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そろそろ自分を許してあげて

母親にとって
「自分のせいでこの子を不幸にしてしまったのではないか」
と考えることほど辛いことはない。




「もう小学生だしそろそろ私も仕事を増やしても大丈夫かな」
彼が小学校に入学して2か月ほど経った6月中旬。
「この研修受けておいてほんとためになったわ~」と先輩たちが
話していた研修に申し込めるチャンスがあった。


豪華な講師陣とさまざまな分野の演習、
実際の現場での実習もありながら、税金の補助で受けられる
その研修はとても魅力的に思え、
週3回毎回7時間の仕事の研修に参加することとなった。


私がその研修に参加している間、
学校の教室の隣にあるひろばと言われるそのスペースで
彼はボランティアの大人や同級生たちと過ごし、
私の帰りを待つこととなった。


思えば、当時から学校に行くことを嫌がる日があった。


私は新しく増えた仕事の学びの面白さと、毎日の忙しさ
家事や育児の両立をしながら、宿題を見てあげることに必死だった。


息子は、読むことや書く事が大変で、宿題は毎日1時間以上かかった。
その間付きっ切りで「勉強が嫌にならないように褒めながら」
宿題をみてあげていた。


先生と相談して量を減らしてもらい、
連携を取りながら学校ともいい関係で子育てをしていた。
仕事も忙しく、充実していた。

私は、仕事も家事も育児も頑張っているいいお母さんだ!


そう思っていた。



子どもが不登校になったとき、
そして母子分離不安だと言われた時

いいお母さんだと思っていた私は
実はいいお母さんではなかった現実と向き合うことになった。


自分のキャリアに意識が向き、
子どもの勉強を見ることに一生懸命で、
子どもが今何を考えているのかを知ろうとしてこなかった。
彼は小さな心の中で、辛い気持ちを溜め込んでいたことを知った。

言葉が遅い子だから、まだ幼い子だから
何かをそんなに考えているとも思っていなかった。


「私の関わり方のせいで安心感を持てなかったから
この子はつらくなってしまったのだ」
「愛情という名の自己満足だったのかもしれない」
と私は泣きながら、
それまでいいお母さんだと思っていた自分を
全部否定して、罪悪感で自分を責めるようになった。


本来誰とでもわりとすぐに話せてしまう
あまり人見知りをしないタイプの私は
習い事が一緒のお母さんたち、学校のお母さんたち
毎日誰かと他愛もない会話をするのを楽しんできていた。

「お子さん何年生ですか?」
「学校もうお休み?」

気軽な会話のきっかけは学校の事が多かった。


子どもの不登校をきっかけに
自分をさらけ出すことをやめ、気軽な会話をやめた。
仕事は最低限まで減らし、子どもと一緒に家にいる時間が増えた。


それからは多くの友達に会うことを避け
ごくわずかな友達。このことを話しても大丈夫と思える
安心できる限られた人としか連絡をとらなくなっていった。


SNSにアップすることもなくなり
登録したnoteも一年近くほとんど書けずにいた。


私の中の90%がその罪悪感で埋め尽くされていたのかもしれない。
今思えば、僅かな希望に引っ張ってもらって絞るように書いていた。







そして、この数か月
少しずつ少しずつ
90%だった罪悪感と残りの私を埋めている温かな気持ちを感じながら
まるで料理でもするように、
その気持ちをよく混ぜてしまい半分ずつにしたものを
重ね合わせて文字を起こすようにした。


そのたびに自分の頭と気持ちが整理されて
また少しずつ少しずつ
澱を浄化してもらっている。




書くことは癒しだ。



書きながら途中で止まってしまい
下書きが10個溜まることもあるし
もっと上手く書きたいと思って
書き方の技術について、幾度も本を読んだりもするけれど


まとまらずに書けなくなる時は
大抵
「こんな自分をさらけ出してどうなのか」
と自分の罪悪感が全面に出てしまうとき。


一番大切なのは、罪悪感と私らしさを足して半分にするくらいには
罪悪感を薄くしてから、本当の私は何が出来るか見つめなおせること。



今はそのために文章を書いている。



振り返ると
発達特性のある我が子の子育てには不安があった。
頑張ることで、いいお母さんであろうとすることで
その不安を解消しようとしていた。
「これだけやっているのだから大丈夫だ」と
そう自分に言い聞かせていたのかもしれない。


母と子どもは鏡のようだというから
その気持ちで
彼を不安にもさせていたのかもしれないと
思い当たることもある。


でも
子どもを大切に思うからこそ
先が見えないことを不安に思うのは
そのために頑張るのは当たり前のことだよって
5年前の自分に言ってあげたいとも思う。


もしこれが私自身ではなくて
私の友達の身に起きていることだとしたら
きっともっと優しく受け止めてあげられる。


一生懸命育児していたのよくわかるよ。
発達の特性も考えると
成長のために寄り添ったりサポートしたり
人一倍必要だったしね。
愛着は強く形成されていると主治医も言ってたじゃない。
愛情は伝わっているんだよ。
ただ言葉の成長がゆっくりだったから
不安を言葉で伝えるのがちょっと苦手だったというだけ。
それが悪いことじゃない。
捉え方をかえればそれだけ幼い頃から
外の環境の雰囲気を感じ取れる
敏感さを持っているのが良さでもあるのだから。




もし私の友達になら、こう言ってあげられるのに。



あの時期の私なりに自分の人生も一生懸命考えて
あの時期の私なりに愛情を注いで
あの時期の私なりに手探りで頑張って
あの時期の私なりに
多くの人と共有できるわけではない
ちょっと特別な子育ての中で
自分が自分らしくありたいと必死で生きていた。



それでも起きてしまうことを
責めてしまう、罪悪感をもってしまう自分を
もう少し自分で許してあげようと思った。


「僕が不登校になった時がきっかけで
自分を責めている母親がいる」ことも
今はやっぱり申し訳なくも思うんだ。

不登校が不幸だとは思わない。
たくさんの学び方を選べる彼の可能性も今は信じられる。

ただ少し色褪せるくらい過ぎてしまった時間の中で
うっすらとしている罪の意識をまだ自分で抱えてしまい
なぜか、自分を苦しめているだけなんだ。



「当時の先生や教室の雰囲気」
「学校の学習サポートについて」
「白黒つける傾向」
「年齢が幼くて言葉が遅かったこと」


そういった理由を探しては苛立ちをぶつけたい
気持ちになることもあったけれど、
それは結局、私の罪悪感を何かにすり替えて
責任を負わせるための行為になってしまう。



それではテレビ番組をみて炎上するまでSNS上で
怒りをぶつける人と同じことになってしまう。


自分のやった事を振り返らずに誰かを責める人にはなりたくない。



だからそろそろ自分を許してあげる。

誰かや何かを責めずに頑張ってきたこと。
あの時の私が出来る範囲で必死で頑張ってきたこと。
ただ、あの時の私はお母さんとしてちょっと未熟だったんだ。

だからあの時の私をそろそろ許してあげる。


それが結局、
息子も私も家族全員が幸せを感じながら
毎日を過ごせることに繋がるんだ。


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