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【文学と年齢】小説はなぜ青春ものが多いのか?

小説には色んな分野がありますね。
スポーツ小説、戦争小説、
サイエンスフィクション、
グルメ小説、恋愛小説、
ミステリー小説、ホラー小説、
コメディ小説、お仕事小説。

また、こんな分け方もあります。
青春小説、
成長小説(教養小説)、
中年小説、
老人小説。
これらは、主人公の年齢を
基準にした分類ですが、
いま、一番、刊行されている小説は
やはり青春文学でしょう。

それもエンタメ文学として
すっかり味付けされています。
青春ミステリー小説、
青春コメディ小説、
青春ホラー小説、
青春シリアス小説、
青春クライム小説などなど。

青春小説とは正反対の
老人小説もよく見かけますが、
老人小説といえば
断トツは、筒井康隆ですか。

でも、やはりまだ、
老人文学は一部であって、
小説はほとんどは、
圧倒的に青春ものです。
 
ところで、
一人の主人公の一生を
青春期も老年期も両方書いた小説は
どうでしょうか?
なかなか見当たりません。 
スケールの大きな小説が
減ってきたのでしょうか。

朝ドラやら大河やら、
ドラマは主人公の
青春から老年まで描かれますが、
小説は青春が多いですね。

小説で人間の一生を追いかけるのは
長過ぎるということかしら?
退屈過ぎるということかしら?

でも、長編小説だって
人気があるものはあるんだから、
長いのが悪いとも言えません。
京極夏彦さんのミステリーは
どれも分厚くて、鈍器みたい(笑)。
でも、京極さんの話自体は、
大河小説ではないですね。

戦後、日本で流行した
フランスの小説
デュ・ガール『チボー家の人々』や
プルースト『失われた時を求めて』
ドイツの小説では、
トマス・マン『魔の山』
アメリカではパール・バックの
『大地』などが浮かびますが、
まあ、私はまだどれも、
登りつめたことはありません(汗)。

日本文学では
北杜夫『楡家の人びと』が
立派な大河小説ですね。
『楡家の人びと』は、
病院長で歌人の斎藤茂吉を中心にした
一族三世代にわたる
浩瀚な大河小説です。

近代日本にはこれまで
主人公が三世代にわたる
壮大な小説はありませんでした。
なかったこと自体、
不思議といいますか。
三島由紀夫はこの本の出現を
市民社会が到来した証拠だと、
絶賛したほどでした。
今も『楡家の人びと』を超える
壮大な三世代小説はないような…。

でも、一人の人間の一生が
まるごと丁寧に描かれたり、
何世代にもわたる人間が
しっかりと描かれていたり、
そんなスケールの大きな作品が
生まれたとして、ですよ、
今度は、私たち読み手がそれに
ついていけるかどうか、
自信がありません。
そんなことはないですか?
こっちはこっちで、
短気さ、刺激性、スピードなどで
さっさと展開する方に慣れていて、
大河小説には向き合えない体質に 
なっているかも知れません。
つまらない奴になったなあ(笑)。

あ、そうかあ。
読める人自体が減少したから、
だから、大河小説が
なくなっていたのかあ?

その点、青春小説なら、
サッとスタートして、 
ドッと大きく盛り上がって、
サクっと終わりを迎える。
こちらの方が読みやすいのは
確かですね。

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