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エモいおじさんと、小川洋子さんの本

エモいおじさん

なにもする気になれない土曜日。
予定はないし、積もり積もった「やりたいことリスト」をこなせばいいのに、なぜだか億劫。

天気のせいか、はてまた体調のせいか。
こういうとき、無理しないことにした。

午前中は、
梅雨の間に雑草がかなりの勢力を増してきた我が家の庭を、すこし手入れ。
雑草を抜くと、庭木の間がすっきりとして気持ちいい。
いまはちょうど見頃の紫陽花は、色が変わり始めた花房を剪定した。
庭も手入れをしてみると、
たいしたことではないようでも、
人の手が加わると、加わらないとでは、空気感が違うのがはっきりわかる。

夫と娘は市営プールに行くというので、私だけ留守番をして、
シャワーを浴びた後に、だらだらごろごろ。

本を読もうとか、小説を書こうとか思っても、なぜだかそんな気分ではない。

ノンアルビールを飲みながら、最近YouTubeではまっている、飲食店の人の一日に密着する動画をなんとはなしに探す。

今日は、佐賀の離島にある、ミシュランを獲得した寿司屋さんの動画を見た。


このおじさん、ずっと漁師をやっていたのに、60歳で一念発起し、お店を始めたのだとか。

ぽつりぽつり語るおじさんのストーリーが深すぎて、最後まで観てしまった。

「久兵衛の〇〇さんの酢飯にずっと憧れてた」と、ぼそりというところがすごい。

それでいて、ミシュランの表彰でも普段着で行った話では、
「ふつうでいいのよ。ふつうが一番」と。

おっちゃん、凄すぎる。

これからの時代、
どこで店を開くとか、働くとか、
ほんとに関係なくて、
どこに住んでいても、質の高い、良いエネルギーのものを提供できれば、
人は来てくれるんじゃないかとますます思った。

冒頭で、船着き場で、おじさんが今捕れたばかりの鯛のうろこをはがす場面があるんだけど、
そうそうそう、って思った。

私も、海に囲まれたこの土地に移住してきてから、
海の幸、それも刺身の旨さには脱帽。
関東に住んでいた時たべていた刺身とは、もう別物なんです。

関東でもおそらく捕れたてはおいしいんだろうけど、
それは、わざわざどこかに食べに行かないと無理だった。

こちらでは、ごく当然にスーパーでも美味しいのが買えるし、
庶民の店でも新鮮な魚を出してくれる。
最近では、もうこの味に慣れてしまったし、
刺身が美味しいから、この土地から離れられないとすら思っている。

産地でそのまま採れたて・捕れたてを食べるときの旨さほど、
贅沢なものはないというのが、
ここのところの感想。

きっとおじさんも、
漁師として新鮮な魚を市場に出しているだけじゃ満足できなくて、
自分でも作りたくなったんだろうな。

おじさん自身もそう語ってる場面があった。


ちなみに、昨日「エモい」について書いたけど、
私が感じるエモいは、こんな人↑であったりする点、ちょっと独特かもしれない。

昼寝をしかけたら、夫と娘が帰ってきて、遅めの昼ご飯を食べた。
チキンラーメンに、ゆでたキャベツと卵を落として。


愛すべき変わり者たちーー小川洋子さんの作品


昼食の後、Netflixでドラマ「グラマラス」を少しだけ見た。
女装寄りのゲイのメイクアップアーティストの男の子が主人公で、
プラダを着た悪魔みたいなストーリー。
脚本のセリフがポジティブで、なかなかいい。

でも、それにも飽きて、本棚の整理をしようと思い立つ。

小川洋子の本が積読で集まっていることに気づき、
『いつでも彼らはどこかに』を、立ち読みし始めた。

短編集の一番最初に載っている「帯同馬」を読んで、
「これは……!」となった。

あれ、小川洋子さんてこんな文章だったか、
こんなストーリーだったか、
こんな描写だったか……と。

私の心に、きらりきらりとすべり込んでくる表現が何か所もあった。

「これは……!」と心の中で何度もつぶやいた。

主人公のデモンストレーションガール。
不器用で変わり者だけど、
むしろ共感してしまう女性像。

とあるきっかけで、今はモノレールしか乗れない彼女と、
ディープインパクトと、ピカレスクコート。
そしてビーズのハンドバックのおばさん。

変わり者、ユーモラス。
でもちょっと謎めいたところもある人物たちが、
ストーリーが進んでいくにつれて、からまりあっていく。

山場があり、ちゃんと落ちがあり。

ピカレスクコートに寄せる主人公の想いの描写が、特によかった。
うまいなあと思った。

実は、恥ずかしながら、
川上弘美『真鶴』は60頁で止まったきり、進まない。

どうしてだろう?と分析するに、
ストーリーが単調で、なにかが変化するという要素が少なく、
淡々としているところに、
飽きてしまったようで。

純文学だから、それでも成立するというか、
なにか全体像として表現していくものがあるんだろうけど、
おしむらくは、
今の私は、それだけでは最後まで読めなさそうだということ。

川上弘美さんと、小川洋子さんを並べてみたら、
まず、あらためて、
文章が全然違うってことが明確になった。

文体が違うし、
温度や質感も全然違う、
世界観も違う。

小川洋子さんは、人が良いんだよね。
必要があって『博士の愛した数式』を昨年読み直した時もそうだったけど、
なんか愛があるんだよね。
暖かいというか。

たいてい、癖のある変わった人たちが登場するのだけど、
愛すべき人たちとして描かれている。
そこに人間への愛がある気がすると、今回あらためて感じました。

川上弘美さんのタッチは、もっと冷たくて、淡淡している気がする。
すべすべした絹の布の、冷たい触り心地みたいな。
それに登場人物の輪郭が、もっとぶよぶよしている。
人間の肉体と心と存在とが、不思議な質感というか。
ゴムっぽいというか。
なぜか、擬音語が多くなるのも、
川上さんの世界が内田百閒的な不思議世界だからだろうなあ。

その点、小川さんのほうがまだ人間らしいというか、
実際に現実世界に存在するリアリティがある。
実際に、読者が生活している世界の中にも、
こういう人もいるかもね、と思えるリアリティが担保されている。

改めて読むと、
小川さんは、描写がとても丁寧で親切で、
ディテールも丁寧に書き込まれているのと、
そのアイテムの演出や組み合わせが、
寓意的というか、象徴的なので、
村上春樹と似ているところを感じた。

そういえば、
村上春樹も、小川さんも、河合隼雄と対談本を出している。


色々書いたけど、
そもそもの目的が、
「小説執筆のための目標となる女性作家を探す」ことだったので、
こうして四人の女性作家中、
とりあえず、
小川洋子さんは残す……と判断が決まりました。


江國香織さんの小説も読んでるんだけど、
やはり川上弘美さんと似たように、
途中でストップしているあたり、あまり合わないのかもしれない。

すると、残るは、
吉本ばななさんを再読して、確認だなあ。







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