【真実】真実を求める本能 VS 真実を笑う本能!?
この世の中の本は、以下の
2タイプに分けられる気がします。
真実に近づこうとする本と、
真実なんて大したことがない、
もっと世界はユーモラスだから
もっと世界のディテールを
楽しんだ方がいいと訴える本。
①真理を信仰する本と
②真理なんてと哄笑する本。
もう察しの言い方は、
勘づいておられるでしょう。
①は、大江健三郎タイプ。
②は、筒井康隆タイプ。
普遍的な、宇宙的な真理を
めざしたくなるのは、
きっと人間の本能かもしれない。
哲学や歴史、ノンフィクションの
本は大抵、この①タイプですね。
一方で、
真理とか硬い話もいいけれど、
サッカーや鉄道やアイドルなど、
インディビデュアルな
ディテールを深堀りするのが、
②のタイプでしょうね。
でも、ディテールを
馬鹿にしてはなりません。
細部にこそ神は宿るといいますね。
アイドルを深堀りすることで、
人生の真理に近づくことは
できるかもしれません。
いや、最初から真理真理と
うるさいタイプより、
細部から真理に至るような
ディテール派が信頼できるかな。
①は大江健三郎、夏目漱石、
三島由紀夫、太宰治、中上健次、
柄谷行人、小林秀雄、松本清張、
日本の近代文学は、
リアリズムをモットーにしがちだから、
日本の小説はほとんどがこちらに。
それから村上春樹、、、、うん、あれ、
村上春樹はどっちだろうか?
SF作家で人間の真の姿を
見つけようとした作家の何人かは、
①タイプかな。
アイザック・アシモフや
フィリップ・ケイ・ディックやら。
また、アメリカにしては
珍しかったリアリズム作家
レイモンド・カーヴァーも。
それから19世紀作家の
トルストイやドストエフスキー、
ディケンズやフロベールらは
みな、人間とは何かを
追求し続けた作家ばかりだ。
漫画家でいえば、手塚治虫。
さて。
②の真実哄笑派は、
安部公房や筒井康隆、星新一が
すぐに浮かびますね。
芥川龍之介もこちらかな。
川上未映子にもそんな気配がある。
SF作家カートヴォネガットJrも
②のタイプかもしれない。
最初は①だったけど、
真理を探し続けて、
どうも見つからなくて、
ウンザリしながら、
時には①タイプに、
時には②タイプに傾く気配が
ヴォネガットにはある。
それから中南米作家の多くは
こちらでしょうか。
『百年の孤独』を描いた
ガルシア・マルケスらは、
その典型でしょう。
リアリズムではなく、
マジック・リアリズム、
マジック、つまり魔術ですからね。
日本では、
佐藤正午や片岡義男、村上龍など
洒脱な小説家も、
この②のタイプに入る気がする。
漫画家なら、
水木しげるは明らかに、
真実なんて必要ない派だった。
真理を探して、見つからなくて、
ウンザリしたタイプというのは、
かなり多そうですね。
そうした両タイプのあいだに
様々なグレーゾーンの作家たちが
ぎっしり存在している感じですね。
私はふだんは、つい、
真理が欲しくなりますが、
そんなプラトニックな?
唯一絶対的な?何かを
欲しい時こそ、
硬い頭の中をグチャグチャに
してくれる②タイプを読んで
ちょっと頭を冷ましたい。
だって、真理なんて、
作ろうと思えば、
人の数だけ真理は作れるのだから。
宗教、家族愛、自己愛、
博愛主義、お金、恋愛、自己啓発、
どんなところにも、
真理は探せばわんさか出てきます。
真理なんて、まあ軽やかに
かくれんぼを繰り返すのが、
もしかしたら、丁度よい代物でしょうか。
でも、真理が欲しくなるのもまた、
人間の本能ですからね。
今夜は、かたまり気味の頭の中を
グチャグチャにするよう、
筒井康隆を読もうと思います(笑)。
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