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【救う】人を救ったことがある?ない!?

人には沢山、救ってもらってきた。
反対に、私は誰かを救った事は
あっただろうか?
自信はまるでない。

あるとしたら、たぶん、
一度だけ、ある気がします。
ボランティアで、
中国残留孤児の日本人の方に
日本語を教えた時です。

1945年、日中戦争末期、
日本の敗北が決定し、
日本人が中国大陸から引き揚げる時、
小さな子供は中国人に託されました。

そうして中国で育てられた
「中国残留孤児」の人に
私は、学生時代、ボランティアで
日本語を教えていた事があります。
今から30年近く前のことです。

私は中国語がわからない。
中国残留孤児のおばあさんは、
日本語がわからない。
そんな場合は、
ボディランゲージで必死に
互いに意思疎通を図った。
私のオーバー気味な
仕草や手振りを見て、
おばあさんはニコニコと笑ってくれた。
筆談もかなり有効でした。

日本語の授業として、ではなく、
私の顔つきや手振りのおかしさで。

日中戦争末期の少女時代、
日本へ戻る逃避行のさなか
目の前で両親が撃たれるという
残酷な体験や、
戦後の貧しくて厳しい中国での生活を
カタコトの日本語で教えてくれました。

おばあさんに少しずつ
日本語の日常会話を教え、
少しでもお役に立ちたいと
夢中になりました。

満州から来たおばあさんは、
よく私を指名してくれました。
(笑)
その日本語教室は、
指名制度だったんです(笑)。

その時、私には人を救おうなんて
気持ちは1ミリもなく、
ボディランゲージと筆談で必死でした。

あのおばあさんは、
当時、既に60才前後だったはず。
あれから30年近く時が過ぎた。
もう90才近くにおなりかあ。
今、どうしてるかなあ。

おあばさんのほおに浮かんだ
楽しそうな笑顔は、
いまだに忘れられないなあ。

うん、あれ?あれれ?
救う救われるで言うと、
私が救われている構図だ。
おばあさんは、
孤独な学生の私を救ってくれている。

なんのやり甲斐もなかった
大学生活をガラリと変えてくれたのは、
満州のおばあさんだったんですね。

今、気づきました、汗。
人は、誰かを救うつもりが
実は救われているものなんですね。

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