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ハワイのお墓の話


先日のメモリアルデーに父の墓参りに行った。

五月の最終月曜日はメモリアルデーの祝日。この日は多くの人々が墓地を訪れる。墓地と言うより"メモリアルパーク" のほうがしっくり来る。日本では決して見られない光景がそこにはある。芝生に寝転んで亡くなった愛する人に話しかけている人もいれば、折りたたみのイスに座り何もせずただ墓碑のそばに佇む人、家族皆で色とりどりの花を手向ける人たち、と故人を偲ぶ方法は人それぞれだ。

私は赤い色が好きだった父のためにいつも赤い花を供える。今回はハワイのトロピカルフラワー、アンセリウムの花を買ってきた。艶のある真っ赤な花弁は私も大好きだ。常に綺麗に刈られた芝生の上に置かれた平たいブロンズ墓碑の前にしゃがみ、父に挨拶する。「お父さん、元気だった?」亡くなった人に元気か、と聞くのもおかしいが私はいつもこう言ってしまう。

地面に逆さまになって埋まっている銅製の2つの花瓶を起こし、近くにある飲料禁止の蛇口からくんだ水を注ぎ込む。

父の名前がローマ字で刻まれた墓碑にも水をかける。ハワイの熱い太陽に照りつけられた乾いたブロンズは水を得たと同時に美しい褐色に輝く。「よお、久しぶり!」と父の声が聞こえてきそうだ。父に近況を報告しながらアンセリウムを花瓶にさす。「また赤い花、買ってきたよ」。そして私はしばらく手を合わせる。線香の煙も塔婆もない、これがハワイに住む私の父への参り方だ。

維持費も永代料もかからないのに、このメモリアルパークはいつも美しく整備され目の前にはダイアモンドヘッドが横たわる。この季節にはシャワーツリーの小さな花々が風に揺れている。そしてクリスマスの時期になるとハワイの人たちが供えるポインセチアの花で、このパークは真紅の絨毯になる。


私の両親は私がハワイに嫁いだので将来の自分たちの為にと、ここハワイにお墓を買った。その五年後に父は突然、他界してしまった。まさか、こんなに早くお墓を使う事になるとは思いもよらなかったが、買っておいてくれたお陰で葬儀後も慌てずに納骨する事ができた。

父の葬儀を日本で終えてハワイに戻った私は、四十九日がたった父の遺骨を持って飛んできた母を空港で迎えた。無事に空港から出て来た母を見つけた時は心から安堵した。父の遺骨を手荷物検査のXーrayにかける時も係員は知ってか知らずか母に何も聞かなかったらしい。

納骨の際、ブロンズの蓋を開けるとまだ空っぽのセメントの箱が土に埋まっていた。日本の骨壷は大きい為、父の遺骨を入れただけで三分の一ほど場所を使った。アメリカの骨壷は片手で持てるほど小さい。Ashというが本当に骨というよりは灰なのだ。

ある日、私の父のそんなお墓事情を聞いてアメリカ本土に住む友人が尋ねてきた。亡くなった御主人のお墓をハワイに買いたいと言う。私は快く引き受けて友人の代わりにメモリアルパークのお墓購入のお世話をさせてもらった。父の頃より地価も上がりお墓の値段も少し上がっていた。地面ではなく、安価なニッチという大理石で出来た壁の中に納めるお墓もあるので、幾つかの写真を撮って友人に送った。友人は大きな木が立つそばの地面の小さな区画を選んだ。そこからも綺麗なダイアモンドヘッドが望めて数千ドルで買う事ができた。

購入の際、メモリアルパークの担当者に私は「本当にこのパークは素敵な所ですよね」と言った。すると彼に「訪ねるぶんにはね…」と言われ私はハッとした。そうだった。ここに来るというのは誰かの死に関わっているという事をすっかり忘れるほど素晴らしい場所だった。いつも緑色の芝生の上に供えられた花々が、パーク一面に見渡せて私には明るいイメージしかないのだ。墓碑がフラットで立っておらず花しか見えないせいもあるのだろう。


最近は故人の希望でお墓をもたずに散骨される方が随分増えた。人が生まれ海や土に還るのは自然な事だろう。私も知人の散骨に家族全員で出席したことがある。ハワイの海岸沖で散骨する様子を私たちは初めて見た。

当時、幼少の娘は家に着いてから私に聞いた。「ママは死んだらどうしたい?」急に自分自身の散骨かお墓かを聞かれて考えていると「ビーチ(散骨)がいいよ。そうしたら、いつも一緒に泳げる」と娘は言った。ハワイの子らしいな、と思ってちょっと笑った。

今、こうして時々「元気?」と父に話ができる場所を残してくれたのは私にとっては良かったなと思う。両親の選択に感謝したい。



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