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【読書】戦争小説や戦後文学はどうしたら親しまれるようになるだろう?

先日、noteで「夏は戦争文学の季節」
といった記事を書きました。
祖父が両人とも、もろに
戦争の犠牲にあった私としては
どうしても「戦争」は圏内にあるから。
父方の祖父は、海軍の軍人で
でも戦争中に結核に罹患し、
戦後になってなくなりました。
元軍人というのは、
戦後民主主義の時代には、
悪人として、生き辛い時代でした。
戦争中、威張っていたかどうか
わかりませんが、
戦後は家に石を投げつけられたり、
放火されたり、、、、
元軍人=悪人だった時代でした。

戦後文学で、
父親が軍人だったため、
戦後、貧しい苦難を体験した
阿部昭、色川武大などは
父の没落や家族の没落を書きました。

ところで、私のもう一人の祖父、
母型の祖父は、
戦地で足に傷を負って、
すぐに処置しなかったため、
老人になっても、
傷跡にお酢のような薬を塗ってました。
毎晩、ぷーんとお酢の匂いがすると、
あ、祖父が戦争の傷跡を洗ってるな、
と思ったものです。

まあ、あの戦争では
大勢の人が命を奪われ、
また、外国人の命も
奪ったのですから、
私の両祖父なんて、
まだマシだったのですが。

ただ、あの記事を書いたとき、
ある聡明な方が、コメントで、
「戦後世代として
戦争の歴史を背負うのは酷」
という感想をいただきました。

確かに私が、挙げた戦争文学は
昔からの定番ばかりで、
『野火』とか『ビルマの竪琴』とか
若い人からしたら、
読む気が起こらないわあって
言われても仕方なかったですね。

私はもう頭が固いというか、
発想が古いというか、
ちょっと凹みつつ、反省しました。

でも、今の若手がいくら戦争を調べて
書いても、戦争を体験した作家の
作品には、やはり見るべきところが
あるんじゃないかしら?と
古臭い私は思ってしまう。

でも、たしかに戦後文学は、
どうも…という方がたくさん
いることも実感としてわかります。
大正時代、明治時代は
かなり距離があるから、
ノスタルジーに感じられて
問題もないのですが、
昭和時代はまだカサブタに
なってるくらいで、
親しみを持てないのですかしら?
暗い、硬い、重たい、狭い…
そんなしがらみでびっしりな感じが
戦後文学には付きまとうんですね。

それならば、
ちょっと読みやすい
今の作家が書いた戦争小説が
ずっといいでしょうね?
汗、涙、、、、。

もし、著作権が切れたら、
戦争小説や戦後文学を
「ファスト文学」にしちゃって
若い人にもせめて
あらすじだけでも知ってもらうのは
どうでしょうね?

あ、今、ちなみに、
漱石『吾輩は猫である』を
じっくり再読して、
『ファスト映画』ならぬ
『ファスト文学』も
違法ではない方法で
取り組めないか?
探りながら読んでみます。

漱石は完全に著作権は
切れていますし、
お孫さんによって
フリーコンテンツになりました。

ただ、近代文学の至宝を
私ごときが短くしたり、
ある個所をばっさり削除して
近代文学の研究者からは
大バッシングを受けそうですね、
汗、汗、汗。

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