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言葉を使う権利があるなら、義務もある?そんな義務って何だろう?

言葉を使う人間に義務はある?
読書する人間にも義務があるなら、
それは一体何でしょう?

以前、神戸の幼児誘拐殺害事件を
起こして、日本中を騒がせた
当時14歳の少年Aが、
2015年、今から6年前に
手記?を出しました。
『絶歌』というタイトルで、
太田出版から発売されました。

当時、私は興味から、あの本を
本屋で少し開いて読んでみました。
そんな方は少なからず
いらっしゃるのではないかしら。

どうでした?
私は少なくとも、
一瞬「文章がうまい奴だなあ」と
感じました。
彼は色々な小説や漫画やアニメを
読み漁り、相当活字に堪能でしょう。

自己懺悔というよりは
自己陶酔に近いモードで言葉を
操っているように思いました。

一瞬「コイツ、めちゃくちゃ
本を読んでそうで、
文体は仕上がってるな」と
思ってしまいそうになりました。
慌てて、イカン!イカン!と
振り切るようにして本を閉じたのを
今でも覚えています。

また、あの本は、まるでコラージュの
ようでもありました。
どの文章も、なんとなく
どこかで見聞きしたような
手垢のついた断片でした。
読んだ後に何も残らないものを
読まされたようでした。

そうしてまた、なぜあの殺人犯は
あんな手記?を書いたのか?
その言葉たちの奥に秘められた
企みが気になって不快でした。

ただ、大きな衝撃が自分の背を
走ったことだけは事実です。
それは、どんな最低な人でも
一瞬は人の心に刺さるような
美文を書くことができてしまう、
という事実です。

二度と見たくもないので、
あの本をきちんと検証することは
もうできないのですが、
「言葉を使う」ということ、
読書を大量に重ねること、
美文を書けるということで、
人を判断してはいけない…
そう思わせられました。

そういえば、あのナチスのリーダー
アドルフ・ヒットラーも弁舌の徒。
言葉の達人でしたね。

あまりに演説が上手く、
また、筆もたちました。
『わが闘争』という本は
今もなおドイツや欧米では
出版禁止になっています。
それだけ、あの本にはまだ
恐ろしい力が宿ってるのでしょう。

言葉は賢者や善人が使わねばならない。
悪魔のような人が使えば、
どんな恐ろしい結果を引き起こすか?

民主主義である以上、
どんな人も「言葉」を使う権利はある。
善人も悪人も。

言葉を使う以上は、
自分に都合よく書かないこと、
みだりに人を弄さないこと、
自分の「悪」を誤魔化さないこと。
これだけは、守り続ける義務が
「言葉を使う権利」とセットでは
ないでしょうか?

うん?これもちょっと
カッコつけ過ぎてますか?

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