コロナになって、ホテルで泣く
7月15日、コロナになった。
自分はどうでもいいけど、他人にうつすのはこわかった。
私はシェアハウスに住んでるので、迷惑をかけるのはなるべく嫌だった。
濃厚接触者にしてしまってもう既に迷惑はかけたけど。
ホテルに隔離されることになった。
毎食お弁当が出てWi-Fiもあるんだそうだ。
コロナになったのはもはや不可抗力だ。
大人なので病気になったのは自己責任だが、
コロナになったのは運が悪かっただけだと言い聞かせる。
症状はすぐにマシになった。
毎食お弁当が出て、あまりにもそのお弁当が美味しくて、働かずに飯を食う罪悪感を感じてややつらかった。
部屋のシーツがあまりにも真っ白で、天気は良くて、窓からは海が見えて、海には釣りをしている人やボートに乗っている人が見えた。
今日はカップヌードルのシーフード味を夕方に食べた。
お弁当で足りない人用にうちのホテルはカップラーメンももらえる。
私は普段カップラーメンなど食べない。
インスタント食品なんか全く好きじゃないから。
数年ぶりに食べたカップヌードルは美味しかった。
「雑なおいしさ」だな、と思った。適当に食べるのにもってこいだなと思った。
いい匂いで、麺は軽くて細くてなみなみしていた。
スープは一口も飲まなかった。
食べ終わって、
私の姿を永遠うつしていた目の前の大きな鏡に割り箸を投げ付けた。
鏡が少し汚れて、箸が落ちて、鏡の中の目つきの悪い女と目が合った。
鏡を拭いてたら、なんか泣けてきた。
ほっぺに涙が通った道ができていて、こりゃ久々に見る道だなぁと思った。
寂しいんである。
私がいなくても全く問題なく機能しているであろう、ホテルの下の日常たちが。
傲慢だなって言っていいよ、そうだもん。
中学生の時、自分が休んでもお構いなしに授業は進んで行くこと、私の大好物の給食が出ること、みんなはいつも通りな生活を送ること、
私がいなくても、なんにも、なんにも世界が変わらないことにショックを受けた。
それの社会人版。
中学校の頃の私、やっほー。
あなたの感受性は何年経っても変わりません。残念ですが。
私がいなくてもいつもどおり太陽が昇り、仕事は進み、時は流れ、
私は清潔な部屋で、美味しいお弁当食べながらスマホ片手に窓の景色をただ眺めてる。
置いてかれたみたいだ。
私だけ。取り残されたみたい。
かけがえのない夏の10日分。
とかいうて。ちょっと被害者ヅラが強すぎた。
こういうのをコロナメンヘラといいます。
知らんけど。
私がおらんでもまわる日常。ええやんか。
「猿でもできる仕事がしたい」が口癖やん。責任感とか嫌いやん。そういうの負担って思う派やん。
こういう時だけ存在感ほしがるの、ずるいぞー
どっちかに統一しろー
自分なんておってもおらんでも変わらんって。
じゃあおろうよ。
ゆいがおってもおらんでも世界は変わらんけど、
あなたには好きな人がいて、あなたのことを好きな人もいるんだから、じゃあおろうよ。
おらなあかんからおるんじゃなくて、
おりたい理由があるから、おるんよ。
コロナになって
家族が、友達が、幼なじみが、同僚が先輩が上司が連絡をくれた。心配してくれた。優しい言葉をかけてくれた。久しぶりの人もいた。
シンプルに愛を感じた。
意外といろんな人に好かれてんだなぁと思った。
これは、傲慢だなって言わないでほしい。
私が わー、好かれてるんだなーって自信がつくくらい、周りの人が長い間がんばったんだもん。
早く日常に戻りたいな。
もう刺激がほしいなんて言わないから。
また、疲れちゃったらカップヌードル適当に食べて、
割り箸鏡に投げ付けよう。
汚したら片付ければいいんだよ。
自分一人の人生くらい、自分一人でなんとかなるよ。
これまでもそうやって生きてきたんだから。
困ったら周りの人が助けてくれるよ。いつも通りだよ。
そんなに心配しなくても、
もう少ししたら、ちゃんとあなたの大事な日常に戻れるよ。
大丈夫だよ。
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