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【徹底解説】 映画『PERFECT DAYS』

いよいよもうすぐ米国アカデミー賞。
日本勢からも3作品がノミネートされています。
長編アニメーション賞の「君たちはどう生きるか」、視覚効果賞の「ゴジラ -1.0」、そして国際長編映画賞の『PERFECT DAYS』。

個人的にも昨年のベスト映画だったので、とても期待したいところです。
とはいえ他2作品が有力候補なのに比べて激戦区なのでどうなるか。

そんな期待も込めてより本作を楽しめるように色々調べたことをnoteにまとめておきたいと思います。


『PERFECT DAYS』とは

2023年 日本 124分 
監督:ヴィム・ヴェンダース 脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
出演:役所広司、柄本時生、アオイヤマダ、中野有紗、田中泯、ほか
配給:ビターズ・エンド

<あらすじ>
トイレ清掃員の平山は、朝起きて缶コーヒーを飲み、車で仕事に行く日々を繰り返す。そんなある日、姪のニコが訪ねてくる…

という、あらすじにすると2行くらいで全部言えてしまう内容ではあるのですが、これが何ともいい。
ストーリー性というか淡々と暮らすある清掃員の男の日常を見ているだけで、それは映像の詩のようでその言葉や表情や風景の向こう側にあるものが感じ取れたりして、そういうのがしみじみと沁み入っていいんです。

このトイレ清掃員の何気ない日常を描くという内容で、人気原作でも何でもない作品をつくるというのはなかなかできそうもないのですが、この映画の変わっているところがこの成り立ちにあります。
どんな経緯でできた映画なのかみてきたいと思います。


『PERFECT DAYS』の成り立ち

とにかく成り立ちが普通の映画とは違います。
というのもそもそも映画を作ろうとするところからスタートしていないんです。
この映画を作ったキーマンの一人がユニクロの柳井康二さんという方です。
アパレルメーカーのユニクロを運営するファーストリテイリングの会長兼社長の柳井正さんの次男でファーストリテイリングの取締役でもある同氏ですが、ユニクロとは別に個人プロジェクトとして、公共トイレをリノベーションする「THE TOKYO TOILET」を立ち上げます。

柳井康二氏


THE TOKYO TOILETとは

THE TOKYO TOILETは、「暗い、臭い、汚い、怖い」といういわゆる4Kと言われる公園にある公共のトイレの課題を解決するため、16人のクリエイターにそれぞれのアプローチで新しいデザインのトイレを渋谷区内に17ヶ所つくるというプロジェクトです。
そしてメンテナンスとしても通常1日1回の清掃を3回にまで増やし力を入れ、清掃員のユニフォームもNIGOさんに依頼して作るなどこだわり、維持していくことにも重点を置いています。


映像化へ

そんなTHE TOKYO TOILET のプロジェクトを維持していくためのPRとして柳井さんが相談したのが、高崎卓馬さんという方です。高崎さんは電通のクリエイターで、JR東日本「行くぜ、東北。」のキャンペーンなど数々の有名プロモーションを手掛けています。
最初は雑談から始まったそうなのですが、アイデアとして「音楽」でアプローチするという案があったそうです。17ヶ所あるトイレそれぞれにアーティストをつけて、それぞれ17曲をつくる。一つひとつのトイレに曲があってそれを作ったアーティストがいるというものです。
でもそれぞれの曲がバラバラでは統一感が出ないので、その統一感を出すために「架空の映画のサウンドトラック」を作るというテーマにしたそうです。

高崎卓馬氏

ところが柳井さんが興味を持ったのは、その「架空の映画」というアイデア。高崎さんはその架空の映画にも簡単なプロットを用意していたそうなのですが、実際は作らない映画なんだから面白いというスタンス。
柳井さんと高崎さんとの間で、作りたい、いや作らないのが面白い、という押し問答がしばしあったそうなのですが「高崎さんは映像の人なんだから映像でアプローチしないと」という柳井さんの熱意に高崎さんが根負けして、映像でのアプローチでの案になったということです。


ヴェンダースへ

映像でのアプローチとなったのですが、当初は短編を4作品ほど作るという構想だったそうです。
そしてその段階で、「監督どうする?」という話になりました。
高崎さんは、監督候補を何人か提案したそうなのですが、その候補の最後に現実的なものとは別に大好きなヴィム・ヴェンダースを候補として加えたそうです。
ところがそこに食いついたのがまたまた柳井さん。
柳井さんもヴェンダースが大好きだったそうで、「二人とも好きならこれはヴェンダースに頼むべき」ということで一番ハードルの高いヴェンダース監督にオファーすることになったそうです。

ヴィム・ヴェンダース監督

伝手を辿ってヴェンダースの連絡先を得て、アプローチしました。
大好きな相手なので好みを知り尽くしていて失礼のないように、こうすれば乗ってくるであろう、そしてこう言えば断りづらいであろうと提案にも工夫を凝らし想いを込めて交渉したのだとか。
そしてヴェンダースもTHE TOKYO TOILETのやろうとしていることにも賛同して、その結果、最終的には「I'm in」(やるよ)という返事が返ってきたということです。
そんな返事がきたなんて大興奮だったに違いない。ここから映像化が形になっていきます。

ヴェンダースといえば、70年代にニュー・ジャーマン・シネマを生み出したひとりであり、『パリ、テキサス』、『ベルリン天使の詩』などが代表作で、『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』『Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』など音楽や踊りにまつわるドキュメンタリーも撮っていて、本作でも音楽へのこだわりを感じられ、踊り手である田中泯を起用しています。

そして、日本の映画監督・小津安二郎を敬愛していることでも有名です。
『東京画』というドキュメンタリーも制作していて小津映画に所縁のカメラマンや笠智衆へのインタビューも含め、東京の街を映像に切り取っています。
『PERFECT DAYS』ではそれ以来の東京。
ドキュメンタリーのようなタッチで劇映画を撮っていきました。


役所広司へ

ヴェンダース監督への交渉と並行して、「役者をどうする?」という話も持ち上がってきます。そして、「ここはやはり日本で最高の役者でいきたい」となり、役所広司へ依頼することになりました。
役所広司へは、THE TOKYO TOILETの映像化であることを説きつつ、ヴェンダース監督の作品に出てほしいとオファー。(ただこの時はまだヴェンダースからの承諾前だったとか)
役所広司からは、「ヴェンダース監督の作品に出演できるのであれば、断る役者はいない」という返事がきて、出演が決まったそうです。
それに、THE TOKYO TOILETの活動にも共感し、トイレ清掃員が主人公なんて映画は商業映画では絶対にできない、そんな役をやってみたいと直感的に感じたとか。
脚本の高崎さんは役所広司へ依頼する前に実際にTHE TOKYO TOILETの清掃員の方について周りトイレ清掃をこなし、車で通っている感じや清掃の仕方や所作などを間近に見てかなり参考にしたそうです。

役所広司


映画制作へ

監督、主演俳優の承諾を得て、このショートムービーの企画は本格的に始動していきます。
当初は、4つの短編作品をつくるという想定で、ヴェンダースに企画を持って行ったそうです。
ただそこは高崎さん。案は4つの話ではなくて何十個もの案を持っていった。それをソファーで寝転びながら読んでいたヴェンダースは、むくりと起き上がり、その中のいくつかの案を並べて、「この流れで撮っていけば、一つの話になるよ」と言ったのだとか。

これが、この企画が長編映画になった瞬間でした。
そもそも長編映画にしたかったけど、長編映画としてのオファーとなると諸々と大掛かりな準備やスケジュールが想定されて、先延ばしにされたり実現性が低くなると思っていただけに、内心ガッツポーズだったそうです。

いずれにせよ、この作品は長編映画としてスタートし、2022年秋に16日間の撮影が東京でスタートします。
日数も限られているため雨の少ない時期を選んで決めた撮影初日、なんと天気は雨。ヴェンダースからは「東京の秋は晴れるんじゃないのか」と凄まれる。それでもヴェンダースはカメラをまわすように指示、役所広司はカッパを着て自転車に乗り、浅草駅の地下に降り、いつもの飲み屋に行く。
だからあのシーンの雨は本当の雨なんです。

そんなこんなで映画は完成し、カンヌ映画祭で役所広司が主演男優賞を受賞し、日本でも商業映画ではないにも関わらず、多くの劇場での公開となった。
そして映画の評価も高く、評判を呼び、日本代表として米国アカデミー賞にも出品するほどに。
商業映画でない、ちょっと変わった成り立ちの作品でしたが、結果としてはとても素晴らしい長編映画となったのでした。


平山さんのルーティン

映画の中で平山さんは決まったルーティンで日々を過ごしています。
朝は斜向かいの神社の箒の音で5時15分に目覚める。
歯を磨き、髭を剃り、植木に水をやる。
THE TOKYO TOILETの制服に着替え、玄関に置いてある財布やカメラ、鍵や小銭を取る。(腕時計は取らない)
そして自動販売機で缶コーヒー(ブラックではなくてカフェオレ)を買い、車に乗って出勤する。
その移動中にお気に入りの音楽をカセットテープで聴く。

平山さんのアパート

仕事は、渋谷区にあるTHE TOKYO TOILETのトイレを一つひとつ、丁寧に黙々と綺麗に掃除していく。
利用者の邪魔にならないよう、気を遣いながら、時にはトイレの壁つに映る木漏れ日の美しさをふと見ながら、また次のトイレを磨いていきます。
無口な平山さんは余計なことは口にせず、同僚のタカシが適当な感じでも自分の仕事をしっかりとこなします。
時には、木と踊っているかのようなホームレスの男を目にする。

お昼は安らぎのひととき。
公園のベンチに座ってコンビニのサンドイッチを頬張る。
その時にポケットからおもむろに取り出したフィルムカメラで、木漏れ日をパシャリと一枚写す。
隣のベンチには猫をあやすおばあさんや、虚な目をしたOLさんもいる。

仕事の後は、自宅に戻ってユニフォームを脱ぎ、自転車に乗って銭湯に行きます。
閉まってると思いきや、平山さん到着と同時に銭湯も開店する。それほど時間にぴったりに動いている。一番乗りだからお客さんのまだいない広々とした浴場で体を洗い、湯船に浸かり、1日の疲れをとる。常連客のおじいさんたちも入ってくる。立ち上がる時にお尻にイスがくっついちゃうのが面白い。

平山さんが行く銭湯

銭湯から出ると自転車で、いつもの飲み屋に行く。
甲本さん演じる大将が「おつかれさーん」と言いながら”いつものやつ”を出してくる。平山さんが飲んでいるのは酎ハイだ。
常連さんが絡んできても、フフフとにこやかに受け流す。
"軽く一杯ひっかける"とはコレという軽やかな飲み方でまた自転車にまたがり、自宅へ帰る。

平山さんの自宅にはテレビがない。
パソコンやスマホもなくて、夜は読書。
寝る前に読んでいるのはウィリアム・フォークナーの「野性の棕櫚(しゅろ)」。

休みの日は、
洗濯物をコインランドリーに出しに行って、フィルムカメラを現像に出して、前に出した写真を受け取り、家に帰ってそのフィルムを仕分ける儀がある。イケてるものは缶に入れ、ダメなものは破り捨てる。
そして平日はつけない腕時計をつけて、古本屋に立ち寄り、百円コーナーで好みの文庫を見つけて、夜はちょっといつもよりいい飲み屋に行く。
そこでは石川さゆり演じるママがいて、お通しのポテサラを出してくれる。
ここでも平山さんが飲んでいるのは酎ハイだ。

これが、平山さんのルーティン。
そして幸せな日常の日々。


隅々までいいキャスト陣

本作を観ているとちょっとした脇役にもそれなりの人がキャスティングされているのが分かります。
主役の平山さんの役所広司以外では、同僚のタカシを演じる柄本時生。
映画の冒頭15分くらい平山さんは全く喋らず、喋れない人なのかと思った頃に映画で最初に喋るのはなんと出てきたばかりのタカシ。
このダメダメな若者にハマってました。

柄本時生

タカシが想いをよせるアヤちゃんにアオイヤマダ。
公園のホームレスに田中泯。
家出してくる姪っ子のニコに中野有紗、その母親で平山さんに妹に麻生祐未。
休日の飲み屋のママに石川さゆり、その元夫に三浦友和。
常連さんにあがた森魚とモロ師岡。
平日の飲み屋の店主に甲本雅裕。
カメラ屋の店主に柴田元幸。
古本屋の店主に犬山イヌコ。
公園で猫と戯れる女性に研なお子、OLに長井短。
トイレに駆け込むタクシー運転手に芹沢興人。
ヘルプの清掃員に安藤玉恵。
下北沢のカセットテープ屋の店主に松居大悟。などなど

高崎さん曰く、「キャスティングは100点!」とのことで、理想の人たちにそれぞれの役をやってもらえたということらしいです。


映画を彩り、意味を持つ音楽

この映画でとにかくいいのが音楽。
平山さんが聞いていそうな曲というのを軸に、高崎さんとヴェンダースでこれぞという曲を出し合ったのだとか。

そしてこの映画でかかる曲は、劇中で平山さんがカセットテープで聞く時だけ。
BGM的にはかからない。
車で移動している時か、部屋のラジカセで聴く時だけなんです。

最初にかかるのは、アニマルズの「The House of the Rising Sun」
映画の冒頭で平山さんの出勤で車でかかる曲です。

この曲は、その後休日に行く飲み屋のママである石川さゆりがお客さん(あがた森魚)のギターで生歌を披露します。その時は日本語バージョンの「朝日のあたる家」。当たり前っちゃあ当たり前なんですが、石川さゆりの歌がとんでもなく上手いです。
元々は娼婦に身を落とした女性の懺悔の歌(刑務所説もあり)ですが、石川さゆりが歌う日本語バージョンは女郎屋の恋の歌でした。

石川さゆり

そして印象的だったのは、タカシが入れ上げているアヤちゃんことアオイヤマダが気に入った曲。パティ・スミスの「Redondo Beach」
彼女は持って帰ってしまったカセットテープを返しに平山さんの元に訪れるのですが最後にもう一度聴かせてほしいと車に乗って二人きりでこの曲を聴き、涙を流す。その涙の意味は語られないが何かあったらしい。
そして突然平山さんにチュッとして出ていってしまう。

このパティ・スミスの曲。アップテンポなノリのいい曲だと思っていたけど、歌の意味はレズビアンカップルの別れの話。出ていってしまった恋人が戻ってこないことを嘆いた内容なのです。
このシーンでこの曲が使われている意味を考えると、どこか孤独感のあるアヤちゃんの心情が分かるかもしれない。

アオイヤマダ

ちなみにチュッとされた平山さんはこの後、銭湯でひとりニヤける。
そして部屋に戻ってラジカセで聴いた曲は、ルー・リードの『PERFECT DAY』
若い女の子にチュッとされた日が平山さんにとってパーフェクトデイだったとは笑

姪っ子のニコちゃんの車に乗せて出勤する時に聴いたのは、ヴァン・モリソンの「Brown Eyed Girl」
女の子とのデートを歌った曲がここで流れます。
Spotifyをレコードショップか何かと勘違いしてしまう平山さんでした。

そして、ラストにかかるのはニーナ・シモンの「Feeling Good」
こちらは黒人差別からの自由を歌った曲。辛い過去を乗り越えて生まれ変わる、今はとてもいい気分なんだ(Feeling Good)と歌う曲です。
そこにあのラストシーンの役所広司の表情。
泣いているのか笑っているのか、何とも言えないどういう感情なんだろうかという表現なのですが、ニコちゃんが訪れた時から平山さんの平穏なルーティンは崩れていった。そしてニコの母であり妹の登場で過去が思い起こされ感情が溢れ出す。
それを経て、最後にこの「Feeling Good」の曲とともにあの名シーンが生まれました。

平山さんの過去は語られないけれど、きっと何かがあって、それで今の仕事と暮らしをしている。そしてそれは他に選択肢がなかったのではなくて、自らの意思で選んだ最良の選択だったはず。
ニコちゃんと妹の来訪によって、日々のルーティンは崩れ過去の記憶と思いがよみがえり、思いが込み上げてきた。

人は泣く時、ただ悲しいから泣くのではない、いろいろな感情が混じり合って笑いながら泣くことだってあるのかもしれない。


木漏れ日の映画

この映画をひと言で表すとすれば、それは「木漏れ日の映画」だということじゃないかと思います。
映画の最後にも「KOMOREBI」とは日本語にしかない言葉であることが注釈されます。
平山さんは、仕事の合間にもトイレの壁にふと映る木漏れ日を見て、その美しさを心に留め置くことができる人です。
それはスマホばかり見ている我々現代人にはなかなか気づけないことだったりします。
忙しさにかまけて心のゆとりがなく、日常に本当はある美しさに目を向けることができない。
だけど平山さんにはそれが感じられる、そんな美意識をもった人。
本当は持ちたいけど自分にはなかなか持てないその心の余裕。
だから我々は平山さんを羨ましいと感じてしまう。

木漏れ日を表現したかのような存在にホームレスの男がいる。
彼は公園の木陰でゆっくりと踊るように佇んでいる。
彼はもしかしたら木漏れ日の妖精かもしれない。
彼は平山さんのような人にしか見えない存在なのかもしれない。

ホームレス / 田中泯

平山さんが見る夢は、モノクロのインスタレーションで表現されますが、その映像を作ったのはヴェンダースの奥さんでありアーティストのドナータ・ヴェンダースさんが描いたもの。
いろいろな木漏れ日があったりしますが、12点の作品を展示した展覧会が映画公開と同時に開催されていました。(今はもうやってません)


カンヌ映画祭とアカデミー賞

この変わった成り立ちの映画は、短編をつくるところから始まって、監督がヴェンダースとなり、主演が役所広司となり、長編映画となり、そして素晴らしい作品となりました。

まず5月のカンヌ国際映画祭に出品されます。
そしてなんとそこで役所広司が男優賞を受賞するという快挙を成し遂げます。(日本人としては、柳楽優弥以来19年ぶり2回目)

カンヌ国際映画祭

このニュースは話題となりました。
でもまだこの段階ではこの映画がいつ公開されるのかは分かりませんでした。
夏頃に、12月22日公開であることが発表されます。
9月には、申請作品の中から米国アカデミー賞の日本代表作品とされて選考されます。
そして日本公開を迎え興行的にも大ヒット。
年が明けた1月、米国アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネート。
ここで受賞してもしなくてももう十分すごいです。


ここからは、ちょっと細かいポイントや見どころを少し。


ヴェンダースの切り取る東京

外国人監督が切り取る東京の画って、どこか異国感があって独特の風合いを生んだりします。
ソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』でスカヨハが彷徨い歩く新宿、ホウ・シャオシェンの『珈琲時光』でのお茶の水の線路や神保町の古本屋。

他にもいろいろありますが、本作では渋谷区にある世界一キレイであろう建築家によるトイレの数々、高速道路、スカイツリー、銭湯、飲み屋、そんな東京がヴェンダース監督の色彩によって切り取られていく。
そういう風景を見ているだけでも何だか新鮮で、だけど懐かしく感じてしまう。

鍋島松濤公園トイレ / 隈研吾

この作品、画角はスタンダードサイズなんです。
昔のテレビって正方形に近い4:3だったんですが、今は横長の16:9が一般的で映画も同じく現在は16:9のサイズが多いです。
ところがこの作品は、4:3のスタンダードサイズ。
左右の空間がない分、中央の平山さんのトイレを清掃する所作にフォーカスされています。


映画を深く知れるキーアイテムたち

音楽以外にも映画の意図を汲み取れそうなアイテムがあります。
その中のひとつが。平山さんの家には文庫本が本棚ぎっしりと詰まっています。
古本屋の百円コーナーで平山さんが購入したのが、幸田文の「木」という文庫本。これは作家の幸田文が草木にまつわるエピソードを綴ったエッセイ集で、自然のものを改めて見つめ直してみたりゆっくりとのんびりと読んでみたい本で、アパートの2階で草木を愛でる平山さんがチョイスしそうな本。

それと、ニコちゃんが泊まりにきた時に彼女が気に入ったのがパトリシア・ハイスミスの「11の物語」という本。特にこの短篇集の中の「すっぽん」という話に出てくるヴィクターにとても共感し、「私、ヴィクターみたいになっちゃうかもよ」と言ってみたりする。
『PERFECT DAYS』のパンフレットに寄稿している柴田元幸さん(本作ではカメラ屋の店主役)によると、この「すっぽん」の主人公ヴィクターは、不仲な母親を最後に刺し殺してしまうのだとか。
このキャラクターに共感するなんて、母親とケンカして家出して自暴自棄になってるニコの心境が示唆されていたりします。

パトリシア・ハイスミス「11の物語」


やがてニコの母親である妹が迎えに来ます。
高級車に乗って(しかも運転手付き!)ただならぬ上流階級感が漂います。
この時、妹である麻生祐未が持ってきた手土産は、鎌倉銘菓の「クルミッ子」です。
「兄さん、これ好きだったわよね」と言って紙袋を手渡します。
平山さんの部屋の中にもこの缶がある。
ここから推察されるのは、鎌倉あたりの名家に生まれながらも何かあって、「生きている世界が違う」と言われるような家族とは違う道を選んだのではないかということ。かつては近所にあったこのクルミッ子をよく食べていたのではないでしょうか。
この妹の登場で、はじめて感情が込み上げてきて涙を流し、抱きしめます。

クルミッ子


この妹が来訪するシーンで、ニコに自宅の鍵を渡して身支度するように言うのですが、この鍵も気になるアイテムでした。
というのも、平山さんは家の鍵かけていないんじゃないかと思っていたからです。
朝、鍵をかけずに玄関を出て、缶コーヒーを買い、そのまま車に乗って出勤する。何回かあるんですが鍵をかけている様子が全くない。
平山さんは取られるものもないと鍵をかける風習すら放棄しているのかとすら思っていました。
でもこのシーンでは家に鍵がかかっている。

実は、毎回鍵はかけているんだそうです。
ドアノブにプッシュ式のボタンで鍵をかけるタイプがあるのですが、これは閉める前にボタンを押した状態でドアを閉めるとそのままロックされる仕組みになっています。
今どきほとんど見かけませんが、昔のアパートには確かにこのタイプはありました。
そして平山さんが住んでいるアパートは築年数がかなり経っていそうで、そういう言われるとリアルにありそう。

ボタン式の鍵


この映画で一番泣いてしまったのは、休日の居酒屋のママの元亭主である三浦友和と平山さんが夜の河原で影踏みをするシーンです。
なぜそんなにグッとくるのか上手く説明できないのですが、二人が影を重ねたら濃くなるんじゃないかと二人でああだこうだ言うところでなぜか涙がこぼれ落ちてきました。
おじさん二人の間にちょっとした友情が芽生えた瞬間が何だかたまらなく思えてしまいました。
この影を重ねるというシーン。脚本の高崎卓馬さんが以前に書いた小説「オートリバース」にも出てきます。この小説は学生二人の青春物語なのですが、この二人の影を重ねたら影は濃くなるのかというアイデアは、前々から高崎さんの中にあったものだったんだなと思いました。


それと、平山という名前。
これはヴェンダース監督が敬愛する日本の映画監督・小津安二郎の代表作『東京物語』で笠智衆演じる主人公の名前が平山です。
当初台本には主人公の名前はなく、映画制作が進む中でヴェンダース監督が脚本の高崎さんに「そろそろ我々はこの男の名前を知る時かもしれない」と言って名前を決めることになったんだとか。


ネガティブな意見

見どころなどをいろいろ書いてきましたが、本作は絶賛されているばかりではなくてネガティブな意見もあります。
「自分には合わなかった」、「あんな暮らしできる訳ないだろ」などいろいろありますが、散見したのは「ユニクロとか電通によるプロモーションムービーだろ」という作品の中身というよりは、企業のニオイを感じとってしまってアート作品として受け入れ難いという拒否感です。
こういう意見が出るのはとても分かります。
なんかお金の力でいろいろとやってそう(よく知らんけど)という感じかと。

そもそもこの作品の成り立ちが特殊なので(冒頭の通り)、ある程度そういう誤解や意見が出ても仕方ないのかもしれません。(エンドロールにユニクロとか入ってるし余計に目立った感じはします)


お金のあるインディペンデント映画

この映画は、THE TOKYO TOILETという柳井さんの個人プロジェクトによって始まりました。
トイレ清掃員の日常などという内容では、映画会社への企画は絶対に通らない。人気マンガ原作みたいなファンがいて確実に売れるものしか映画化できない中で、こういう企画が実現できたのは逆に映画会社を入れていないから。
個人的な会社で全てを賄うからこそ、誰の意見にも邪魔されず、やりたいことをやりたいようにやることができた。
まさにインディペンデント映画の作り方。
お金がないと有名監督や有名キャストを用意できないなどハードルはありますが、本作はそれをやってのけた。いくらかかっているのかは知りませんが、予算が使えてとことんやりたいことができる。
これは「お金のあるインディペンデント映画」とも言われる。
そしてクリエイターたちの才能が見事に発揮されて良い作品となった。
まさに理想の展開。

映画ファンとしては、良い作品が出てくることは嬉しい。
みんなマンガ原作ばかりだと寂しいし、もっとオリジナルも観たい。
何かそういうひとつの流れができるといいなと思う。


最後に

小津安二郎のこととか、まだまだ他にも書きたいことはあるのですが、とことん長くなってしまいそうなのでこのくらいに。
個人的にも昨年のベスト映画でした。
いろいろ調べて、インタビューとかも読んで、裏話なんかも知ってからまた見直すとさらに面白かったりします。

アカデミー賞でも受賞したりなんかしたらまだまだ劇場での上映も延びると思うので、未見の方はもちろん、2回目、3回目も楽しんでもらえたらと思います。


最後までありがとうございます。




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