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【文学】トルストイの死にざまに感動する人、落胆する人。

昨日、ある文章を読んで以来、
なかなか頭から去ってくれない。
非常に困っています。

それは、ロシアの文豪
トルストイの死に方を巡って、
日本でささやかな議論が
起きていたという話。

私が読んだのは、小林秀雄「作家の顔」
という短いエッセイです。

トルストイが亡くなったのは、
1910年11月。
作家として、
農奴解放運動家として、
人格者の権威として、
世界中に読者や信奉者が
まだまだたくさんいました。

そんなトルストイが
夫人との長年の家庭内不和、
夫人のヒステリーの舌鋒から
逃れようと家出したのです。
そのまま、田舎の小さな駅の宿舎で
肺炎で他界してしまいました。
享年82。

あの文豪にして偉大なる思想家の
トルストイ翁が、
80過ぎて、家出?
奥さんから逃げるため?
そのまま小さな駅舎で病死?

かのトルストイも
情けなさ極まれり??

それまで、トルストイの
『戦争と平和』『アンナ・カレニナ』
『復活』などに感銘を受け、
励まされ、学んできた世界中の
読者たちは、呆然とするほかなかった。

日本では、
評論家・正宗白鳥が
そうした主旨の文章を書いた。

そこへ、
反論をしたのが
まだ若き小林秀雄でした。

夫人から逃げたくて家出する、、、
トルストイは一生をかけて
常に生活を通して苦しみ、
懊悩し、闘っていた。

抽象的な説法ではなく、
具体的な生活に苦しみ、
そこから、
地に足がついた思想や着想を
得てきたにちがいない。
もしもそれがなかったら
トルストイの作品や主張は、
こんなに世界中に通じるものに
ならなかったでしょう?

小林秀雄は、
こうした反駁を書いている。

私は『アンナ・カレニナ』で
挫折して以来、トルストイを
読んでこなかったけど、
その文豪には、
こんなチャーミングな死に方が
あったのかと、愛しさすら
感じるようになりました。

よく、悪妻は才能を育てるなんて
妙なことをいいますが、
トルストイの場合、
ケタが違いすぎます。
30代で、夫人と結婚して以来、
82才になるまで、
50年以上、苦しみ続けたんですから。

それに、結婚の問題は、
夫人に責任がある訳ではなく、
トルストイ側にも、
夫人をヒステリーにさせる何かが
あった訳で、 
生涯を通じて、
ロシア政府や、
近隣の貴族たち、
また、ロシア正教会と激しく
闘ってきたトルストイでも、
奥さんには敵わなかった。
これを小さな小話なのか、
深い意味をもつ人生論だと捉えるか、
それは、読み手次第ですね。

レフ・トルストイの代表作
『アンナ・カレニナ』の
あまりにも有名な冒頭を引用し、
トルストイの忌の際に
思いを馳せたいと思います。

「幸福な家庭はたいてい、
どこも似通っているものだが、
不幸せな家庭は、どこも
必ず、似たところもなく、 
個性があるものである。」

トルストイはどっちだったろうか。
不幸せな家庭だったろうか。

近年、ロシア作家というと、
ドストエフスキーが断トツですが、
ウクライナ侵攻以来、
トルストイの『戦争と平和』は
よく売れているらしい。

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