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【戦後作家の肖像⑥】女性作家はなぜデビューが遅いのか?

「戦後作家の肖像」
今回で第6回めになります。
5回までは男性作家ばかりだから、
そろそろ女性作家はどうしていたか
調べてみました。

戦後作家というと、
敗戦1945年に
10代20代だった人が、 
敗戦を境にして
創作活動をはじめ、
1945年以降、
とりわけ、
1950年代に活躍しだした作家が多く、
特に男性作家はそんな人が多い。

戦時中に、30代なら
軍隊に呼ばれやすい、
あるいは、戦争中にすでに
作家デビューしてる場合があり、
戦後作家とは呼べないのですね。

ところが、 女性作家の場合、
たとえば、長崎で被爆した
林京子は、1930年に生まれ、
敗戦は15 才で体験している。
そのあと数年〜10年を経て
作家デビューしていたら、
典型的な戦後作家になってたんですが、
林京子はデビュー作で芥川賞を 
獲得したのは、1975年。
敗戦から30年も経っているんです。
苦労が多かったんでしょう。

『白い巨塔』などで知られる
山崎豊子は、
1924年に生まれ、
敗戦の時は、21才で
井上靖のいた毎日新聞で
記者だったのですが、
直木賞を獲得したのは
『花のれん』1958年でした。
敗戦から13年が経っています。
山崎豊子は記者だけあって
早い時期にデビューしたほうです。

『塩狩峠』で知られる、
カトリック作家、三浦綾子は、
1922年に生まれ、
敗戦を23才で迎えている。
年齢は典型的な戦後作家。
なのに、作家デビューは
1965年に刊行された『氷点』です。
敗戦から、20年が経っている。
戦後作家と呼んでいいかどうか、 
危ぶまれそうな年。
作家になる前は確か、
学校の教員をしていました。

瀬戸内寂聴、
いえ、当時、瀬戸内晴美は
1922年に生まれ、
敗戦を23才で迎えている。
デビュー作は1956年だそうで、
敗戦から11年ですか。
戦時中から創作に励んでいたから
デビューも比較的早い。

一方、同じく、1922年に生まれた
詩人・石垣りんさんは、
敗戦45年を23才で迎え、
1959年に第1詩集を出しました。
敗戦から14年が過ぎていました。

それから、田辺聖子さん。
彼女は1928年生まれで、
1945年の敗戦を17才で迎えている。
もっとも多感な齢ですね。
そんな田辺聖子さんも
芥川賞でデビューしたのは1964年。
敗戦から19年の歳月が過ぎています。
時代的には戦後とは呼べないでしょう。

ちなみに、林芙美子は
戦前にすでに活躍し、
戦中も、大陸にわたって
臨時特派員になっている。
どうも、林芙美子は
戦後作家とは呼べそうにない。

さて。先に挙げた女性作家、
林京子、三浦綾子、石垣りんらは、
デビューまでに
敗戦から十数年以上の歳月が
かかっている場合が多かった。
戦後は社会はまだまだ遅れていて、
女性が作家になるには、
負荷が多かったのでしょう。

親と暮らす男性作家や、
または、夫婦で暮らす男性作家は
生活からは自由だったでしょう。
女性には生活苦が多かったけれど、
男性には生活苦はなかったか
軽減されていたでしょう。
女性作家がデビューが
遅くなるのは、
家事、育児などが
女性の足を引っ張ったのか。
戦後すぐに創作活動ができたのは
きっと男女とも恵まれた
人だけだったのでしょうね。

女性はまず生活をこしらえるという
「仕事」があったにちがいない。
女性が創作活動をスタートするには、
男性作家より圧倒的に不利だったに
ちがいありません。

今日はもともとは、
誰か一人の女性作家を
取り上げたいと
最初は考えてましたが、
生まれた年や、敗戦した年、 
またデビューした年を
書き出しているうちに、
これはどうも男性作家とは明らかに
背景が違うことに気づき、
話は逸れに逸れました。

いや、重要なことに気づけた、
というべきかもしれません。
私にしては珍しいかも…(笑)。


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