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【読み過ぎ】なぜ昔、文学は読みすぎてはいけないと言ったのか?

聡明な人はしばしば言う。
本ばかり読んでてはよくない。
本の世界に溺れてはいけない。

どうしてだろう?

私はお風呂もトイレも
散髪中も本がないと、
息もできないくらいになる。

こういう風に
「中毒」や「依存」になるから
よくないというのか?

自分の理解や
現実世界の認識が、
本中心になるからか?

よくゲーム、アニメでも、
そんな風にその世界に
どっぷりハマるのは、
影響をうけるから良くないと
「風紀委員」みたいな人は言う。

でも、ゲーム業界の人や、
漫画編集やアニメーターが
大量殺戮を犯したなんて話は
聞かないですよね。

ところで、料理や瞑想は、
やり過ぎを非難する言葉は
あまり聞いたことがない。
やればやるほどいいみたいな?

ならば、なぜ、
本の読み過ぎは
よくないと言われるのか?

たぶん、
知的理屈のうまい著者らが書いた
文章や主張やメッセージを
疑わずに信じて読むから?
真に受け過ぎるから、かな?

小林秀雄が書いていました。
聖書が書いてる、
宮沢賢治が書いてる、、、
と言われたら有り難く価値が出る。
それをありがたく読み、
なぜそう理屈を組み立てるか?
疑わないで読むのは、
実は「思考停止」でも
あるんですよね?

そんな風に太宰治ばかり
ありがたく読むなら、
軍部「大本営発表」?を
信じるようなものかも…?

太宰治の思考法の弱さ?狡さ?を
指摘し、汲み取るのも
大事なことでしょう。

太宰治の場合
お金が至急必要で、
担当が採用しやすい作品を
書いた場合もあれば、
第1回芥川賞から落とされた
悔しさで文壇長老を
あっと言わせたいから書いた
怒りの作品もあるでしょう。

本は疑いながら、
書いた人の意図や本音を探しながら
読み進めたらいいのかな?

そうしたら「読み過ぎの毒」に
当たらないのではないか。

どんな立派で偉人扱いな著者も
やはり弱い人間に違いないから。

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