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【死生観】死について考えてみる。

今日は死について考えてみたい。

先週の読売新聞で知ったんですが、
今、「さだまらないオバケ」
という4人組のユニットが
一般参加者と一緒に
死について語り合ったりする、
それが注目されているらしい。

新聞記事で面白かったのは、
「何才で死にたいですか?」と
質問されるクダリ。
記者はうまく返事ができなかった。

この質問に対する回答は、 
人によってマチマチらしい。
ユニットのリーダー31才は、
77才だと答える。
パートナーより先に死にたい。
見送るのが苦手だから、という。

別のメンバー29才は、
84才がいいと言う。
大切な知り合いをみんな
見送ってから最後に自分も死にたい。
みんなを悲しませるのが
申し訳ないからだそう。

もう一人のメンバーは
98才。長生きしたいから。
一番シンプルな回答だ。
死生観はみな違うんですね。

死にたい年齢以外にも、
人生最後に食べたい食べものや、
葬式で流す音楽セットリストなど、
フランクなテーマで
盛り上がっている中に、
その人独特の死生観がチラホラ覗く。

私も54才だ。
死について
余り考えないと言うと嘘になる。

今、何より気をつけるのは、
年老いた母より先には
死なないようにせねば、
ということ。それが最優先だ。
そのためには私が健康であることが
重要になる。

パーキンソン病の父を、
10年近く介護してくれたことには
感謝の気持ちしかない。
残った母には、
もう家族の誰かの介護は 
させられない。させたくない。
 
そんな私が今一番気になるのは、
私が何才まで生きるか、だ。

何才で死にたいか?という
ユニットのテーマと
私の優先課題は偶然にもよく似ている。

理想をいえば、
母と弟に迷惑をかけないで、
二人を見送ったら、
あとは思い残すことはない。

とはいえ、
状況がそうなったとして
そこで自ら自殺するつもりは
もうなくなった。
以前は、そうしたら樹海に
行こうと思ってたのですが。

私は独り者だから、たぶん
孤独死になるでしょう。
そうなると、私の後片付けで
市役所や大家さんの世話?迷惑?に
なるでしょうが、
それは不可避の結末で
致し方ないから、   
大目に見て頂くしかないか。

本当は死が迫ってきたら、
どうにかして、
土や森や水に還りたいと 
思うのだけれど、
人間が遺体となって
土の上に横たわっているのは、
景色上、行政上、美観上、衛生上、
様々な問題になり、まずいでしょうね。

でも、恐竜の時代から、
いや、もっともっと以前から、
生き物は、命が終わったら
死んだ自分の身体は、
他の生物の栄養となるという具合で、
栄養は還元されていたのですよね。

埋葬という文化は、
人間の進化過程で誕生したシステムだ。

先のユニットの方の話に戻れば、
私も、見送られるのは恥ずかしくて、
大の苦手だから、
できれば、誰からも
見送られないで、静かに
消えてしまうことが理想だ。

まあ、生きることも
なかなか、ママならない人生。
まして、死はさらにママならない。

理想通りに死を迎えるなんて、
虫が良すぎるでしょう。

しかし、いずれはやってくる。
どんな人間にも死は平等にやってくる。

ただし、
こんな風に死を考えるユニットが
あったり、イベントがあるのは、
日本は今、ウクライナやガザでは
ないからこそ、でしょうね?

今のガザ地区の人びとには
死をもっと身近に感じましょう、
なんてイベントが起きるはずがない。

日本は改めて、幸運らしい。
2024年7月15日現在は少なくとも。
死について考えていたら、 
戦争の存在に行き着いた。

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