的な問題なのではないだろうか?そのように私は考えている。


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