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【すばる文学賞最終候補作】小説「誰の惑星」第1話(全3話)【冒頭無料公開有】

一、2010年宇宙の旅


 うーわ、夏って感じ。
 体育館裏手の小さな駐輪所には、あきらかに収まりきらない数の自転車がならんでいる。わたしの通学用カブはその奥のほう、自転車のバリケードに阻まれていた。

 なんではよ来たやつが不憫な思いせんといけんのじゃ。

 朝は八時二十分に予鈴が鳴る。その時点で校舎内にいなければ遅刻扱いにされるから、時間ぎりぎりにやってきた人は駐輪所の通路に自転車を乗り捨てて昇降口に走るのだ。
 そのあと自転車は、生活指導の松崎によって狭い駐輪スペースにむりやり押し込まれ、めぐりめぐって朝はやく登校したわたしを虐げる。なんだそれ、と文句を言うにはこの場合、文句を言われるべき相手が定まらない。だから泣き寝入り。今ここでわたしが困っているということだけでもだれかに、とどかないものだろうか?
 まわりの自転車を一台ずつどかして、ようやく奥から自分のカブを引っ張り出す。

「おう、見た目ヤンキーやないけ」

 ふり向くと、同じクラスの豊坂が立っていた。彼は真っ先にどかした黒い自転車に手をかけると、前カゴに大きなエナメルのバッグを押し込む。現れた。文句を言われるべき相手が。

「あんたのチャリかこら」

「あ? なんじゃあ急に」

「うちのんが取れんかったじゃろ」

「カブ子のカブけ?」

「うっさい」

 ど田舎の地元から市街地にあるこの高校に進学したのは迂闊だったかもしれない。学校から出れば歩いて五分でJRの駅があり、線路と平行にのびるセンター街にはカラオケボックスやらゲームセンターやらファストフード店やらがひしめいている。田んぼと畑ばかりの地元とはなにもかも違う。
 とはいえここは進学校、その特進クラスに合格できたのはやはりラッキーだった。中学の制服はブレザーだったし、セーラー服というのも一度着てみたかった。だけどまさか紺色だとは思わなくて、おかげで従兄から譲り受けたカブに跨ると、田舎の非行少女にしか見えない。カブがあざやかな紫色に塗装されていたのも想定外だった。同級生の男子から「カブ子」なんてあだ名をつけられても文句は言えない。

「女のくせに口悪いのう」

「県民性じゃろ」

「ほう、責任転嫁け」

「男のくせにやさしないのう」

「県民性じゃ」

 きのうの深夜のバラエティで、方言女子について特集が組まれていた。男が言ってほしい台詞を、各地方出身の女性タレントに言ってもらうという企画。そのなかにこの町の方言は含まれていなかった。

「べかたんじゃ、ほんまに」

 番組に出演していた九州出身のアイドルのことばを思いだして言ってみる。

「なんそれ」

「べつに」

 カブを押しながら体育館横の狭い通路を歩く。その後ろを、彼は自転車を蛇行させながらぴったりとつけてきている。

「おい、べかたんっちなんじゃ」

「うっさい。自分で調べぇ」

 彼は制服のポケットからケータイを取り出すと、片手でハンドルを支えながら器用に操作しはじめた。前に向けば松崎がこっちへ歩いてきている。

「先生ぇー、豊坂ケータイ持ってるー!」

 叫んでふり向くと、松崎に気づいた豊坂は唖然としてこっちを見ている。豊坂、お前ちょー来い! 前方で松崎が怒鳴る。いや、ちょー待ってくれや。
 松崎に捕まった豊坂を横目に校門をめざす。後ろから必死に弁解する声が聞こえて、思わず顔がゆるんだ。

「も・り・か・わぁー」

 校門を出てカブに跨る。ヘルメットのべルトを締めてふり返った。

「べかたん!」

 彼は松崎に連れられて校舎に消えてゆく。それを見送ってからエンジンをかけた。
 男っちあほじゃのう。



 高校を出て二十分ほど走らせると、ようやく地元の町に入る。直線距離だともっと近いはずなのに、山に阻まれているせいで迂回しないと家には帰れない。
 三方向を山に囲まれた木平(きだいら)町は人口も少なく、町というより山村、集落に近い。市街地からたった二十分でこうも景色が変わることにいつもおどろく。同じ区内なのにふしぎだ。ここには無数の市や区や町があって、それらすべてに別々の暮らしがある。どうやら世界は広いらしい。
 ようやく地元までもどってくると、路肩にカブを止めてバス停のソファに座った。バス停にはなぜかソファがあった。だれが置いたのかは、こんなに小さな町なのにわからなかった。
 背後に流れる川は浅くて細い。西日を反射して、光の玉がゆれていた。顔を上げ、向こうの空に目を遣って、とおくに浮かぶ別の世界を見た。

 赤茶色の惑星が、オレンジ色の空に浮かんでいる。

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