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『RRR』の群舞が素晴らしい!

2022年10月に日本公開されてから異例のロングラン上映が続いているインドのアクション映画大作『RRR』。アカデミー歌曲賞を受賞した『Naatu Naatu』に載せて、総勢100人近い(と見える)役者さんたちが踊る素晴らしい群舞シーンの振りつけを、秒単位で確認していきます。

『RRR』の予告編は、こちら:


1.主人公のホームで盛り上がるのが群舞


 映画でも演劇でも、群舞は、主人公と気持ちと志を同じくする仲間が共に踊ることで、気持ちをますます高め志を確かめ合うものです。比較的最近の映画から、代表的な群舞シーンを2つご紹介します。

 まず、『レ・ミゼラブル』(2012年公開)から、1892年のパリ蜂起のシーンです。ここでの人々の動きをダンスと言ってよいかは多少微妙ですが、ルイ・フィリップ一世の暴政に対する民衆の怒りと自由への志を力強く謳いあげるコーラスと人々の動きが見事にコーディネートされているという意味で、群舞シーンとしてとらえました。

 
 次は、文句なしの群舞シーン。『マンマ・ミーア!  ヒア・ウィー・ゴー』(2018年公開)から、ヒロイン、ソフィーのホテル開業を祝う人々が2隻の船で登場する場面です。前日に嵐に襲われ、開業パーティを諦めかけていたソフィーには、嬉しいサプライズのシークエンスです。ちなみに、ソフィーを演じているのは『レ・ミゼラブル』でコゼットを演じたアマンダ・サイフリッドです。

 アバの『ダンシング・クイーン』に乗って船上で踊りながらホテルを目指す人々、それを迎えて陸上で踊る人々。最後は、両者が合流しての群舞へ。祝祭感あふれる素晴らしいシークエンスです。

 この2つの群舞シーンからわかように、群舞は、主人公映画のホームで繰り広げられるものです。主人公と気持ちと志を同じくする仲間が共に踊るのだから、当たり前と言えば、当たり前の話です。
  心を一つにする人たちが踊るのですから、音楽が流れ出してから、全員がノリノリになるまでに時間はかからりません。
 『レ・ミゼラブル』で多少時間がかかるのは、民衆は怒りに蓋をしているので、学生たちに勇気づけられて怒りを表に出すまでに、間があるからです。『マンマ・ミーア!  ヒア・ウィー・ゴー』では、祝賀パーティに行くわけですから、全員が、船の上で最初からノリノリなわけです。

 ところが、『RRR』の群舞は、違うのです。ここで群舞が繰り広げられる舞台は、主人公たちにとっては、完全なアウェーなのです。アウェーの場で、どのようにして周りを巻き込み、ノリノリにさせていくか。これが、『RRR』の群舞シーンの核心にある課題なのです。

2.敵地の真っただ中で盛り上がる群舞


 1920年代、イギリスの植民地支配下にあったインドで、主人公のインド人男性ビームとラーマの2人は、ある思惑をもってインド総督の姪であるジェニーに近づきます。ジェニーはビームに好意を持ち、彼を総督府でのパーティに招待します。ビームも計算づくでない好意をジェニーに抱くようになります。ビームとラーマは身づくろいを整えて、総督府に乗り込みます。

訂正:パーティ会場が総督府というのは、私の記憶違いで、「社交クラブ」でした。さんに教えていただきました。日本語字幕では「社交クラブ」、ジェニーのセリフでは「Gymkhana Club」です。acoさんhttps://note.com/aco_aco_aco から教えていただきました。

 
 イギリス人の要人たちが集う「社交クラブ」といえば、
ビームとラーマにとっては敵地そのもの、究極のアウェーです。
 そのアウェーの舞台で、インド人を軽んじるイギリス人男性から西洋のダンスが踊れないお前らは出て行けと、2人は罵られます。それに対して、自分たちにはこれがあると言って2人が踊りはじめるのが、『Naatu Naatu』です。そして、このダンスに、敵であるはずのイギリス人たちまでが巻き込まれて豪華かつパワフルな群舞が展開するのです。

 ここで、イギリス人たちを「ノリノリ」にさせるために、監督のS.S. ラージャマウリはひとつの仕掛けを用意します。それは、イギリス人の男性と女性で、『Naatu Naatu』への反応を分けることです。
 差別意識と支配者意識で目と耳が曇った男性たちが『Naatu Naatu』に良さを全くわかろうとしない傍らで、女性たちは、もっと素直に感覚的に、『Naatu Naatu』に引き付けられていくという設定です。まず女性たちが味方につくことで、『Naatu Naatu』のノリが社交クラブ全体に広がっていくのです。

 とはいっても、彼女たちにとっても『Naatu Naatu』は初めて接する異文化のダンスですから、全員が一度にノリノリになったら不自然です。ラージャマウリ監督はそこをわきまえて、女性たち独りひとりで、『Naatu Naatu』への「ノリ」具合は違うという前提で、女性ごとに異なる振り付けを与えて、時間の経過とともに「ノリ」が盛り上がっていくシークエンスを見事に作り上げています。

注記:2023年7月25日23時に、動画を、当初のタミル語のものから、acoさんからご提供いただいたテグル語のものに差し替えました。acoさん、ありうがとうございました。

 ビームとラーマが踊り始めて16秒で、ビームとジェニーの間から見通せる位置に立つ女性2人がリズムに乗って身体を揺らせ始めます。22秒で、着席の女性2人がリズムを取り始めます。30秒では、着席でリズムをとっている女性と、立って拍手している女性が画面に登場します。

 女性たちの間に「ノリ」が広がってくると、男性陣は黙っていられなくなります。50秒時点で、初めにビームとラーマを侮辱したしたイギリス人男性ジェイクが、「出て行け」と、2人を怒鳴りつけます。ところが、これにジェニーほか数人の女性が逆らい、ビームとラーマを、踊り続けるよう促します。

 ここが、大きな節目です。ここから先は、女性たち全員がバックダンサーになって『Naatu Naatu』を盛り上げていきます。
 しかし、ラージャマウリ監督の芸はなかなか細かく、この時点でも、まだ女性全員が同じリズムとテンポで踊るわけではありません。椅子に座ったままリズムをとる女性、立って拍手する女性、踊りに加わろうとするかのように走り出す女性……という、バリエーションに富んだ振り付けをしています。

 女性一人ひとりが違ったリズムとテンポで身体を揺らし続ける場面が1分54秒まで続いて、1分55秒で、ジェニーを中心とした総勢30名ほどの女性たちのラインダンスが始まります。そこから、ビーム、ラーマと女性たちが土煙を上げて踊るダイナミックな群舞へと、なだれ込んでいきます。

追記:私は、さすがにこの土煙はCGだろうと思っていたのですが、本物でした。Twitterでこの記事を紹介した際に、RRRのファンの方から教えていただき、ラージャマウリ監督へのインタビュー記事へのリンクも提供して頂いたのですが、肝心のそのツイートを見つけることができません。Twitterはどんどん流れて行ってしまうので、こういう時に不便です。監督によると、土埃だらけになったドレスを、衣装担当のスタッフさんたちが毎日手洗いしていたとのこと。この場面に関わった全員の映画屋根性に、頭が下がります。

 ここまでくると、男性たちも対抗上、踊らないわけにはいかなくなり、2分30秒から、男性陣も参加しての群舞となります。

 女性たちは疲れて、ひとり、またひとりと抜けて行くのですが、みな、楽しそうに笑っていて、そこには祝祭感が溢れています
 女性たちがいなくなり、インド、イギリスの男性対決となる。これにインド側が勝利すると、今度は、ビームとラーマのダンス対決となり、そこに、ビームびいきのジェニーとラーマに声援を送る他の女性たちの応援合戦がからんで進み、最後はラーマがビームに勝ちを譲って、スタートから4分33秒に及んだダンスシーンが幕を閉じます。
 この4分33秒間は、私のこれまでの人生でのベストの映画体験のひとつでした。

3.感動の映画体験をもたらすもの

 
 上にみてきたような細かい振り付けは、ビデオ化された映像を「流しては停め」を繰り返しながら観て初めてわかったことです。劇場では、そんなことには全く気づきませんでした。
 劇場での私の注意は、常にビームとラーマ、そして、イギリス側ではジェニーとジェイクにだけ向かっていて、他の人々の動きは、十把一絡げに背景として見ていただけです。それは、私だけでなく、ほとんどの観客がそうだったと思います。

 つまり、このシークエンスで踊った、おそらく総勢100人近いと思われる役者さんたちの95パーセントは、劇場で観客の注意を引くことなどあり得ない位置で踊っていたのです。そして、そのことを、彼女/彼らもわかっていたはずです。
 にも関わらず、こうしてビデオで丹念に見ていくと、一人ひとりが、実にイイ仕事をきちっとこなしている。

 これは私の仮説ですが、私たちは、劇場鑑賞中にバックダンサー独りひとりの動きに注意は払えないけれども、視覚情報としては確実に捉えているのではないでしょうか? そして、それが、私たちの鑑賞体験に影響している。 
 映画の作り手たちも、同じように考えているのではないかと私は思うのです。だからこそ、監督(振付師もいたはずです)は観客に気づいてもらえない位置で踊る役者さんも独りひとり丁寧に振り付け、役者さんたちは、それに応えて真剣に踊ったのだと、私は思います。
 
 
もちろん、端役のバックダンサーでもパフォーマンス次第でより陽の当たる場所に行ける可能性はあるわけで、そのために手を抜かず頑張るということは、あるでしょう。ですが、そういう目の前の損得勘定だけで、あそこまでのイイ仕事が出来るものだろうかとも、思うのです。
 
 目の前の損得勘定だけではやっていられないのは、監督と振付師は、もっとだと思います。端役のバックダンサーまで丁寧に振り付けたからといって、ダンサーから謝礼をもらえるわけではありません。目の前では「持ち出し」になりかねない労力を費やしているのです。
 ただ、彼らは、その一見「持ち出し」のような努力の積み重ねが、観客の感動という彼らにとって何よりのご褒美となって返ってくることを確信している。だからこそ、頑張れるのだと思います。

 こうして考えてみると、映画というのは、実に贅沢なアートです。『RRR』でいえば、ダンスシーンの振り付けだけでなく、衣装にだって、大変な労力とお金がかかっていたはずです。1920年代という設定ですから。
 衣装という意味では、『レ・ミゼラブル』は、19世紀フランスの一般民衆の普段着から軍服まで揃えたわけで、もっと大きな労力をお金を注ぎ込んだに違いありません。
 『マンマ・ミーア!  ヒア・ウィー・ゴー 』も、ハンパなくお金と手間をかけています。あの2隻の船をチャーターしたのは、1日だけではないはずです。船が動いていない状態でのリハーサルから始めて動かしながらのリハーサに進み、それを何度となく重ねて、あのファイナル・カットに到達したはずです(編集でカバーした部分もかなりあるにはあるでしょうが)。

 今の映画料金は、1本1,800円ですね(私は60歳を超えているので1,200円です)。これが高いか安いか、色々な考え方があると思います。シネコン画デフォルトになって間違いなく座れる代わりに、昔のように同じ映画を続けて3回、4回観ることは出来なくなりました。私は昔を知る人間なので、今では鑑賞環境が飛躍的に良くなったことと昔なら何度でも観られたことを比べて、さて、どうだろうと思うこともあります。

 ですが、観客の本物の感動を呼び起こす映画に、ぱっと見には分からないところで、どれだけの人のどれだけの労力が注ぎ込まれ、どれほどのお金がかかっているかを思うと、私は1800円は決して高くないと思います。同時に、劇場で観る映画は厳選したいとも、思うのですが。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

〈おわり〉

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