一生今年の夏がいいな
何回もやめようとしてるのに、
すぐに過去の暗い話とか、されて嫌だったことをもはや手癖のように書き続けてしまう。
日常生活では昔の話は聞かれないとしない。
やなことを自ら話す理由がないもの。
それでもすぐに書いてしまうのは、結局とらわれてんだと思う。
社会に出て、今はまともに生きてるつもりになってるけど、
古傷が痛くて痒くて、苦しいとき時が大人になった今でもあるのだ。
眠ると両親が夢の中で喧嘩を始める。
今生ではもう二度と会わないであろうあの二人が、私の夢の中で待ち合わせをして、もう何十年も喧嘩を続けている。
夢に出てくる父はあの頃のままだ。永遠に50代の父。
私はもうすぐ70近い父の姿を、夢の中ですら想像できていない。
もうすぐ8月が終わる。
学生時代、なんとこの夏休みの終わりが悲しかったことか。
9月1日の始業式に行くかどうか、毎年本気で悩んだ。
高校生になると私は公式で不登校児と化したので、
9月1日はもちろん、まぁ何月何日でも関係なく行かなかったんだけど、
1日に休んじゃうと、2日も3日も行くハードルがぐんぐん上がる。だってみんなが出したであろう宿題とか全部提出してないわけだし。
そもそもできてもいないし。
だから夏なんか、全然好きじゃなかった。
暑いだけだし、汗かくし、夏休みは好きだったけど、それは学校に行かなくていいから好きなだけであって「夏休み」が好きだったとはいえない。
でも、今年の夏は間違いなく好きだった。
毎年今年の夏が来てほしいし、なんなら永遠夏でもいいかもしれないと私に思わせた。
最近入っている現場の近くにそれそれは美しい滝が流れていて、仕事終わりは毎日泳いで帰っている。
冷たい水に身体を浸すと、汗と泥でぐちゃぐちゃになった皮膚が生き返る。
全然泳ぎ上手じゃないくせに、気持ちが良すぎて水の中に住みたくなる。
ただでさえ現場終わりだし、泳いでいると尚更腹が減るので、みんなでカップ麺を持ってきて食べようという話になった。
私は幼少期、インスタントラーメン、レトルト食品、冷凍食品とスーパーのお惣菜のおかげで生きて伸びてこれたので、
和歌山で暮らすようになってからは、それらのものをほぼほぼ全く食べずに生活している。
小さい頃風呂に浸かりながらご飯を食べるのにハマっていて、
身体は水中なのに飯を食う、
首から下と上のギャップに酔いしれていたというか、食べると浸かるを同時に行うというチグハグな行動萌えたというか、とにかく非日常性が楽しかったのだが、
親から下品だと怒られて、渋々やめた。
そのことを久しぶりに思い出して、
水着のまま川にざぶざぶ入って三角座りをして麺をすすった。
泣くほど美味かった。
私は大学の卒業旅行で香川県を訪れうどん三昧した身分なのであるが、
このどん兵衛は、香川のうどんと同じくらい、美味しかった。
コシもへったくれもなくペシャペシャの麺なのに、
ズルズル啜ると妙なその軽さが口の中に収まりよく、冷えた身体になんとも沁みた。
長年修行しているうどん職人の努力が水の泡になるんじゃと心配するくらい美味しかった。
日清の企業努力に乾杯!!!
「カップラーメンの汁は身体に悪いので(知らんけど)一滴たりとも口に入れない」と決めている私が、汁を全部飲み干した。
帰りの道中、腹も満たされ鼻歌混じりに運転していると、
私の頭にある言葉が浮かんだ。
あ、治ったわ
思い出は上書きできる。
なかったことにはなんないけどね。
愛のない食事で私が育ったのは事実。あっぱれ現代社会。火が使えない幼女でも飯にありつける。飯を食っときゃ大きくはなれる。
結果、私が手料理中毒になったのはもはや仕方ない。
もし私に子どもができたら手作り料理ばかりを食べさせ、
その子どもが大きくなったら手料理に感謝など全くせずジャンクフードを嬉々として食べるだろう。別にそれでいい。
そうやって順繰りで連鎖していくんだ。健全じゃないか。
私は、この先カップラーメンを食べたら、
滝のある川で、念願の体を水に沈めて食べるやり方で、職場の好きな人たちと、
麺を啜ったことを一番に思い出すだろうと思う。
食べ物にまつわる思い出が塗り替えられた。
寂しい記憶だったのが、変わった。
こっちの方が人生で大切な思い出だから、これから先も、永遠と思い返すと思う。
24歳のこの夏は格別で、ほんとに楽しくて、夏のイメージがガラリと変わった。
大人になった私は8月が終わる足音が聞こえてもちっとも怖くない。
楽しい秋が来て、もっと楽しい冬が来て、そしたら大好きな春が来て、また今年並みに楽しい夏を過ごそう。
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