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Day61.私が「自分の機嫌を取る」必要性を理解するまで

この記事はあくまでも「私」が感じた、こう思った。という話であり、すべての人に対して「正しい」や「筋が通っている」ということではありません。

私の理解に至るまでの道のりが、だれかの役に立つかもしれないと思い記事にしています。

あなたはあなたの感じ方を大切にしてください。
私と感覚があわなかったとしても、それは「誤り」ではありません。
あなたにはあなたの大切な心があります。
この記事を正解だと思う必要はないからね。「なんでこういう風に考えられないんだろう」とか自分を責めないでね。


◆はじめに


それでは、自分の機嫌を取る重要性に至るまでの話をしていきたいと思いますが、その前に一点、知っておいてほしいことがあります。

私の特性についてです。
私は何かを理解するのにたくさんの情報を必要とします。多角的な観点や説明、理論を知ることで、私は1つの事象を理解するに至ります。
そのため、ひとよりもものすごく1つのことを理解するのに時間がかかります。

この特性を認識して以降、なにか新しいことを始めるときは「スタートアップが遅いです」と自己申告することにしています。
それは自己開示の一環でもありますし、自分を守る方法のひとつでもあります。
スタートアップが早い人が欲しい、と思っている組織とはマッチングしないけれど、それは損失ではありません。
なぜなら、早く立ち上がってほしい、と思う企業に仮に入ったとしても、それは私が結局苦しくなるだけだからです。

シロクマがハワイより北極で生きることを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか?

西の魔女が死んだ

という言葉にあらわされるように、自分はそういう特性に生まれたのです。
それは誰に責められるものではなく、ただ、環境が合うか、合わないか、だけなのです。

なので私は自分が快適にいられるように、自己開示をするようにしています。
スタートアップが遅いことに悩んでいらっしゃるひとが、自分の他にもこんなひとがいるんだ、って知ってもらえたら嬉しいです。

◆本題


前述したように、わたしは物事を理解するのにたくさんの情報を必要とします。
そのため、様々な情報に触れることになります。
今回の話であれば、こんなジャンルを徘徊していました。

1.お坊さんの説法
2.タロット占い
3.スピリチュアル
4.心理学・哲学

これらすべての要素がひとつでもかけていれば、わたしは理解にたどり着けませんでした。ここには書いていませんが、ラジオや友人との雑談も理解に至る重要な要素です。

私と同じように、いろんな観点から理解したい、という方のために、私が触れてきた様々なジャンルの世界で言われていることを並べてみます。

1.お坊さんの説法

人に親切にするのは、まずは自分が満たされること。そうすることで、余剰分をひとに分け与える事ができる。

自分が満たされていなければ、これだけやってあげたのに、という執着になってしまう。だからこそ、まずは自分を満たすことが重要である。

2.タロット占い

潜在意識では何を考えているか?という視点

顕在意識=外側に出てきている、自分が認識している世界。自分が認識しているのは、倫理観だったり社会通念だったり、こうあるべき、という暗黙の了解だったり、そういうものに照らし合わせた、こうありたいという意識。
でも自分が意識していないところでは、自分の本当に満たしたい欲求がくすぶっている。
なので、まずは潜在意識で感じていることを自分で知ることで、潜在意識を顕在意識に持ってくる、という感じ?自分が認識しないと現実化が難しかったりするので。

3.スピリチュアル

 「引き寄せ」と呼ばれる概念。

自分が本当に叶えたいことを言葉や文字にすることで、マインドセットする。そうすることで、現実が引き寄せられてくる、という考え方。

4.心理学・哲学

原始的な欲求(安心・安全)が土台になるので、そこを満たさないと、上位の欲求を満たすことはできない。(モチベーションがあがらない)

哲学ではコントロールできるのは自分の意思と行動だけなので、自分の意思をまずは見つめる。(他者はコントロールできない)みたいな感じだったきがする()

◆理論側の人間の割に、意外だねって言われがち


いかがでしょうか。

私は理論か感情かで分類するなら、理論の方の人間だと自認しています。
それは他者から見ても同じようで、理論の人がスピリチュアルや占いが好き、というのは不思議な感じがする。とよく言われます。
そしてそういう考えもとてもよくわかります。

が、わたしにとっては証明できているかできていないかは正直どうでもいいのです。
なぜなら、科学や理論で証明できないものが世の中に存在しないのか、といえばそんなことはないからです。
ものすごく遠い未来では「ありました」となっているかもしれないし、未来でもあるとは証明されていないかもしれません。
が、だからといって「ない」といえるのかというと違いますよね。
どこまで行っても、「ないとは言えない」のです。
なので、別にどっちでもいいというか、それについて考えても正直意味がないと思うのです。

◆結局言ってることはみんな同じ

その考えを強くしたのが、前述した様々なジャンルで言われていることです。
1~4のジャンルで言われていることは、抽象化してシンプルにしていくと結局同じことを言っていると思いませんか?
少なくとも私は「みんな同じことを言っている」と感じたのです。

他人に心を注ぐ前に、自分の本当の望みを認識すべし。
他者に心を注ぐのは、自分が満たされてから。

結局みんな、いろんな言葉を使っているけれども言いたいことはこういうことですよね?って思ったのです。

なので、様々な表現というのはその界隈にいるひとに「伝わりやすい言葉」で話しているだけで
プロセスの違いなだけ
だった、ということです。
それは言い伝えなどにも共通するところで、実際にはいない(いるのかもしれないけど)恐ろしいものに例えることで、その人の印象に残るようにしている。

そういう視点に立つと、表現の仕方はなんでもいいな、って思うのです。
むしろたくさんあっていい、というかあってほしい。
たくさんの言い回し、表現があることで、より多くの人に伝わっていきます。

更に、私のようないろんな表現がないと理解できない難儀な人材にも理解することができます。
自分が今、様々なことを理解できるのは、たくさんの情報にアクセスできるようになったから、というのもありますよね。
今はネットさえあれば、Youtubeやnote、本、論文など、たくさんの情報に触れることができます。
私のような人間は現代のような情報網が発達していない時代にうまれていたら、今以上に苦労していたと思います。
それを考えると、現代に生まれて本当によかったなって思います。
noteというプラットフォームが存在してくれているおかげで、こうして自分が発信する側になることもできるようになりましたしね。

◆おわりに

わたしが「ごきげんに生きられる」ようになるまでに必要だった情報の話をお届けしました。

ピンとこなかった、というひとも、私の表現ではなく、ほかの表現ならピンとくるかもしれません。
なので、どうぞがっかりしないでほしい。
あなたが愉快に生きていくためのカケラはきっとたくさんあふれてるはずだから。

この記事に出会った誰かが、少しでも今より愉快に生きられることを、祈っています。

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