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【エッセイ】才能と努力、それは絶望と希望。僕は希望を信じたい。

2021/3/8

 才能という言葉が憎い。自分になんの才能もないからだ。小説を書く才能が欲しかった。読んだ人の心に深く刺さるような言葉を、物語を紡げる才能が欲しかった。

 僕の大好きな村上春樹がエッセイの中で、小説を書くために必要なものとして才能・集中力・持続力の3つを挙げている。
 作家になるための大前提として才能が必要なのだ。集中力と持続力は後天的に訓練によってある程度は身につけられるかもしれない。しかし、才能ばかりはどうにもならない。

 人間は与えられた場所で花を咲かさないといけないのだろうか。植物と一緒で植えられた場所でしか花を咲かすことができないのだろうか。
 薔薇になりたかった朝顔はどうしたらいいんだろう。薔薇になってローズアーチを形作りたかったのに、自分は朝顔として小学1年生の夏休みの宿題で鉢植えに植えられている。そこで花を咲かさないといけない。僕はそんな気分だ。

 「努力は嘘をつかない」、「すべての努力は報われる」。そんな言葉たちにすがってみたこともある。
 でも、それらの言葉はみんな成功者が発した言葉たちで、みんな才能の上に努力を重ねて成功したのだと思う。そう考えると虚しくなった。
 才能という土台がない中での努力は全てが無駄なのだろうか。僕にはわからない。

 昨年の夏以降、僕は小説を書いてきた。新人賞に応募する用の中編、noteに掲載して感想やアドバイスをもらうための短編。いろんな物語を書いてきた。
 ずっとずっと小説のことだけを考えて生活を送ってきた。自分としては精一杯の努力をしているつもりだった。
 それでも結果はついてこない。僕は小説家になれなかった。今もなにものでもないただの無名の人間だ。

 一方で、世界のホームラン王、王貞治はこんな言葉を言っている。
「努力は必ず報われる。 もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
 とても厳しい言葉だ。それでも僕はこの言葉に一筋の光を感じた。僕は努力が足りていないのだろうか。それとも才能がないのだろうか。僕が夢を叶えられない理由がどちらにあるのか、僕にはわからない。

 それでも、僕は王貞治の言葉を信じたい。才能なんて目に見えないものではなく、努力という目に見えるものを信じたい。
 だから僕は今日も文章を書いている。後天的な努力というもので、先天的な才能というものを凌駕するために。

 それではみなさん、良い一日を。

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