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アラフォーOLがキャリアについて振り返る 12

今日も一日お疲れ様です、おうちOLです(`∀’)ノ
のろのろ台風のせいで土曜日は仕事で終わってしまいました。
これも旅行会社あるあるなのではないでしょうか。
お客様の旅行が安全に遂行されるためですので致し方ない状況です。
今日は一日ゆっくりしました。

あ、ワタクシこういう者です👇

今回の記事も私の曲がりくねったキャリアパスを
振り返っていきたいと思います。
適応障害から休職を経て退職、その後ビジネスコミュニティでお勉強代を払って良い経験も苦い経験もした後、晴れてコミュニティを退会した私。

長いですがこちらに変遷をまとめています👇

今回はコミュニティ退会後について
振り返っていきます。


ゲストハウス廃業

そもそも私がビジネスコミュニティに入った目的は、夫婦で立ち上げたゲストハウスを立て直すために何か新しい知識を学ぶことでした。

二人とも家業に専念していては経済的に危うい状況だったので、私は固定収入を得るために会社勤めをしていたのですが、その会社が合わずに適応障害となり退職してしまった後ビジネスコミュニティに、、、という流れでしたね。
(詳しくは過去記事をご参照ください)


Dio様の言う通りかもしれない。
が、私たちは人間をやめませんでした。

コミュニティで良いも悪いも新しい知識を得たとはいえ、すぐに自分たちのビジネスに反映されるわけでもなく。
そりゃあそんなに簡単にV字回復は図れません。

SNSでのマーケティングや
ゲストハウスでの貸しスペース、
イベントを企画したりなど、
できることは試してみましたが
コロナで国内外問わず旅行を制限された状況が
長く続いたのが大変痛かったです。

こんなにコロナの影響が長引いては、
もう持久戦=資金力が物をいいます。
企業と比べて、私たちのような弱小個人経営では
持久戦になると太刀打ちできませんでした。

元々コロナがやってくる前から、
ゲストハウスブームの煽りを受け、
競争相手が増えたことで
経営には苦戦していたので、コロナが来たあとは
ダブルパンチを喰らったも同然です。

持続化給付金を貰っても、その場凌ぎにしかならず
廃業するのは時間の問題、、、という状況。

実は私の父はずっと自営業で会社を経営しており、
私たちの様子を見て、
「早く見切りをつけて廃業したほうがいい」と
コロナがやってきて1年目ぐらいで
助言してくれていました。

しかし、せっかく自分たちで立ち上げた思い入れのあるゲストハウス。
もう何なら主人より私の方が情に入りまくりです。

「もう少し待てば、状況がよくなるかも。」

そうやって、自転車操業さながら耐え忍ぶことを
選んでしまい、コロナ渦も3年を過ぎた頃。
ちょうど、ゲストハウスの火災保険が更新する時期になり、かなり値上げになることと
もう資金も底を突きかけてきたことで
遂に廃業へと遅すぎる舵を切りました。

もちろん、私たちは父からの助言の後
愚策を選んだことは百も承知でした。
でも、愚策を選んででも何としても
ゲストハウスを残す方を選びたかった。
何にしても後悔はしたくなかったというのが
私たちが出した結論です。

実は廃業してすぐに、
日本はインバウンド客を再度受け入れ出したのですが、その頃にはもう自分たちは戦えないぐらい
何も武器は残っていない状態でした。

最後まで喰らいつけたか不明だが、損をしてもできるだけのことはしたと思う。
まあ、最後は諦めて廃業になったんですけどね。

余談ですが、ゲストハウス(テナント)の家賃と、私たちの借家を合わせて
月22万円ぐらい家賃を毎月払っていました。
(家賃だけで、ですよ。)
ある時22万で住めるところを探してみたら、
タワマンとはいかずとも結構良いマンションに
住めてしまうやん!と驚愕し、
ははっ(; ´_ゝ`) フッ
と諦めの境地に陥ったので、廃業も致し方ないと受け入れることができました。


はい、アホですね。
そもそもビジネスとして最初から
成り立っていなかったと思う。
本当ならあっさり見切りをつけて、
早く廃業していたら
こんなに出血しなくて良かったんですけど。
でもでも、自分たちとしては諦めがつくまで
やり切った感はあったので、
もういい事にしてます笑 記憶の改竄

幸いそれなりにゲストハウスの家財・家電には力を入れていたので、メルカリで売ったり、
人に譲ったり、
大家さんに買い取ってもらうことができました。

このようにして、6年超えにも及ぶゲストハウス経営に幕を閉じたのです。

就職活動再開

ゲストハウスから退去した日は流石に泣きました。
がらんどうになったゲストハウスの様子を見ると、
今までやってきたことが思い出されて
悲しいやら懐かしいやら感極まるものです。

しかし、
ずっと悲しんでいても食べてはいけないので
主人は廃業の後片付けをしつつ、輸出物販業を
私は仕事探しを始めました。

私は一度ザ・日本企業で勤務し
適応障害になったことで、
もう日本企業にはマッチしないのだろうと思い、
今度は外資系に絞って探すことにしました。

そして、これまでの経験からやはり
私には観光業界で働くことが一番合っていて、
自分が楽しみながら能力を発揮できる場所なんだろうと改めて気がつくことができたのです。

皆さまお気付きかもしれませんが、観光業界って
安定を求めて入る職種ではありません。
自然災害や、疫病など周りの影響で需要が
左右されて、その都度影響を受けるからです。
一般的には給料が高い職種・業界ではないと言われています。

私もコロナ禍に転職を余儀なくされた時、
もう観光業はやめた方がいいのかもと思ったから
医療機器メーカー/販売の会社に転職しました。

でも体調を崩して本来の自分の能力が発揮できず
自分を抑えてまで合わない会社で働き続けることが
果たして幸せだったのか。

あのまま勤務し続けていたら、観光業界よりかは
高給取りになれたかもしれないけど
自分と家族の時間を楽しむ前にもっと重い病気になっていたかもしれない。

そう考えると、自ずと私が一番好きな旅行手配業務にまた戻ろうと思うまで、そんなに時間はかかりませんでした。

幸い、コロナ前まで勤務していた旅行会社のチームとは個人的にも友好関係が続いており、
採用を始める時は絶対に声をかけると社長からも言われていたので、一旦その旅行会社に雇用を始めたか聞いてみることに。

コロナ禍の終焉と共に、
私の就職活動が始まったのです。


今回はここまでとさせていただきます。
次回も読んでいただけると大変嬉しいです(人´ω`*)
それではまた!



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