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小説「素ナイパー」第3話

 母親サーシャ特製のサイレンサーをつけたトカレフTT33から発射される実弾が、15メートル先に横一列で並べられたビールの缶を次々と貫通していく。
 サイレンサーのおかげで火薬が破裂する音はほとんど聞こえない。素人がその姿を見ればエアガンを撃っているようにも見えるだろう。森に住む鳥達でさえも木々に止まり囀りを繰り返している。

 直哉は全ての缶を撃ち終わると銃を下ろしその命中率を確認し硝煙の香りに浸った。森の澄んだ空気と交じり合った火薬の焼けた匂いは子供の頃の厳しい訓練を思い出させる。
 銃に弾を装填しようとすると不用意にも銃身の部分に手をかけてしまった。火薬の熱を吸収した銃身は射撃直後に熱を帯びる。その瞬間火傷を覚悟したが母の手製のサイレンサーは外気と同じ温度を保っていて熱くはなかった。

 森のひんやりとした空気を吸い込むと直哉は特殊カーボンの効力と母の技術の高さに感心した。手に抱かれたトカレフは旧式だがその命中率は80パーセントを超える域に達している。冷戦時代の遺物の旧式の場合は普通50パーセントに満たない命中率だが母が丹精込めて調整した甲斐あって現在のトカレフよりも性能がアップしている。

「これが一番手に馴染むはずよ」

 母は母国産の銃を誇らしげに直哉に託した。最初は無骨な見てくれも相まって最新式の銃を強請った。
 しかし握ってみるとその密着感に驚いた。10数年前の銃だというのに手にした瞬間に吸いつくように馴染んだ。初めから使い込んだ牛皮のような感覚があった。
母はトカレフを渡す時こうも言った。

「あなたのもう一つの故郷の銃よ」

 母が生きたソ連という国はもう存在しない。そのイメージは暗く寒くそしてどこか謀略の香りがした。直哉は自分の身体に半分流れるその国の血をそれまで意識したことはなかった。
 日本で生まれ日本で育った。少し顔が濃いがアイデンテイテイーは日本にあった。しかし旧式のトカレフを手にした時、自分の中の異国の血を意識せざる得なかった。
 もうすぐ冬が来る。森はやがて雪に囲まれ厳しい寒さと共にもう一つの故郷のように世界を白く染めるだろう。その景色の中でもう一度この場所でトカレフを撃った時、自分がどんな感覚に陥るのか。直哉は密かにその瞬間に想いを馳せた。

 沖田家の所有する別荘は、山中湖の林道から断絶された森の中にあった。
直哉も姉も小さい頃から定期的にこの別荘に訪れている。しかし二人とも釣りや登山を家族で楽しむために来た事はない。この山荘は殺し屋の英才教育をするためだけに建てられたものだからだ。

 幼い頃から二人は学校の同級生達がリトルリーグに向かう週末に決まってこの山荘に連れて来られた。銃器の扱いから武道、サバイバル術などありとあらゆるものをここで叩き込まれた。
 小さい二人がそんな週末に疑問を抱かなかったわけではない。直哉は自分もリトルリーグに入りたいと山荘に連れて行こうとする父に泣きながら反抗したし、里香も中学生の時には好きな子とデートすると言ってボイコットした事もあった。
 そんな時、父親の淳也は決して無理強いをしなかった。「そうか。じゃあ行って来い」ととてもあっさりと言った。まるで二人が帰って来る事をわかっているかのように。
 案の定その通りに、直哉も里香も数週間後には山荘に戻って来た。英才教育のおかげで発達した運動能力を手にしていた直哉には同級生の動きがとても緩慢に見え退屈だった。
 里香も何事にも動じないようにと様々な大人のいる場所に早くから連れられていたから一個や二個上の男の子との付き合いは幼稚としか思えなかった。

 もちろんそれぞれに帰りの駄菓子屋でのくだらないおしゃべりの中で生まれる仲間意識や、必死に女子の前で大人振ろうとする未熟な男の行動に少しのトキメキを覚えることもあったがそれらは二人を留まらせるほどの力を持たなかった。

 それに比べて父達の教えには常に刺激があった。殺るか殺られるかの狭間を想定した訓練は厳しかった。しかしそれを越えた時の自分の成長はゆっくり成長する同級生達のそれとは明らかに違ったし、人を殺す道具を持つ興奮は普通の日常では得られがたかった。なによりも二人に流れる脈々と受け継がれてきた殺し屋の血が凡庸な生活を拒んだのだ。

 直哉と里香が訓練に戻りたいと懇願すると父の淳也は何も言わずに訓練を再開た。その時に直哉は父の瞳が悲しげに笑った。それ以来二人は訓練を一度も休んだ事はなかった。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。