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【書く】クリエイターは熱いうちはペンをおけ?

「クリエイターは熱い内はペンを置け」
と学んだことがあります。
本当は逆ですよね。
「鉄は熱いうちに打て」ですものね。

もう15年くらい前、私は
とある雑誌の編集長のヒントを元に、
数々の時代劇の創作秘話を
漫画化する仕事を、
やらせてもらいました。
フリーランスの身ながら。

その本で、京都太秦・映画村の
誕生秘話を取り上げた事があります。

取材に京都まで
ライターさんと行きました。

その前には、東京の東映本社にも
映画村開村時代を知る
偉いさんにも話を聞いてました。

太秦では、もう退社した
ベテランの方々が取材のため
待っていてくれました。
何人も来てくれました。

1950、60年代は映画黄金期。
ところが、テレビの黎明期が 
60年代末から始まり、
70年代には映画を越えてしまいます。
時代劇の映画がそれまでは
月に何本も作られていたのが
月に数本になりました。

そこで困るのが、
俳優さんや監督、
シナリオライターさんたちです。

でも、もっと言えば、
撮影所のスタッフさんたちです。
大道具、小道具、照明、カメラ、
衣装、化粧係、かつら、効果音係…。
そんなみんなが食べられて、
かつ、時代劇っていいなあ、 
という伝統を絶やさないでいたい。

そのためには、
撮影所を、テーマパークにする
しかない、とある人が考える。
次に、一人一人に話して
口説いていく。

元はなんと言っても、
カメラや照明さんです。
プロの技術屋さん。
とびきりプライドが高い
職人さんたちです。
そんな彼らに、
今の撮影所を、観光客に見せて
楽しんでもらいましょう、
テーマパークにしましょうなんて、
誰が首をたてにふるでしょうか。

それが、少しずつ、説得の
かいあってか「映画村」開園へ 
こぎ着けました。

そんな取材の中で一番困ったのは
一番の立役者は誰だったか?
みんな口々に違う話をすることでした。

まさに、真実は薮の中!
誰が一番の功労者か?
NHKテレビ『プロフェッショナル』
みたいに誰かを一人、立役者にして
良いドラマにしたくなる。

ところが、時代が古いこともあり、
関わった人も多いから、
私だ私だと、立役者が多くなる。

これは困ったなあとなりました。
しかし、私やライターさんの
頭の中には、
熱心に話してくれた
元スタッフさんたちの身振り手振りが
焼き付いています。

それで、いわば混乱したまま
漫画家にシナリオを渡すことに
なりました。
漫画家は人生の達人、黒鉄ヒロシさん。
シナリオを読むなり
「きみ、取材で集めた情報を、
一度、全部捨ててから書きなさい」

「取材の感動は伝わるけど、
これをシナリオに、漫画には
できないよ」と言われました。 

私が立役者だ、いや私だ!と
めいめいが主張する
元撮影所スタッフさんにも、
他意はありません。

しかし、証言を検証しても
同じ繰り返しでしょう。

しばらくして、
漫画家・黒鉄さんに、
もう少し整理したシナリオを
持っていきました。 

すると、黒鉄さんはもう自分で
原稿を書きあげていました。
え?あれ?
もうペン画?
鉛筆原稿の段階で
東映本社や太秦映画村に
見せてチェック受けるはずなのに、
どうしよう!?
私は顔面蒼白になりました。

いざ、黒鉄さんの完成原稿を 
その場で読みました。

誰もがワッと集まり、
土煙りが舞って大変な騒ぎになり
しばらくしたら、
みんながまたその場から離れ、
きづいたら映画村が
出来ている、、、、
つまり誰が立役者か?論争は
まるで関係ない流れで
みんなが少しずつ参加し貢献し、
チリツモで出来たのが映画村、
という訳です。

なんだか、手品というか、
マジックというか。

これなら、京都に取材に行く
必要もなかったかも…涙。

黒鉄さんは私の浮かない顔を
ニヤニヤ見ながら、
「しょせんはサラリーマンや
スタッフの手柄話を
誰もそんなに読みたくないよ」

そっかあ。なるほど~と
思いながら、その原稿を持って
東映本社に向かいました。

東映の偉いさんが
こんなのだめだよと言ったら
またやり直しです。
東映のOKがない限り、
太秦映画村の話は、
世の中には出せません。

出す出版社もあるでしょうが、
当時私が働いてたのは
非常にそこんところは慎重でした。

ハラハラしながら
東映に向かいました。

さて、、、、、
東映の映画村開園時を知る
偉いさんに原稿を見せたら、
ニコニコしだしました。
「さすが黒鉄さんですな、
誰が一番貢献したかなんて、
社内のうちわ話に過ぎないし、
それが漫画になったら独り歩きし、
不快に思う人も出るでしょう。
そこから数歩はなれて、
村が一から出来るまで、
大きな流れで書いたんですね」

私は言葉がありませんでした。
まるでわかってなかったんです。

サラリーマンの自慢や手柄話を、
あの『プロフェッショナル』に
すっかり影響されて
自分もそんな漫画作りを
しようとしてました。

でも、そうじゃないドラマも
あるんだぞ、と黒鉄さんは言い、
東映のおじさんも、
それに賛同した訳です。

『プロフェッショナル』も実は
裏で相当に「創作」「加工」してる
んでしょうね。

結局は、黒鉄さんの慧眼で 
漫画は無事、雑誌に載り、
単行本にもなりました。

成功ドラマは確かに人気です。
でも、語る側はちょっと
盛って語ってるものです。

「取材で得たことは、
一回、全部、捨てなさい」
という黒鉄さんのあの時の言葉は
今も耳にしみついています。

 noteで何か書く時も、
一度、収穫した熱、閃いた熱は
冷やしてから書くようにしています。

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