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希望と命がつづく未来

生きる意味。それはとてもシンプルで、いきつくところ「命と希望」を未来につないでいくことなのではないかと思う。分断と孤立、欲望と不満が渦巻くカオスな世界で、これからどう生きればいいか不安が広がる今。人としてどう生きて、何を残すのか、見つめ直す必要があるように思う。



変化する社会で起こること

漠然とした不安と自己防衛

格差、分断という言葉が頻繁に聞かれるようになり、多くの人が漠然とした不安を抱いていると言われる今。社会全体がそこに至った背景については長くなるので触れないが、個人の能力や努力では何ともならない社会システムが一つの要因であることに、多くの人は意識のどこかで気づいている。

その気づきが間違いでないことを、多くの学者が説いているにも関わらず、それを知ろう、理解しよう、解決のために何ができるかを考えず、先を読み、周りを読み、上手く立ち回り利口に生きる道を探す。自己防衛という本能による、生きる術でもある。


心理的不安が高まる社会のダイナミズム

人は本来、不安が嫌いだ。変化も苦手なようにできている。
それは自己防衛に必要なDNAに刻まれた本能で、潜在的に不安を感じていても気づいていないか、気づかないようにしていることが多い。

心理的不安が日々高まる今の社会では、ますます不安の原因から目を逸らしたい心理が働き、楽しいことだけを考えよう、ポジティブにとらえよう、あなたが幸せになろうという言葉や行動に惹かれるようになる。

それの何が問題なのか。
前を向いて生きる。何事もポジティブにとらえることは大事だが、時と場合によっては、課題から目を逸らす逃げ道となることがある。特に格差が大きくなっている今の社会では、無邪気なポジティブ思考の蔓延は、本来解決すべきはずの社会的課題を覆い隠してしまう。

それだけでなく、社会的に弱い立場の人たちに、本人の努力が不足している、選択した道が間違っていたからだという風潮をうみだすダイナミズムを起こす。その波は、社会的システムの様々な矛盾や歪みから目を逸らすだけでなく、自分は絶対、社会的弱者にならないという根拠のない自信とともに、無意識のうちに矛盾や歪みを受け入れて生きるようになる。

矛盾や歪みは、どんな時代にも存在する。
社会だけでなく、組織や家庭、個人のなかにもそれは必ず存在する。
小さな矛盾が積み重なると、個人も社会も、本来あるべき姿、本来通すべき筋から外れ、個人の意思や感情を押し殺して生きることになる。

果たしてそれは、本当の幸せなのだろうか。


本当の幸せ

幸せって何なんだろうと思うことが、よくある。
年齢と経験を重ねた今思う幸せと、もっと若かった頃に感じていた幸せ感は違うので、時代と環境、その時々の状況によっても変化する。

物質的に豊かになった今
好きな物を我慢することなく買えることや、経験したことのない旅をするとか、SNSでバズッたお店のバズッた商品を手にするとか、タワーマンションに住むことに、幸せを感じる人も多いと思う。

たしかにそれは、幸せな生き方の一つだろう。
でもそれは、欲しいものを手にした嬉しさや、頑張って何かを手にした達成感に近い感覚であり、心が満たされる幸せ感とは少し違う。

心が満たされるような幸せ感とはどういうことなのか。
日本理化学工業株式会社の故大山泰弘会長(2019年他界)が伝え続けた、人間の四つの幸せの積み重ねによって、得られる感覚なのではないかと思う。

「人間の究極の四つの幸せ」
 ◎愛されること
 ◎褒められること
 ◎人の役にたつこと
 ◎人から必要とされること

愛されること以外は、働くことで得られると言われている。
気づいているかどうかは別として、人は誰しも、この四つを満たされたいと潜在的には思っている。

だから人は、なりたい自分になる、夢を叶える、仕事も恋愛も上手くいくといった、自分を最大限活かしながら、幸せをつかめそうなフレーズに惹かれるのは、年齢や性別に関係なく自然なことではある。


複雑な社会で変わらないもの

個々人が幸せを感じることは大事で、その権利を奪われるべきではないし、夢を叶えることも、なりたい自分を目指して努力することも、ポジティブで素敵な姿であることは、間違いない。

ただこのところ
自分が幸せでなければ、人の役に立つ社会のためになることなんて、できるわけがないという風潮が強くなっているように感じる。

自分の幸せ=経済的、物質的な豊かさを得て、自分の夢を叶え、自分らしく生きること。そうなって初めて、気持ちに余裕がうまれ、子どもにも、周りの人にもその幸せを分かちあえると言う人に出会うことが、数年前から一気に増えた。

何を選択するのか、何をどうとらえるかは人それぞれだが、自分のことが先という考えは、気づかないうちに視野が狭くなり、自分の小さな世界観で社会を見て、判断しがちになる。

それがさらに、自身と社会の矛盾や歪みから目を逸らさせる。
ポジティブに自己実現を目指すことが、悪気なく、自己責任社会への加速を促すことになる。

誰だって幸せになりたい。
自分を認めてほしい、自己実現したい欲求は自然なことだ。
ただそこに、自分が先という優先順位をあえてつけることで、命をつなぐ、命を守るという、本来優先順位の一であるべき大事なことを忘れさせてはいないだろうか。

どんなに複雑で、カオスな社会になったとしても、人が人としてあるべき姿は、未来に命をつなぐこと。そして、その命が健全に、夢と希望を抱いて生きられる社会を未来につなぐことだと思う。それは一人でできることではなく、家族単位でできるようなことではなく、社会全体で考え、環境を整えていくことが必要不可欠。

誰もが幸せを感じ、希望を抱いて、心豊かに生きられる社会。
競争に明け暮れる社会よりずっと幸せなように思うけど、国が変わる、社会が変わるには何十年もの年月がかかる。どんな時でも不安なく、安心して生きられる社会になるのは、まだまだ先になりそうだ。


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