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新訂 間違いだらけの参考書②

〈例2  センター本試験 2002年『故郷』〉

 泣いたらウソだ。涙はウソだ、と心の中で懐手して部屋をぐるぐる歩き回っているのだが、いまにも嗚咽が出そうになるのだ。私は実に閉口した。煙草を吸ったり、鼻をかんだり、さまざま工夫して頑張って、とうとう私は一滴の涙も眼の外にこぼれ落とさなかった。

(問)「閉口した」の意味として正しいものを次の中から一つ選べ。

 ①悩み抜いた  ②がっかりした  ③押し黙った  ④考えあぐねた   ⑤困りはてた

 


 「閉口」は元来、誰かに圧倒されて言葉に詰まるという身体的な行為を意味しますが、本文では対人関係がなく、ひとりの行為として為されているところから、「閉口」の第二義である、どうしようもない状況の中で困惑すること、という心の動きとして捉えます。まず、この点で、③「~黙った」が身体の動きですので、間違いとして消去されます。本文上、第二義で用いられている言葉を、第一義で捉えた、比喩の原義解釈に相当する間違いの選択肢です。

 ④は「あぐね」が誤りです。「あぐね」は、その行動を難ずること、つまり、その行動を為し得ないことを意味します。端的に言えば、「考えあぐね(る)」とは、思考不能の状態を意味しています。同様に、①「悩み抜いた」も「悩み」自体は、判断の確定に至らない状態を意味しています。これらの間違いの選択肢作成のスケールは、心情の有無であり、その前提における思考・判断が為されているか否かという観点です。心情把握問題の基本ですが、心情はその前提として、思考・判断の確定を伴います。理解(思考)が及ばないものに対して、人が何かしらの想いを抱くことはあり得ません。

☆思考・判断の確定が、心情発生の前提条件。

 泣き出しそうな自分に、自ら困惑している状態の心情が正解です。自分の弱さ加減ついては、十分、認識(判断)し得ています。思考・判断が為されているか否かにおいて、思考不能の状態である ④「考えあぐね」や、思考が定まらない ①「悩み抜いて」は、本文・正解のなのです。

 ②は対象(相手)のすり替えで作成された間違いの選択肢です。「がっかり」は、自分以外の誰かの行動が期待外れだった際の感情です。他者に対して寄せられます。本文中の「閉口」は、泣きそうになる自分に対する心情です。②では対象(相手)が自分から他者にすり替わっていることになります。

 選択肢の短さや、配点の低さを、楽観視してはいけません。選択肢の長短に関わらず、相当なレベルで複雑な解析が要されるのが、大学入試国語(現代文)の現実です。

 この問題についても、市販の参考書・問題集がどのような解説を展開しているか、ご覧下さい。先に紹介した設問と同様、そこには明解な基準も、誰もが納得し得るような、説得力ある解析も見当たりません。



『センター試験 過去問研究(通称、赤本)』 教学社

「人ごみに閉口した」などと使い、「うんざりして、困って何も言わない」の意。①②④⑤ とも文脈からも、語の用法からも不適。

 

 まず、この文章における「閉口した」が、言葉本来の意味である身体的行為ではなく、心の動きであることを判断すべき設問であるところを、こちらは「困って何も言わない」と、心の動きと身体の動きを兼ねた言葉として受け取っています。そうなると、身体の動きを示す ③「押し黙った」が消去できませんが、どうなのでしょう。

 また、正解以外の選択肢の解説が、一貫して「不適」だけでは、その理由もわかりません。また、これからどんなことに注意すべきか、という指針を得ることもできません。このような解説は、執筆者の独りよがりな「呟き」と相違ないでしょう。

 しばしば「お薦めの参考書はありませんか?」と聞かれますが、その答えは、皆無。多くの参考書・問題集が、相当な数の誤りを有しています。ただ、活字の表層をなぞっただけの無機質な読解は、方法論こそ誤っているものの、その結果については、弾劾するほどのものではありません。問題は、設問に対するアプローチの掛け方と、正解以外の選択肢の解析です。大雑把な数字で言えば、正解以外の選択肢の解析(解説)に関して、市販の参考書・問題集には、6割から7割前後の間違いが含まれています。先の設問でも上げた参考書の解説も見てみましょう。



『センター現代文のスゴ技』 角川書店

 ここは本文の構造から、泣いちゃダメだけど、嗚咽が出そうになる、その結果が「閉口した」のであることを押さえて、選択肢へGO! ③にした人、ダメー! 「閉口」を漢字だけで考えてるでしょ? 文脈も意識しなきゃいけないのです。だいたい、嗚咽が出そうで困っているんだから、「押し黙」れたら、問題解決じゃん(笑)。

  ①④⑤は方向性が似ていますね。こういう場合は、選択肢を「大は小を兼ねる」パターンが有効です。何となく、⑤が大きいってわかるでしょ? 特に④は考えが行き詰まる状態だから✕。嗚咽が出そうなのは生理現象であり、考えではないからね。

 

 カジュアルな語り口調の文体は良いのですが、あまりにもメチャクチャではないでしょうか。特に本文で問われている「閉口した」を棚上げして、「嗚咽が出そうになる」という独自の解釈を、選択肢の判別基準にしたあたりには、絶句させられてしまいます。大切なことは、この文章における「閉口」が身体的行為ではなく、の状態であることなのですが、もちろん身体・頭・心の分別スケールが有効であることなど、ご存知ないようです。もう一冊、ご覧ください。




 『センター現代文 解法の新技術』 桐原書店

 「閉口した」という言葉の意味を知っている人なら、即座に正解、⑤が選べる。念のために消去法も活用すると、「泣くまい → 泣きそう →(    )→ 泣かない」という前後の流れから、①と②が消去される。また、①は心理的な「悩み」であるために不適。③と④は、傍線部手前の「実に」とのつづき具合がおかしいため、正解とならない。

 

 本文の「閉口」が心の動きを意味しているにも関わらず、①が心理的なものであるからと消去していますが、それでは、この「閉口」が身体的な行為を示しているとでも言いたいのでしょうか。また、①②の解説や、③④について「つづき具合」などといった、いい加減な説明は子供だましにも甚だしいものがあります。元より、大学入試レベルで、言葉の意味を知っていれば即答できる問題など、一切ありません。

 

 しかし、なぜ、このような倒錯した指導が、現代文という科目にのみ頻発するのでしょうか。ここには、この国の国語教育の大いなる倒錯の影響を認めざるを得ません。小中高校時代を通じて展開される、感情の稼働を喚起し得ない無機質な指導は、国語(現代文)の時間を、自分たちとは明らかに異なる世界の住人である大人が、「わけのわからない」ことを宣う退屈な時間としてしまいます。その影響は、やがて生徒たちの日常的な理解をも蝕み、果てに、多くの人や物事に対して、関心を向けることさえままならなくさせてしまうのです。「コミュ障」と呼ばれる、自ら対人関係を構築し得ない若者たちを輩出したのも、この無味乾燥な国語の授業に由来するところが少なくないのではないでしょうか。結果として、大学受験科目でありながら、現代文において、人は真の理解や納得を求めなくなってしまっているのです。

                                                           現代文・小論文講師  松岡拓美


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