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【視野】視野を広げるとは→自分を無にすること?

視野を広くしたい。
そういつも思ってました。
自分は視野が狭いと
感じてるからです。

具体的には、
それは見える角度を広げて
遠くも見えるようになる、
そんなことだと思ってました。

でも、見える角度を広げても、
深さが浅いなら、
それはただ、機敏で要領がいい
腰の軽い人にすぎない…ですね。

「視野を広くしたい」だけでは
どうも違う…生まれ変われないようです。

では、改めて、
視野を広くするとは?
どういうことでしょう。

それは自分の欲や都合や
他人に対するエゴイズムを
一度きれいに無くして、
自分を「無」にすること?

他人や世界や出来事を
自分を無にした上で、
観察したら、世界はくっきり
クリアに見えるようになるかな。

自分の感情や欲望を
混じえてしまうと
ものごとは最初から
その分、歪んで見える…。

でも人はつい、自分の感情から
ものを観てしまうんですよね?

もうずっと忘れていました。
「自分を無にする」という言葉。
それは司馬遼太郎が
明治維新の幕開けを描いた
『翔ぶが如く』で、
西郷隆盛の精神的な構造を
さす時にしばしば使われていました。

他にも、幕末の吉田松陰も、
司馬遼太郎は「自分を無にする」
精神構造を持ってたと書いてた。

「自分を無にする」なんて
偉人・西郷隆盛や吉田松陰が
なんとか成したことで、
私みたいな凡人には
無理かもしれません。
でも、視野を広げることと
関係がある気がするんです。

50才も過ぎると、
人間は自分をゼロにはできないし、
自分の存在を出発点にして生きるのが
分別だということも
重々承知してるのだけれど、
あまりにも、その分別や常識に
慣れ親しみ過ぎると、
つい、初心を忘れてしまいますね。

視野の狭い人にうんざりして
視野を広げようとしていました。

気づいたら、これ自体、
自分の拙さを隠したい、
自分の○○が情けない、
そんな感情が動機として
奥底に埋まっていたんですね。

視野を広げる、とは
どういうことか?
意外と難しく、意外とシンプル。
単にくるっと360度見るようにする、
のとはまた違いますね。

改めて考えだすと
わかってるようで、
よくはわかってないことが
案外たくさんあるでしょうね。

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