「陶芸家になるには」ーランニング編ー 4 < 最後に >
資本主義社会で
陶芸家として制作環境を維持していくためには、運用資金の調達は、無視できない要素です。
マーケット編でも述べましたが、基本的に私たち陶芸作家は資本主義経済の中で、自分たちの立ち位置を見つけ、作品を基に、マネタイズしていきます。
要するに、資本主義経済のルールの中で生きていく事となります。
この項で述べたいことは、
コストの洗い出しや最適化、維持などの「守り」の部分
よりも、
根源的にすべてを回すための燃料=市場での価値の創造
です。
要するに、これまで述べてきたのは、「得られた燃料を、なるべく効率的に使っていく方法論」でしたが、ここからは、「どのように燃料を得るか」です。
資本主義経済では、「価値を作り出すことを基準に活動していく」ことが前提となります。
陶芸家として制作した作品に対する価値は、基本的には希少価値です。
その人しかできない仕事
その時しか作れないもの
そこでしか手に入らないもの
これらのような、レアリティに価値が付きます。
そして、コストも価値に換算されます。
素材に対して作家が手を加える行為。それ自体が、今回挙げてきたコストの集積です。
例えば、土は、土としての価値しかありません。
その土を、ロクロで挽いて茶碗にするだけで
材料費
設備費
時間コスト
メンタル・フィジカルコスト
等、上で挙げてきた、ほぼ全てのコストが掛かります。
このコストを付加価値として、価値に変換する。
そして、それが、特定の作家にしかできないという、希少価値としても認識してもらう。
これにより、ただの土だった素材に価値が生まれるのです。
価格について
上で述べてきた価値は、資本主義経済では価格として可視化されます。
「価値」を上げることができれば、「価格」も上がります。
ということは、掛けるコストにより「価値」が上がるとすれば、「価格」は上がります。
価格を上げたい
↓
価値を上げる
↓
作品の期待値を上げる
↓
作品にコストを掛ける
というような流れができます。
つまり、何らかのコストを掛けると、「価格」が上がるのです。
これは、上がらざるを得なくなるとも言えます。
「時間コスト」を例にすると、
素材に100時間掛けて作品が出来上がるとすれば、100時間分の収入が得られることを期待し、100時間分の労働賃金を他のコストに上乗せした、作品価格となるためです。
こう考えると、どの項目のコストでも、価格との比例構造が見えてきます。
良い素材を使う:素材費 ↑ 価格 ↑
細かい作業をする:メンタルコスト ↑ 価格 ↑
などです。
つまり、コスト上げると、価格を上げざるを得なくなるのと同時に、作品の制作可能数も限られ、作品が売れなかった時のリスクが上がるということになります。
リスクなしで価値を上げる要素?
ここで違和感を覚える方もいるかと思います。
それは、「コストが低く見える作品でも、価格が高いものがあるではないか」というものでしょう。
ここが、最後のポイントとなります。
この、「コストが低くいが価格の高い作品」には、リスクなしで価値を上げる要素が含まれています。
それが、「スタイル」です。
常に述べてきた「スタイル」ですが、その真の重要性はここにあります。
この「スタイル」を持った作品。
言い換えると、希少価値を持った作品です。
この項の最初で、少しだけ述べた希少価値。
この希少価値をどれだけ上げていけるかが、陶芸家のキャリアとして重要な部分です。
なぜなら、希少価値には上限がなく、制作にあたってのリスクがないからです。
希少価値は実際、各要素のコストの上下とは独立した存在です。
どんなにコストをつぎ込んだ作品でも、同じような作品が需要を上回る数だけ市場にでていれば、価格は低くならざるを得ません。(希少価値:低)
逆に、コストが掛かっていない作品でも、世界に唯一で、魅力的なスタイルだとすれば、需要が高まり価格は高騰します。(希少価値:高)
第一章でも見てきた通り、「スタイル」はすべての人が持っています。
そして、「スタイル」を軸に陶芸家としての航海に乗り出します。
その「スタイル」が航海を続ける上で、大きな推進力を生み出す。
もちろん、「スタイル」の使用には、コストは掛かりませんが、「スタイル」を見つけ、育てるには初期投資としてのコストと、インプット・アウトプットを続ける為の継続コストが掛かります。
しかし、「スタイル」の費用対効果は大きく、投資をしていく価値があります。
そして、マーケットや自身の成長に合わせ、スタイルを磨き上げていけば、柔軟にキャリアを継続させることができます。
何よりも、自分と向き合い、立ち位置を見つけ、自身を常に高めながら、作品をアウトプットする。
このサイクルは、何にも代えがたい程に、楽しいと思えるはずです。
最後に
誰しも「自分という存在」について、考えたことはあると思います。
何かを創るとき、どうしても「自分という存在」を無視することはできません。
どの様に私は私となり得たのか。
何が自分を成り立たせているのか。
自分は何のために生まれたのか。
人類は遥か昔からこのような問いを考え続けています。
「自分という存在」に納得している・いないに関わらず、究極的にはそれを受け入れるしかありません。
なぜなら、私たちは「持っているもの・知っているもの」のみでしか、表現できないからです。
しかし、「自分を発見する」または「自分が変わっていく」工程を客観的に目の当たりにできるのは、すばらしい体験です。
そして、その工程を外の世界へと繋げ、影響しあいながら、繰り返していく。
辛いと感じることもあると思いますが、だからこそ楽しい。
陶芸家は自営業です。様々な要素を自分で解決していかなければなりません。
全力で制作をしていくために、「辛い」や「楽しい」のメンタルリソースを「創ること」にとっておく。
それには、するべきことを知り、効率化していく。
そうすることにより、どこにリソースを注力すればよいのか分かります。
そして、新たな一歩を踏み出すことが怖くなくなります。
ここまで一度、目を通して頂けたら、是非、制作や計画など行動にうつしてみてください。
陶芸家として、どのような壁にぶつかり、どのように乗り越えていくのか。
それが限られた例からでも「知る」ことが出来たかと思います。
今は迷路を俯瞰で見ている状態です。
壁が現れたとしても、その厚さや迂回ルートも分かると思います。
この「陶芸家になるには」を地図として、一緒に航海に乗り出しましょう!
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