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さよなら完璧主義と優等生

先日、ボランティアで
高校生のキャリア教育プログラムにゲスト参加しました。
JSBNというNPO団体が行っているもので
中学、高校生を相手に
仕事や生き方のヒントを掴んでもらうイベントです。

このイベントの面白さや、
大人になってから触れる学生のまっすぐさは
別途触れるとして
このエントリーはその時質問してくれた
高校2年生の方に向けて書きます。
本人が読むことがあるかはわかりませんが
同じ悩みを抱えている人は多いだろうと思います。

完璧主義なんです

とその人は言いました。
うん、そうだろう。と内心思いました。
1時間くらい5人グループで話す中で
その予兆がある人が2人。
より顕在化しているのがその方でした。

ここで注意。
「完璧主義」という言葉が有名すぎて
同化してますが、
完璧主義に似たものに
優等生サボがあります。
これは後述しますが、
実際この方は優等生サボに近いと思います。


これまで僕はたくさんの完璧主義者
(少なくとも自分ではそう思っている)
に会ってきました。
100人は軽く超えるその人達に
完全に共通する事が2つ。

1,自分には自信がないけど、完璧主義である事、
  完璧主義が正しいと思う事
、については自信がある。
2,その理由については不明瞭。
  大抵「意味がない」「価値がない」という説明で終わる。

強い思い込みがあるという事です。

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悪いことなのか?

という疑問も最もです。
これもあくまで個人的な見解ですが
完璧主義者だと思う事でうまくいっている人は
出会った中では1%もおらず
ほとんどの人はその考えを理由に
うまくいってない
、もしくは
うまくいかないようにしています。

思い当たる人にとっては少し嫌でしょうが
不都合ながら真実だと思います。

目的論

これまで何度か出してきました
僕はアドラーの目的論を信奉しています。
全ての思考・行動には目的がある、というものです。
完璧主義にも目的があります。
完全に解明できているとは言いませんので
より良い研究や文献があれば
またそれを紹介したいところですが
僕が考える「目的」は、、、

自尊心の確保

です。
こう書くとちょっと嫌かもしれません。
でもこれは「誰にもあるもの」です。安心して。

完璧主義者がなぜ完璧主義を辞めないのか
それはシンプルです。
「完璧主義でいる自分の方が
そうでない他の人より優れていると
心のどこかで思っているから
」です。

理由は「目標、ハードルが高い」から。
「普通なら満足してしまいそうな状態でも
満足していない自分は目線が高い、賢い」
とどこかで思えてしまうから。

そして「目線が高い自分が優れている」
と思う事で満足できるので
実際に完璧である必要はありません。
あくまで「完璧でないといけないと

思っている事が大事」

なんです。
99%の完璧主義者で
「完璧に物事ができた」と思う経験を毎度聞いています。
例外なく1度もありません。
それこそが目的です。

実際に完璧になってはいけません。
どんなにうまくできても、
満足=目線が低い、と思ってしまうから。

これにより得るものは
結果によらず「常に満足しない」事で
自分は優れた思考・目標があるという自尊心を得られます。
実際の結果なんてどうでも良いので
結果のための努力は意外としていません。

もう一つ

完璧主義者が陥りがちな罠は
「完璧でない評価を恐れるあまり
当事者ではなく批評家にまわりがちになる」

という事です。
自分が何か挑戦したり
人の目にさらされる立場になると
何がしかの批判を受ける事になります。
完璧主義の目的は「自尊心」にあるため
そんな危険な行動はしたくありません。
自分が優れていないという事もバレてしまうかもしれない。
その恐れが、自分を安全な場所から
自尊心を保つ方法=自分は何もせず他人の批評だけする
というスタンスを選ぶ事に。
そう、完璧主義者は、実は他人の評価を異常に気にします。


どうしたらいい?

もし、ここまで読んで「自分はそうかもしれない」
と思う人ならば、改善したい気持ちがあるかもしれません。
そんな事ない、と否定して変わらない選択肢もある中で。

1番シンプルな方法は
落ち込んだり拗ねたりしてる時と一緒で
「こんな事くだらない」と思う事です。
実際にこの考え方があなたに何をしてくれたか
どんな実績や誇るべき体験をくれたのか
考えてみてください。
もし特に思いつかないなら、そういう事です。

そして何より
あなたが完璧主義者を標榜した所で
それを評価してくれる他人はいないのだという事です。
批評家に陥り、SNSで他人の行動やニュースに対して
持論を語った所で、誰も褒めてくれません。
望みが叶わないなら、こんな無駄な事はないでしょう。


優等生サボとは

さて、ここでもう一つの似たパターンについて。

↑上記の本(題名ダサいけどちゃんとしてます)には
あなたの心を妨害する「妨害者(Sabotage)」
の1つとして「優等生」が出てきます。

優等生サボとコーチの間では呼んでいますが
僕は件の質問者の方を完璧主義者、というよりも
優等生サボなのでは?と思いました。

優等生サボ
絶えず良い成績や評価を受けていないと不安になる
周囲の評価によって自尊心を保つため
評価されなくなると自分を大事にできなくなる。
内面よりも外的評価を基準で行動する。
ひどくなると仕事中毒や不安定な精神を生んでしまう。
また、先に断言しておきますが、
その生徒さんはとても素晴らしい方でした。
明るく前向きで一生懸命
周囲にも気を使え、リーダーシップも発揮しています。
周囲から見たらほぼ完璧だと。
しかしだからこそ、優等生サボでもあるのですが。

その生徒さんとの会話

「1番でないと意味がないと思っちゃうんです」

「なぜ1番じゃないとダメなの?」

「いや、なんでというか、、、」

「誰かがあなたにそう言った?」

「いや、そんな事なくて、自分で思っちゃう」

理由は明確でないけど、
何故か強くそう思っている。
いわゆる「思い込み」です。
この点では完璧主義に似ていますが、
違うのが「優秀である事」
もしくは「褒められる」状況を
本当に求めている事
にあります。
(完璧主義者は完璧を求めていませんから。)

僕は「ともだちインタビュー」という企画をしていますが
この中では
・みきさん
・ロート君
・みすずさん
・るるさん
「子供の頃典型的な優等生気質だった」
と語っています。
(優等生気質=親の期待に答えようと
 必死で優等生であろうとしていた、という意味です)
皆とても真面目で勉強もできた一方で
自分の心のあり方に悩んでいた一面を語ってくれています。

優等生サボは上記の通り
自分の意思より、期待に答えようとします。
「正解は何か」を常に考えるようになり
幸福感や自己肯定感が得づらくなります。

この状況にある人が1番苦手な事。
それは
「優秀でなくても自分には価値があるし
特別な存在なんだ」
という存在承認です。

子どもを育てている方は
ぜひ子どもを状況に寄らず愛してあげる
事をしてあげてください。
まるで成績や態度が良くないと
愛されないかのように振る舞うと
子どもは優等生サボになりやすくなります。


無条件の味方

がいてくれるとサボは少し収まります。
自分があるがままを愛してくれる人がいる
という安心感
を得られるからです。

僕の多感な時期には唯一
祖母だけがそうでした。
その態度にどれだけ救われたか。

そしてなにより
そういう人がいてもいなくても
自分の事は無条件で愛してあげて欲しい。
条件を抜きに大事にしてあげてほしい。
その一歩目としてオススメするのは
価値観、好き嫌い、
興味あることない事
ただなんとなくしたい事
など自分の要望を叶えてあげる事です。

あなたは何かしても、何もしなくても
優れていても、そうでなくても
褒められていても、そうでなくても
特別な存在だし
愛される資格があります。



迷ったり自信がない時は、コーチングを


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