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小説「素ナイパー」第20話

 景色の違いに気付いたジェフはミラー越しに直哉と目を合わせた。しかし次の瞬間、後部座席の両扉が開き屈強な腕がジェフを外に引きずり出した。グッチのスーツは地面と擦れると簡単に破けた。

 状況を理解していないジェフの目の前には50歳過ぎの背の小さな二人の男が立っていた。
 2人ともイタリア系のようで鼻が高く一人はアルカポネが被っていそうなシルクハットを斜めに被っていて、もう一人は髪をポマードで撫で付けていた。
 直哉は事の成り行きをタクシーの中から見つめていた。今回の依頼の中には指示があったら殺すようにというオプションもついているのだ。

 「ジェフ。こうなった理由はわかるかい?」

 シルクハットの男が優しい笑みを浮かべて言った。彼が今回の依頼主だった。ジェフはひざまずいたまま首を横に振った。

 「なるほど。それはそうだろう。君は私達以外の複数の人間にも同じことをしているようだからな」
 「つまり私達をただのバカな金持ちと同じように考えていたわけだ」

 グッドフェローズのラストシーンのデ・ニーロのように二人のマフィアのボスの顔には表情がなかった。

 「いったいあなたたちは?目的はお金かな?」

 ジェフは普段と変らない冷静かつ相手を見下すような口調で言った。この状況で素人であるジェフが頭の中を冷静を保っていれていることに直哉はいささか驚いた。しかしその口調はマフィアの怒りを逆なでするもので直哉はジェフの死を確信した。

 「君は実直な男のようだ。金に関してはな。しかし私達が腹を立てているのは、そんな事ではない」
 

 オールバックの男が葉巻に火を付けて言った。

 「顧客の顔すら覚えていないのに、資産を自由に扱うとは信じられないね」

 ジェフはこの一言でやっと二人が誰か理解できたようだった。

 「ミスターリッピ。資産は順調に増えているはずです」


 「それは知っているよ。ただ増やし方が問題だった。君が私の金で買った株は、彼の会社のものだったのだよ」
 「はい。確かにそうです。しかし私は売り抜けました。もちろんTOBをかける気もありませんでした。迷惑はかけていないはずです」
 「そう。数字上ではね」
 「しかし私達の友情には亀裂が入った。マフィアが一番大事にする、信用と信頼が壊れかけたのだよ」

 沈黙が流れた。夜の闇が死の匂いを少しずつ運んできているようだった。

 「なるほど」

 ジェフが言った。どうやら何かを考えているようだった。そして意外にもその目は、死を前にした人間の割には恐怖は少なく好奇心が潜んでいるように見えた。

 「あなた方の話は理解できました」

 そう言うと、おもむろにジェフは立ち上がり埃を払った。

 「私を殺したかったら殺せばいい。しかし、そうするとあなた方は一つのチャンスを失う事になる。私の事を調べたならわかるでしょう?私があなた方の亀裂の入った友情の代わりに何を提供できるか」

 すごい男だと直哉は思った。マフィアを前にして取引を持ち出すとはよほど自分に自信がなくてはできない。
しかし「ボコッ」という鈍い音が鳴ると次の瞬間にはジェフの身体はくの字に曲がっていた。ボディガードの一人が拳を腹にめり込ませたのだ。

 「男の世界には二種類の人間がいる。頭を使って生き抜くものと、身体、腕力を使って生き抜くもの。君はきっと前者だろう。しかし土壇場でものを言うのは腕力なのだよ。小学生の頃、私は仲間の中心として輪の中にいたが、いかんせん小柄な私を皆、心のどこかでは見下していたよ。それはもしかしたら私の被害妄想かもしれないがね。しかし、男の世界なんてのはそんなものなのだよ」

 オールバックの男が昔を思い出すような言った。確かにそうだと直哉は思った。土壇場に必要なのは肉体の力であると。しかしそこにクレバーな頭脳が宿れば完璧だとも思う。

 「世の中は、君の筋書き通りには上手くいかない事がわかったかね?」

 シルクハットの男はそう言うと内ポケットからサイレンサー付きのベレッタM92Fを取り出しジェフの頭に向けて構えた。すると嗚咽がジェフから漏れた。

「泣いているのか。男の涙も私達の世界では意味をなさないのだよ」

 そう言われるとジェフは更に涙を零した。そしてこう言った。

 「嬉しいです」
 

 マフィア達は目を丸くした。

 「恐怖でイカれたか?」
 オールバックの男が初めて笑みを浮かべた。

 「本当に嬉しい。ありがとうございます」
 「何を言っている?」
 「この死ぬ寸前に、やっとめぐり合えたからです。あなた達のおかげで。私の退屈を本当に埋めてくれるもの。そして私に常に敗北を与えてくれるものに」

 ジェフの言葉は嘘ではないようだった。なぜなら瞳が直哉の運転するタクシーの中で書類を眺めている時とは違い生気に溢れていたからだ。そんなジェフを見てマフィア達はたじろいだ。気色悪くも神聖なものを見てしまったような妙な感情に襲われていた。

 「さあ。撃ってください。私はもう満足です」

 やっぱりイカれてると直哉は思った。殺される事をあんなに嬉しそうに望む人間を見たことがなかったからだ。
 マフィアの幹部の二人は顔を見合わせていた。そしてしばらくすると小声のイタリア語で何やら相談を始めた。話し合いが終るとオールバックの男が言った。

 「面白い男だなジェフ。そして君は運がいい。私たちははお前に興味を持った。今回の件に目を瞑ってやる代わりに俺達の元で働け。お前の望む力だけの世界。
そしてお前を抑圧してくれる世界で」
 「ジェフ。君に選択の余地はない。これは君の好きな抑圧だ。死ぬか、私達に従うかだ」
 するとジェフは更に瞳を輝かせた。

 「いいんですか?ほんとにいいんですか?」
 「決まりだな」

 オールバックの男がそう言うとシルクハットの男はべレッタをしまった。そして直哉の方を向き手を振った。それは帰れ。つまり仕事終了の合図だった。

 意味の分からない展開に直哉は唖然としていてマフィアの合図をしばらくただ眺めていた。我に返りエンジンをかけて車を発車させ、ホーランドトンネルに入ってもジェフの言動は理解不能だった。

 (でも結局は、マフィア達の思う壺だろうな)

 トンネルのオレンジ色の明かりをぼんやりと見つめながら直哉はそう思った。
投資銀行の社員を引き込めば顧客の個人情報もすぐ手に入るし大儲けできる。しかし、ジェフほどの人間がそんな簡単なマフィアの考えに気付かないはずがない。だとしたらジェフには何か目算があるのだろうか。ジェフの思考を仮想してみたが、直哉にはジェフに対する一つの結末しか浮かばなかった。

 (いらなくなったら殺される)

 それはマフィアが外部の人間を利用する時に使う掟のようなものだった。しかし、そんな事は馬鹿でもわかるような事なのだ。だとしたらジェフはなぜ・・・。

 (それにしても、スペインの件もそうだが、なかなか気持ちよく終る仕事に出会えないな)

 そう思うとなんだかどっと疲れが押し寄せてきたので直哉は頭を運転だけに集中させた。
 トンネルを抜ける寸前に一瞬の眩しさが直哉の瞳を襲った。そのおかげで少しだけ眠気に押され重くなった瞼を上げることができた。

 直哉はわかっていなかった。マフィアや直哉達のように、純粋な力だけで生きる世界に、ほとんどの男が憧れを抱いている事を。
 そしてジェフもその中の一人であったという事にも。彼にとって目の前に現れたマフィアはまるでこのトンネルに現れた光のように自らの目を覚ましてくれる、地よい眩しさを持った存在だったのだ。
 例え彼らについていく事が死に向かっている事だとわかっていても。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。