対談本は、どうしてアタリ・ハズレが多いのかな?

対談の本がわりと好きです。
ざっくばらんに読めるから。

書く脳みそと話す脳みそは、領域が
全然違うわけですから、
書いてできあがる本と、
誰かとの対話をもとに
作られた本は、よくも悪くも、
出来具合が違うんですよね。

やはり、人が紙やパソコンに
集中して書き上げる時は、
深く鋭く掘り進められる。
一方、2人で話をして
文字にする本は、
深くなりにくいけれど、
会話でしか起きない
話の展開や広がりがある。

ただ、作者や編集者が
甘い魂胆で作ろうとする
場合もけっこうある。
2時間の対談を3回位したら
1冊にできるな?など。

あるいは、敬愛する作者が
「今度、誰々と会って話したいなあ」
というと、担当編集もがんばって
そのリクエストで動く場合がある。

こうした例は出来の悪い対談本に
なる可能性が高い。
できれば、トークの達人が主になり、
その人が話してみたい相手を
選んでくるのが、
良い対談本を作る流儀でしょうか。

とはいえ、どんなに良い条件で
対談本を作っても、
やはり深さ、鋭さ、世界観では
一人が執筆する本には
どうしたって及ばないですね。

対談本を読んで、そこで
がっかりする人も多いはず。
そこは、世間話を聞くつもりで
読むのがいいかと思われます。
考察の度合いは浅いですから。

とはいえ、本来なら
会うはずのない二人が
出版社の提案で会う羽目になり、
話をするから、思いがけない
化学反応が起きることも。

本当ににわか作りで、
どう考えても手を抜きたい
作者と編集者が
やりやがったな!という本には
手を出さないで下さいね。
それを見破るには、
前書きと後書きをじっくり読んで
どんな経緯や流れで
また、どんな熱い思いで
その対談本が作られたか?
よーくチェックしていけば
大丈夫ではないかしら?

ちなみに、私が好きな対談本は
『村上春樹、河合隼雄に
会いにいく』
『なるほどの対話』河合隼雄と
よしもとばなな
『言葉を育てる 米原万里対談集』
『本題 西尾維新対談集』
『ご本、出しときますね? 若林正恭』
『仕事。 川村元気対談集』
『人間の建設』小林秀雄と岡潔
『虫眼とアニ眼』宮崎駿と養老孟司
『風の帰る場所』宮崎駿

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