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小手先の言葉

読書感想文が得意な、生意気な子供でした。

読書感想文って、大人が求めるポイントをいかに抑えるか、みたいな部分があるんです。
子供のころから大人の顔色を窺うことに長けていた僕は、そのポイントに早々に気づき、特に小学校時代は無双を誇っていました。

そんな僕ですが、親が褒めてくれたのは読書感想文ではなく、社会見学に行ったときの感想文でした。
関西出身なので、小学校の社会見学では奈良の若草山に行きます。
若草山は広島の宮島よろしく、野生の鹿がウロウロしていることで有名ですが、その辺を闊歩する鹿に「乗れるんじゃね?」と思ったんですよね。バカですねえ。

そいで本当に乗っちゃったんですよ、鹿に。

馬より小さいし、大人しそうだし、鹿せんべい食べてるだけだし。
行けるんじゃね?と思うじゃないですか。

ぬぼーっと立ってる鹿の後ろから近づき、えいやと鹿に乗った瞬間。
目から火花が出るとはこういうことか、という衝撃が襲いました。
気付いたら大の字で転がっていて。そう、鹿に蹴っ飛ばされていました。

あとで調べたところ、鹿は繁殖の時期に気が立つらしく、不用意に近づくと蹴られたりするのだとか。
まあそういう時期じゃなくても、よくわかんない奴が背中に乗ってきたら蹴りますよね。わかります。

とまあ、そんな顛末を赤裸々に社会科見学の感想文で書いたのでした。
それが学校的に評価されたとかは特になかったけど、読んだ親が「あんた、これ、すごく面白いね」と言ったのをよく覚えています。
たぶん親も、僕が小手先で読書感想文を書いていたことを見透かしていたんでしょう。
でも鹿のエピソードには衒いがなくて、だから褒めてくれたんだろうな、としみじみ思います。

文章とはとても不思議なもので、ある程度のテクニックがあるのは事実ですが、テクニックだけではいい文章は書けないなあと思います。
SNSの文章は特殊ではありますが、狙って書いた投稿はスベるけど、なにげなく書いた投稿がバズったりする。それと本質は同じだと思っていて、小説などの創作も同様です。
テクニックに頼った言葉と文はある程度のところまで行けるけど、それだけでは一定のところを超えることができません。むしろ澄んだ心でまっすぐ無心に書いたほうが何かを貫く力があったりします。でも、もろ刃の剣でもあって、商業的にこけるリスクもはらんでいます。

また、まっすぐに書くというのは当たり前なのようで、実は難しくもあります。いい文章を書こうという気合や欲が入ってしまいがちで、無意識のうちに雑念が入ってしまうのです。それが分かっていても、欲を忘れることは難しいと思います。だって人間だもの。うまい文章を書きたいじゃないですか。
そんな雑念に満ちた自分自身を受け止めたうえで、心の奥底にある素直な言葉を拾い上げるしかないのでしょう。知らんけど。

つくづく言葉と文章とは難しいなあと齢を重ねるたびに思います。
そしてそのたび、親が褒めてくれた感想文のことを思い返します。

大人になるにつれ、編集の経験を重ねるにつれ、小手先で言葉と物語を扱っていないだろうか、と。
ここを抑えればこれくらい行けるだろう、という傲慢な本の作り方をしていないだろうか、と。

常に胸に手を当てながら、原稿に向き合います。


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