25歳の女 不動産営業の仕事を辞めた
こんにちは!
何を書こうかなと迷っていたら3日も空いてしまいました…。
今日は私が不動産の営業マンという仕事を辞めた経緯について書こうと思います。(今は絶賛ニート生活中です!万歳!)
結論から言うと、ある日病院にて『適応障害』と診断されたことがきっかけです。
一般的に、不動産の営業マンというと皆さんの中でどんなイメージがありますか?
ブラック企業、飛び交う怒号、厳しいノルマ、数字のためにお客さまを騙す…などが多いでしょうか?
イメージ通りと言えばそうなのですが、私の会社の社長は、女性の活躍を応援していたので、そこまでイケイケドンドンな会社ではありませんでした。
ですが、残業は当たり前、休みがよく削られる(お客様の内見の都合もあるのですが振替休日がない)、人の入れ替わりがとても激しいので、入社して半年が経つ頃には、先輩のお姉さま達はみんな辞めてしまっていました。
おまけに、1番モチベーションにしていた、家を売ったらもらえるインセンティブが業界内では「低いね」と言われるくらいでした。
そんなこともありましたが、コツコツと続けていた私は、成績はそれほど良くないにしても頑張りが認められ、入社して1年半で小さな店舗の支店長を任されるようになりました。
そこからはまた追々書きますが、店長1年半に突入して部下が徐々に増えました。
1人が3人になり、5人!
自分の成績も落とさずに、新卒のような部下を育てていくのは、本当に大変でした。
「マネジメントに専念できればな」となんて思ったこともたくさんありましたが、
「自分の営業だってまだまだ未熟なのに」と営業から外れることはどうしてもできませんでした。
今見ると、自分で自分の首を絞めているなぁ…
もうすぐ2年目という時に、
「なんだか会社に行きたくないなぁ、、」と思うようになる日がポツポツと増えてきました。
あれは2月の寒い時期でした。出不精な私は、寒いからだろうなと思っていました。
社会人たるもの世の中そんなに甘くないのですが、私は「激あまちゃん」でした。
「なんか具合悪い気がするし、休もう!」
と急に有給にして病欠する日ができました。
休んでいるときは、何をするわけでもなくただひたすらに趣味の映画鑑賞にふけり、食べたいものを食べ、充実しているなあとしみじみ体を休めることに専念していました。
1日休んで復帰する日もあれば、2~3日休んで復帰するような日もどんどん増えていきました。この時あたりから、仕事が終わった日の夜は信じられないくらいの量の夜ご飯を過食していました。
コンビニでお弁当を2つ買って食べ、大袋のうすしおポテチを制覇、最後にチョコスティックパンを5本平らげ、まだなんか食べたいなと思っているところで、眠気に襲われて寝る。
なんと1か月もたたないうちに5㎏以上体重が増え、体も重く、人にも会いたくない、でも仕事しないとという悪循環が始まっていました。
「さすがにやばい…」食べること以外にやることを見つけないと食べ続けてしまうと思った私は、ホットヨガに通い始めました。このとき、満腹中枢は完全に壊れていました。
ヨガをはじめて、汗を流す心地よさを感じたものの
「運動したし、またたくさん食べられる」と気が緩み、結局過食は治りませんでした。
自分でもうすうす、「なんか心が病んでいるんだろうな」と思い始めていたので、精神科に行ってみることにしました。
すると、、、
「適応障害ですね」とのこと。
薬などは処方されていないものの、ストレスや不安要素で過食をしているとのこと。カウンセリングにて悩みを明確にしていくことからやってみましょうと、2週間に1回のペースで通うことにしました。
話していくうちに、責任が重すぎる、完璧主義なところが自分を追い詰めていることが明確になり、上司に相談し、一旦休職することになりました。
急なことだったので、休職中、上司、部下やお客様と連絡が取れるように社用携帯も常に持ちながら、連絡が来るたびに、ビクつく生活を送っていました。
また戻らないといけないんだよなと思っていると、気持ちが全然休まりませんでした。
「思い切って辞めてみよう!なんとかなるかもしれないし、まずはこの気持ちから解放されたい!」
と思い、休職期間2か月後に上司と部下に挨拶をして退職しました。
本当に突然休んで、突然辞めるという迷惑なことをしてしまったことは、反省していますが、自分を大事にして生きてみようとした私の大きな決断でした。
辞めるまでの経緯をざっくり書きましたが、詳細はまたゆっくりと記事にしていこうと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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