自分を毒親なのかな?と思ったら

「どうして変われないんだろう…」ご自分を責める日々は、とても辛いものです。方法がわから…

自分を毒親なのかな?と思ったら

「どうして変われないんだろう…」ご自分を責める日々は、とても辛いものです。方法がわからなかっただけなのかもしれない。あなたは、もう大丈夫ですよ。変われる方法がここにあります。

最近の記事

押してもダメ、引いてもダメ、どうしたらいいの?

子育てをしていると 押してもダメ、 引いてもダメ、 できることは何でもやっているのに どうして こんなにも上手くいかないんだろう… と思うことがありますね。 こんな時は、おそらくあなたの お子さんに「こうさせたい」 という気持ちが強いのかもしれませんね。 あなたのその気持ちも、とっても大事です。 自分の気持ちを、 まずはそのまんま居させてあげて。 そこに、ゆっくり、寄り添ってみて。 わたしのセッションでは、 子育ての「こうすべき」などという How to はあ

    • 自分のことを「毒親なのではないか」と思う

      自分のことを、 「毒親なのではないか」 と思う。 あなたにとって、とても辛いこと。 だけど、あなたは自分の辛さよりも 「このままでは子どもが可哀想だ」と思っている。 そうして更に、自分を責めているのかもしれません。 いろんな奇跡が重なって子どもを授かった。 もちろん、その子を大切に思っている。 それなのに どうして、優しくできないんだろう。 どうして、声を荒げてしまうんだろう。 どうして、イライラしてしまうんだろう。 そう・・・できることなら 優しく穏やかで いつ

      • 頑張れば頑張るほど、事態はよくならない…方向転換のススメ【私は毒親】

        「自分を毒親だと思っている人」には 頑張りすぎな人が多いのかもしれません。 自分がなんとかしなければ。 自分のせいでこうなっている。 子どもを何とかしてあげたい。 どうしたら子どもが幸せになるのか。 ねぇ、 ちょっと待って。 お子さんの人生です。 自分のせいとか 自分が幸せにするとか 実はちょっと違います。 人はそれぞれ、 自分の人生において 必要な選択を自分でできるし 成功も失敗も糧にしながら 自分の体験を学びとしていく力を持っています。 どうし

        • そんなバカな。【親がするのは選択肢の提示だけ。子どもが何を選んでも良いという前提で…】!?

          ずっと、 子育てはコントロールだと思ってきました。 そして上手な子育ては、 親のコントロールの上手さを明らかにする。 つまり親の評価にもつながる そういう感覚も同時に持っていたかもしれません そしてわたし自身、 そんな子育てをしてきた実母の笑顔が大事だから お母さんの子育ては正しかったよ。 そう“証明してあげたい“そんな部分が もしかしたら、あったのかもしれません。 だから知らず知らずのうちに 「母が喜ぶわたし」 を生きてきたのでしょう。 昔から母親との関係は良好

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          ルールをつくったり、ご褒美でつったり、褒めたり諭したり、怒ったり叩いたり、押したり引いたり…

          わたしだって怒りたくない。 泣かせたいわけじゃない。 だから、あの手この手 事前にたくさん考えて、 ルールを決めてみたり 何かご褒美でつったり 褒めたり諭したり 本当にあらゆることを試すわけです。 それでも思うようにいかないと とってもイライラしてしまう。 こちらも、 怒ったり、無理強いしたり したくなくてやっている訳です。 それでも言うことをきかない 思い通りにならない これ以上どうすることもできなくなったとき 怒ったり 怒鳴ったり してしまうのです。 さらに

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          なんでも「上手くやる」自分でやってきた。だから子育ても模範的に。

          笑顔で子育てがしたい。 おおらかで。 余裕があって。 家事は、手を抜くけど、 だけど基本的にはがんばってる。 協力してくれる夫と それに感謝するわたし。 それでいて、子どもがいい子。 そんな、 良妻賢母がよいことと思っていたし、 模範的なママになりたかった。 これまでそこそこ何でも上手くやってきた。 だからきっと、わたしはそんなママになれる。 子どもは、 わたしの手にかかれば 怒ったり無理強いしなくても… 工夫して優しく言い聞かせるだけで 言うことを聞いてくれる

          なんでも「上手くやる」自分でやってきた。だから子育ても模範的に。

          子どもをもって、ヒステリックな自分に出会ってしまった。本当に嫌だった。

          わたしの母は、 暴言や暴力を吐くような 人ではなくて むしろ模範的な良妻賢母で あろうとする人でした。 だから、とても 「良い妻、良い母」 だったと思いますよ。 その裏で、 自分がどんなに良い母か… それを示してくれる一つの指標が 「子どもの言動」だったのかもしれません。 ですので 子どもに対して コントロールをすることが 育児だと感じている所がありそうです。 そして、小さい頃、 母に従順ではなかった兄や弟の存在。 いつも母は、それに対して ヒステリックになって

          子どもをもって、ヒステリックな自分に出会ってしまった。本当に嫌だった。

          今、子ども達にどんな接し方をしているか。

          〇〇しなさい、 〇〇しちゃダメ …そういえば、言わなくなりました。 やって欲しいことは 〇〇して欲しいなぁ。 してくれたら嬉しいなぁ。 アドバイスは ちょっと、 アドバイスがあるんだけど、 伝えてもいいかな? (🆗の場合) わたしは、過去の経験からこう思ってるよ。 こんなふうに、私は思うよ。 ただしアドバイスを取り入れるかどうかは 相手の自由。という前提があります 子育ても人間関係です。 わたしが人間関係に望むのは、 ノンバイオレンスです。

          今、子ども達にどんな接し方をしているか。

          『誰しも、毒親に当てはまる部分は少なからずある』

          そもそも、完璧な人間というのは存在しないし 『親が何もしてくれなかった』 『親が過干渉だった』 などなどと、 日常の一部分を切り取れば そのように解釈することは いくらでもできます。 子どもが 『わたしの親は完璧だった。 いつもわたしの望むことをして、 望まないことはしないでくれた。 信じて欲しいときは信じてくれたし、 心配するときは心配してくれた。 わたしになにかを任せてくれるとき、 逆に手を差し伸べてくれるときの タイミングも絶妙だった。 非

          『誰しも、毒親に当てはまる部分は少なからずある』

          自分の親は毒親ではなかった。なのに、どうして私は…?

          【毒親】と検索すると、 『自分の親が毒親だった』 という壮絶な体験記などが出てきます。 そして、 『毒親になりたくない』人にも 自分の親が毒親だったから それを繰り返さないようにしたい という人が多いように、思います。 なので。 自分の親は毒親ではなかった… なのに自分はどうして… そう、思わずにいられないのです。 ※このお話は、 今は毒親を卒業したと自分なりに思えている わたしの過去の体験談です。

          自分の親は毒親ではなかった。なのに、どうして私は…?

          泣きたいとき、泣いていいって知らなかった

          泣きたいとき、 泣いていいって知らなかった。 だから、 素直に涙している人を見て 不思議に思っていた。 子どもが泣くと 『泣くことじゃない』 『なんで泣いてるの』 と言ってしまっていた。 涙を押し殺すことは 感情を押し殺すこと。 だから、同時に、 嬉しいとか楽しいとか愛しいとかの感情も 制限してしまうことに繋がる。 のちにいろんなことを学んだ。 どの感情にも、意味があって 必要だから生まれている。 感情をそのまま感じていい 涙が出たいように

          泣きたいとき、泣いていいって知らなかった

          “自分を毒親だと思う人“は、とっても真面目で一生懸命なひと

          自分が毒親なのかもしれないと 思って悩んでいるあなたは とっても真面目な人。 何事にも一生懸命な人。 きちんと、良い結果を出したい人。 きっとこれまでも、成果を挙げてきた人。 子どものことを何よりも考えている人。 大丈夫。きちんと愛情深い人。 【自分が毒親かもと思っている】 これって、じつは、 とっても大切で素晴らしい才能であり あなたの持つ素敵な能力です。 なぜなら、 自分を見つめることができていて “なりたい自分“を持っているからです。 そんなあなたなら

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          子どもを「良き方向に」コントロールするのが親の役目だと思っていた

          わたしは、 いい子ちゃんだったのです。 周りからいい子と思われることをする。 母に褒められる事をする。 先生に褒められる事をする。 周りから賞賛されることをする。 ここでは、こうすべき。 そこでは、〇〇してはいけない。 そういうものが行動の基準だったし そのために 自分の本当の気持ちというものは後回し。 気づいたら自分の本音なんて よくわかっていない。 幼少期からそうだったと思います。 それが自分の生き方だったし、 当たり前だと思っていた。 子どもを「良き方向

          子どもを「良き方向に」コントロールするのが親の役目だと思っていた

          最後まで笑顔で子育てがしたいだけ

          自分は毒親 そもそも誰も信じてくれないだろう 何故なら 外では 『とっても良いママ』だからだ そう。 子育てはおおらかに。 声かけも丁寧に。 いつもニコニコ笑顔で。 がモットー もちろん、 家でも外でも、 そうすることが理想なのだ。 だけどそうさせない子どもがいる。 はじめは優しく言ってるし 言葉選びも試行錯誤して工夫している あの手この手でうまく コントロールしようとしているのに どうして、思うように動いてくれないの? 最後まで笑顔で子育てをしたいのに

          最後まで笑顔で子育てがしたいだけ

          毒親、という言葉を見聞きするとザワッとする

          毒親、という言葉を見聞きすると ザワッとする そう、それは 自分が毒親なのではないか という恐れを人知れず持っているからだ こんなこと誰にも相談できない だって 相談しても 「あなたは全然そんなことないよ」 「みんなそうだよー」 「子育てはそれだけ大変だよね」 「わたしもね…」 ありふれた情報はもう全て知っている 『ママも息抜きをしましょう』 『家事はしなくてもいい』 『周りの人に甘えましょう』 『こんな声かけをしましょう(育児本)』 それでも、変われない どうし

          毒親、という言葉を見聞きするとザワッとする