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子どものお料理チャレンジは、私の忍耐チャレンジで、自分育てのきっかけなのだ。

長男が自ら「オレ、朝ごはん作るよ」と言い出した。
最近、動画をみては料理するのにハマってるらしい。

料理って子どもの体験として、良いこといっぱいだと思っている。

だから、やらせてあげたい。
朝ごはんまで作ってくれたよ。


サンドイッチだって。スクランブルエッグ作ってから挟んでくれたよ。
手が込んでるよね。


キャベツがまるまる入ってて、私はつい「キャベツ入れるなら千切りの方がいいんじゃない?レタスなら一枚入れるけどねえ」とか
今言わなくてもいいやつを言ってしまう。

「すごいね、上手に作ったね」と言いながら
自由にやらせてあげようよって、頭の半分でそう思っているのに。

もう半分の頭は、使い終わったフライパンが置きっぱなしだとか、床に砂糖が散らばってるだとか、明日の分のパンまで使っちゃったよ、とかで埋まってる。

大量の洗いものを見ては「片付けるまでが作業だよ」とイライラしながら言っている。

なんで、せっかく作ってくれたのに、こんなにぷんぷんした顔してるんだろうね。

スクランブルエッグとツナとキャベツの入ったサンドイッチはとても豪華で、ちゃんとあとからトーストもしてくれてるから、あったかくて、休みの日に息子がご飯を作ってくれるなんて最高に幸せだ。

イライラした10分後には「本当は料理してくれてとても嬉しいのに、イライラした言い方してごめんね」「すごく美味しかったよ」という私。

謝るくらいなら、最初から言わなきゃいいのにね。

そんな時長男は、「ごめんなさい」と謝る。せっかく作ってくれたのに謝らせちゃったよと、またそれを申し訳なく思う。

イライラした感情が動く時、そして同じパターンを繰り返すときは、大抵は育児は育自が潜んでる。私自身の中に何かイライラの虫が潜んでる。

息子が料理に挑む時、私はそのイライラの虫と戦って、育児は育自に挑むのだ。




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