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親から逃げると、永遠に呪われる

私は多数の精神症者と関わってきた。鬱、パニック障害、摂食障害、アルコール・薬物・ギャンブル依存症、放火依存、性依存。現代は実に多種多様な病名が登場する。そして私が関わってきた方、その全てが、「親から欲する愛情をもらえていない」人たちだった。例外はない。漫画に出てくるようなどうしようもないクズ親もいれば、かなり際どい、むしろ「いい親なのでは?」と世間を巧妙に欺く親もいて、その根源の様相もさまざま。そして、「親はどうしようもない!」と、心から思えている人は意外と少ない。その多くは、「親も悪気はなかったから」「親も辛かったから」「辛かったのに、むしろ私を頑張って育ててくれた良い人」と、これまた巧妙に洗脳されている。子供は洗脳されたまま自殺への道をひた走り、洗脳に成功した親はほくそ笑み、のうのうと老後生活を送る。

悪夢だ。
そしてそれが悪夢だと気づいたまともな大人たちは、その精神症者に、「あなた洗脳されてるわよ」と伝える。なんとか、自殺への道を走ることなく、回復して健やかに生きてほしいと願うからだ。だが精神症者は、まともな大人たちから手を差し伸ばされても、それを握らない。出会ったことがない人種、出会ったことがない理屈に困惑し、対処しきれず、そして「親と向き合う」なんて恐ろしすぎると怖気づき、まともな大人たちから逃げ回る。そして居心地の良い、親のような自分の生き血を吸う人間たちの巣に戻り、死んでいく。
「なんで救えなかったんだろう…」
手を伸ばしたのにそれを振り払われたまともな大人たちは、大反省会をする。そして、自己嫌悪に陥る者もいる。自己嫌悪に陥る者は自らの精神も病み、当事者へと変貌する。そして変貌した当事者は、実は自分が本当の意味で親と向き合えていなかったことに気づく。そして本当の意味での向き合いに怖気付き、手を差し伸べてくれる大人たちに背を向けて逃げ続け。気づいたら死んでいる。

地獄の連鎖。これがこの世である。
「どこで道を間違えたのか」と、病む人たちは考えるが、その答えは「生まれた時から間違っている」である。その家庭に、その親元に残念ながら生まれてしまったから。その時点で大間違いだったのである。
そして、その事実に気づいた者は言う。「親ガチャ失敗したわ〜」と。明言する者は少ないが、そのほとんどが、「だから私の人生、こんなもんでしょ」「私のせいじゃない。だから、私がこうなっているのはしょうがない」
と、巧妙に自分に言い訳をする。
自分のせいではない。
これほど自分を安心させてくれるものはない。現実を変える覚悟・死ぬ気で立ち向かう勇気、これを放棄させてくれるから。こんな有難いことはない。

我々は生まれた時から間違っている。
だが、「だからしょうがない」で終わらせるのも、間違っている。
全くしょうがなくないからだ。今この瞬間から、どうにでもできるからだ。

実は自分が本当の意味で親と向き合えていなかったことに気づく。そして本当の意味での向き合いに怖気付き、手を差し伸べてくれる大人たちに背を向けて逃げ続け

逃げ出すこと。逃げ続けること。この選択をした瞬間に、我々は人生が終わる。いくら親元を離れても、永遠に呪われたままなのだ。
そして今まではここで終わっていたが、永遠に呪われるとはどういうことか。そのカラクリを考えていきたい。

わたしは群馬県の田舎町に生まれ、典型的な男尊女卑の村、そして機能不全家庭で育った。祖父母も、両親も、互いに向き合うことから逃げ続け。両親は戦争のような、怒号の飛び交う喧嘩を年中していた。
苦しい。
私は親にそう伝えることができず、高校生で鬱病を発症。そこから服薬や何やらで誤魔化して生きてきたが、26歳で鬱病が再び悪化し、ベッドから起き上がれなくなった。そしてぼんやりと死にたい、首を括りたいと思う日々が続いた。

高校生で鬱病になった時からもう壊れていたのだ。だが、つぎはぎの修理をして、欠陥生物のまま10年近く生き続けてしまい、26歳で完全崩壊した。
なぜ崩壊してしまったのだろう。私は大学から東京に出てきていたから、とっくに親元は離れていた。別に連絡を頻繁に取り合うわけでもない。とっくにいい年齢の、いい大人になっていたのに。無能な親たちが、俺に影響など及ぼせるはずもないのに。そう思っていた。でも私は確かに壊れてしまった。

完全崩壊した、26歳の頃を振り返る。
この頃は、血気盛んな起業家という仮面を貼り付けて、毎日張り詰めて生きていた。経営する会社を、早く大きくしなければ。早く成功させて、大儲けしなければ。経営者である自分を儲けさせ、投資家を儲けさせ。成功者となり、「自分は価値ある人間だと、世の中に承認してほしい」と飢えていた。
だが、何もかもが上手くいかなかった。経営する福祉施設のお客さんは自殺したり脱走したりでいなくなるし。社内に派閥もどきの現象が発生するし。そして、それら全ての元凶を作っていた、部下である副社長の秋山という男が、いちいち癇に障る言動をしてくるし。意識がある間は常にイライラし、寝て意識が落ちている時も歯軋りが止まらず、身体は24時間苛立ったままだった。

秋山は俺の父親にそっくりだった。秋山はどこぞやの上場企業で元々役員を張っていた男で、「仕事における表面的な要領の良さ」は父親と正反対だったが。
・54歳男性
・昭和の価値観を引きずっている
・男尊女卑
・無意識に自分の「こうあるべき」を押し付ける
・自分より強いものに向かっていけない
・自分の怒りを正しく表現できない、本音を言えない
・自分より弱いものに、理不尽な形で怒りを表現する
・年齢主義。「年齢は関係ない」と口先では言いつつも、年下は年上に従うべき、という感覚が抜けていない

そんな人間が、俺の会社の副社長になってしまったのだ。なぜかといえば、株主から「まともな経営者を据えろ」と指令がきたから。若干20代そこそこの若造では、いつまで経っても会社が成長しないことに痺れを切らしたらしい。その株主からの指令で、俺が一番嫌いな人種である、「父親に似た汚いおじさん」と、毎日関わらなければいけなくなった。

なんで、父親に似た、この汚いおじさんが再び目の前に現れたのだろうか。
父親とは離れてくらし、連絡も取っていないのに。もう26歳にもなって、しっかり「自分の意志」の元、一人の大人として頑張って生きているのに。父親なんかの影響を、俺が受けるわけなんかないはずなのに。あんなに無能な父親の。そう思っていたのに。

なぜ秋山が俺の目の前に現れたかと言えば、投資家が「まともな経営者をすえろ」と指令してきたから。その指令に、俺がNOを突きつけられなかったから。その時はNOを突きつけられなくても、明らかに秋山が頭のおかしい奴だと分かった時点で、クビにするべきだった。でもクビにできなかった。クビにできなかったのは、その投資家に「秋山を追い出す」と、自分の意思を突きつけることができなかったから。つまり元に戻るが、「投資家にNOを突きつけられなかった」が、俺の敗因。ちなみにその投資家も、面白い具合に、俺の父親に似ていた。

・40代歳男性
・昭和の価値観を引きずっている
・無意識に自分の「こうあるべき」を押し付ける
・自分より強いものに向かっていけない
・自分の怒りを正しく表現できない、本音を言えない
・自分より弱いものに、理不尽な形で怒りを表現する
・年齢主義。「年齢は関係ない」と口先では言いつつも、年下は年上に従うべき、という感覚が抜けていない(体育会系。それが余計に拍車をかけていた)

つまり、完全崩壊した26歳の時に関して言えば。
表面的な要因を考えれば、「父親に似た男に支配され、NOを突きつけられなかったから」だ。
そして、26歳から人生を振り返れば振り返るほど、俺は全く同じパターンで支配され、抑圧され、怒りが蓄積されていたことに気づく。

会社を創業する前。20歳〜22歳。「将来起業するための修行先」として選び、働いていた会社で。父親そっくりの上司がつき、そこでずいぶんイビられた。殺意が湧いたが、殴れず。そして「自分が成長して、結果を出すために」と自己洗脳し、我慢し続けた。NOを突きつけられなかった。

18歳〜19歳の時は特に何もしていなかった。というより何もできなかった。鬱傾向が強かったから。そして18歳までは田舎の進学校に通っており、父親の直接支配を受けていた。

そもそも、なぜ父親のような男を俺は引き寄せてしまうのだろうか。

・昭和の価値観を引きずっている
・無意識に自分の「こうあるべき」を押し付ける
・自分より強いものに向かっていけない
・自分の怒りを正しく表現できない、本音を言えない
・自分より弱いものに、理不尽な形で怒りを表現する
・年齢主義。「年齢は関係ない」と口先では言いつつも、年下は年上に従うべき、という感覚が抜けていない(体育会系。それが余計に拍車をかけていた)

このような男は、この社会にゴキブリのように腐るほどいるから。「引き寄せるも何も、うじゃうじゃ溢れているから確率論的に、遭遇する可能性が高い」というだけの話に思える。
あとは、「引き寄せてしまう」という観点から考えた時に。父親のような男からすると、「弱い・扱いやすい年下の男」というのは魅力的に映る。自分が支配しやすい、自分に有能感を与えてくれる・承認欲求を満たしてくれる玩具だからだ。そしてその玩具を自分に靡かせるために、さも理想の父親のような、物分かりの良さそうな振る舞いをする。「お前のためを思って」とかなんとか、耳障りの良い薄っぺらい言葉をひり出す。そうして、扱いやすい男を手懐けようとする。
そして、俺のような弱い・扱いやすい年下の男は、近づいてくる父親のような男を振り払うことができない。いくら意識の中で父親のような男を嫌っていても、きちんと向き合えていない限りは、「心のどこかで、理想の父親のような存在を欲している」からだ。だから、父親のような男がひりだす耳障りのよい薄っぺらい言葉に惑わされてしまう。「なんか…なんかモヤモヤするけど、こいつは信用できる人かもしれない」と、簡単に騙されてしまう。そして騙されたあとは、徐々にその父親のような男が本性を晒してくる。でもその時には手遅れ。弱い・扱いやすい年下の男は、NOを突きつけることができない。だからいいように支配されたまま、身も心も喰いつくされていく。

では、なぜNOを突きつけられないのか。
それは、目の前の「父親のような嫌な奴」の姿の奥に、父親の影がちらつくからだ。自分が小さく、弱い時に、「親のいうことを聞け」と理不尽に抑圧された。時には言葉の暴力、直接的な暴力も。自分が小さかった時に、父親という絶対的に強い存在から、弱いものいじめをされたから。その時の恐怖が残ったままだから。だから恐ろしくて、目の前の嫌な奴にNOを突きつけられないのだ。

父親から受けた恐怖が残っていること。それはつまり、呪われているということ。
呪いは強力だ。時間が経てば忘れる、解ける、なんてことはありえない。
呪いは解かなければいけない。つまり、今自分が何歳であろうとも、子供の頃に戻り、その頃の感情を呼び起こして、その怒りを父親にぶつけなければいけない。当時殴られたなら、父親を今この瞬間、殴らなければいけない。

こういう話をすると、ほとんどの人が引く。
仕事で関わっていた、依存症の人たちは特に親から受けた傷が深い。だから、その傷を癒すためには、その傷をそのまま親に返さなければいけない。
だがそういう話をすると、
「いやあ、流石にそれは…ちょっと可哀想じゃないですか。親ももう70歳ですから…」
もう完全に年寄りなんですよね。なんか、歩くのも腰が痛いとか言ってて、すっかり爺さんなんですよ。なんか、殴ったら虐待というか…可哀想じゃないですか。
そう、ほとんどの人が言う。

その度に笑ってしまう。
・殴ったら虐待
・可哀想じゃないか

これ、あなたがされたきたこと、そのまんまじゃないですか。
あなた、ずいぶん可哀想ですけど。そんな可哀想なあなたが、人様のことを「可哀想」なんて言えた立場でしょうか。

たまに、そんな意地悪なことを言ってしまう。
だがご本人たちには全く刺さらない。「いやあ…はは…」と目を逸らして苦笑いするだけ。

まあ本当に殴るかどうかはさておき。
「ちゃんと自分の怒りを突きつける」「今までされてきたこと、その全てにNOを突きつける」「そして、ちゃんと謝罪させる」
これは不可欠。これをやらない限り、呪いが解けることはない。

もう何百人と精神症者を見てきたが。親から逃げ続けている人で、本当の意味で健やかに生きている人間を一人も見たことがない。大体の人は自殺するか、病気を抱えたまま60か70歳ぐらいで死んでいく。
「苦しい」
心が悲鳴を上げたまま、苦しそうに死んでいく。

残念ながら、親から欲する愛情をもらえなかった我々は、生まれた時からもう呪われている。
呪われたまま残りの人生を逃げ切るのと。1〜2年死ぬ気で頑張って、親の課題・人生の課題をクリアしていくのと。どちらの方が苦しいだろうか。






以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、

kaigaku.nla@gmail.com

こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。

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