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外国語という新しい地図

 正射図法とか、メルカトル図法とかいう世界地図などを学校で習ったことがあるだろう。 地図が違えば、見ているものも違う。世界の見方は決して一つではない。グード図法とか、フラー図法なんていう世界地図もある。同じ場所でも、地図によって別物に見える。地図は世界観だ。

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 言葉もまた、地図のように世界を表し、それぞれの言葉は異なる世界観をもっている。例えば、「イタリア語」や「フランス語」という地図には、男・女という性がある。

英語は外国語のスタンダートではない

 国立大学に勤めていた頃、フランス語の概要を大学一年生たちに話した時、彼等は「難しい! めんどくさい!」と異口同音に口にする。英語を外国語の基準だと思っているのだ。これは、まずい。非常にまずい。欧州の言葉のなかでも英語が「例外中の例外」ということを知らされていないのもまずいが、地図を一つしか持たず、その地図=世界と信じているところが危険なのだ。地図を一つしか持っていない子たちは、長い人生の旅路で迷ってしまうだろう。

名称未設定のデザイン (4)

 古英語には、文法の性 (grammatical gender) があった。男性 (masculine)、女性 (feminine)、中性 (neuter) の3つがあった。同様、ほとんどのヨーロッパの言語には、名詞の性の区別があったわけだ。ラテン語から派生した言葉(フランス語やイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語など)も、男性・女性・中性の三つに分かれていたが、キリスト教の影響などで中性名詞は男か女かに振り分けられてしまう。

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上の版画は、17世紀のフランス人画家ジャン=テオドール・ド・ブリ(Jean-Théodore de Bry)のもので、ドイツの錬金術師ミヒャエル・マイヤーの『逃げるアトランタ』のための挿絵だ。神話の神々や英雄たちの作った世界を語っている書籍だが、この絵は、森羅万象は男や女の神々や英雄が生み出したという、なんとも人間中心的な世界観を表しているとおもう。フランス語では、版画のように、soleil(太陽)は男で、lune(月)は女だ。これはかぐや姫=月というイメージがある日本人にもわかりやすいイメージかもしれない。だが、原作のドイツ語ではmond(月)は男性名詞、Sonne(太陽)は女性名詞だ。もしも作者のミヒャエル・マイヤーがこの版画を見たら驚くだろう。

欧州では4ケ国語を理解することが求められている

 人間や動物が男(オス)と女性(メス)から生まれてくるように、印欧の諸国語の文法にも男性と女性があり、そこから多くの事象や世界観を表現している。私から見れば、少しばかり人間中心主義的な世界観だなぁと思う。だが、そのような自分たちの言葉の欠点を自覚し、欧州連合は、「母国語を入れて4ケ国語を習得するように」と学生たちに課している。とりわけ、フランスは、東アジアの言葉を学習することが求められている。似たり寄ったりの地図よりも、入手は困難だが自分の地図とは異なる地図を手に入れたほうが人生の指針として役立つからだ。
 私も、若い学生たちに言いたい。第二・第三外国語をやるのであれば、統語的に、母国語に似ていないものを選んでほしいと。最近の若い子は韓国語を選択したがる。韓流ブームだし、簡単だし、近いから旅行で役立ちそうだ。でも、あまりにも日本語に文法や語彙が近いのが難だ。若いうちは、日本の「地図」から統語論的にかけ離れた地図を選んだほうがいいのではないだろうか。深く柔軟な思考形成のために。大学院を目指すのであれば、フランス語は断然に有利だ。3世紀に渡って世界的な共通語だったフランス語。あらゆる領域のあらゆる資料がフランス語で残っているゆえ、研究者ならばフランス語を読めるようにしたい。

実際に新しい地図を使わなくても、その地図を眺めることによって、自分を客観視し、正しい方向に導いてくれるだろう。それが、第二、第三外国語の意義だろう。

 

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