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チカムリオ(その⑨)

「では、あのときどうしても見ることのできなかった、僕の未来の続きもあり得るというのですか?僕は何となく自分の未来があれ以上ないと・・・つまり、寿命があそこまでだと思っていたのですが」

紳士は微笑を浮かべた。その口元がバックミラーに映っている。

「ふふ、そんなことを心配していたのかね。まあ、自分の未来の一部を垣間見るという不思議な体験をすれば、誰しもそのとき見た通りの生き方をしてしまうものだろうよ。しかしあのとき言っておいたはずだがね。続きは後のお楽しみだと」 

ふと気がつくと、窓の外には3人の小学生が並んでいた。随分子供っぽいじゃないか。
 私は少年の頃の自分を見てそう感じた。そして私の傍には、幼い頃のキヨシとユミが立っている。私は懐かしさに胸が熱くなった。

窓の外に展開する光景は、まるで遠い過去の記憶を思いだしているかのように、ぼんやりとセピア色がかっている。

彼ら・・は、古びた洋館の中を通る、秘密の小径を歩いていた。

ユミが何かを拾って僕たちに見せている。そう、それはあの、紫色に光る不思議な切符だった。

『そうだった。すべてはあの時から始まったんだ。あの切符を拾った時から』 

老紳士が運転席のパネルに並ぶスイッチを慣れた手つきで操作した。

「ヴーン・・・」

地の底から聞こえてくるような低い音が響き、座席横のウインドウから見える光景がめまぐるしく変化し始めた。そして次の瞬間、そこには無数の星々が映し出されていた。

「これは?凄い、まるで自動車が宇宙空間を飛んでいるみたいだ」

思い出した。あのときも幼かった僕達の目の前を、太陽系の星々や、銀河系宇宙の星たちが通り過ぎていったのだ。

「この先には君も知っている宇宙の特異点がある。そして、チカムリオへと続く道が待ち受けているのだよ」

六 

キヨシの人生
キヨシは“あの時”に見た未来と違って、結局ユミと結婚できなかった。
 彼は一流大学に合格したが、学者にはならず、自分の力を試すため実業家を目指した。そして紆余曲折の末、ドラッグストアのチェーン展開に成功、次々と店舗数を増やしていった。

事業が成功し、会社の規模が拡大すると、そこには次のステップが待っていた。何者かに駆り立てられるように、キヨシは走り続けた。
 けれども、どこまで突き進んでも達成感を得ることはなかった。
 しかも、精神的疲労に比例するかのように、彼の心には空しさが広がっていった。

いつの間にか、キヨシは大切な何かをどこかに置き去りにしてしまったのかもしれない。気がつけば、最愛の人もすでに彼の元を去っていた。

今や彼の心は常に渇き、孤独の悲鳴を上げ続けていた・・・。 

「社長、今月時点で、売り上げ、利益共に過去最高となりました。今年度の通期見通しを大幅に上方修正することになります。」

「・・・そうか、よくやった。あとは私が引き受けよう。君はもう帰っていいぞ」

誰もいないオフィス。トイレに立ったキヨシは、ふと立ち止まって鏡の中の自分を見つめた。もともと頬がこけた蒼白な顔が、さらにやつれて見えた。

『そういえばこのところ徹夜続きだな』

 デスクに戻り、目の前に置かれた封筒に視線を落とした。
 それは、ずいぶん長い間会っていなかった幼馴染からの手紙だった。

『・・・あそこへ行くって?あいつ、まだそんなこと考えてたのか。相変わらず進歩のない男だ。昔の夢をずっと引きずってやがる』
 ふと、キヨシの表情が和らぎ、遠くを見るような目つきになった。

『・・・チカムリオか』

ユミの人生
タクシーの窓から見えたように、ユミはキヨシと付き合ったが、大人になってしばらくしてから別れてしまった。
 彼と一緒にいると疲れるようになったのだ。
 2人で過ごした時が少し長すぎたのだろうか?それとも、互いの求めるものが、少しずつ違ってきたのか?
 それぞれが別々に羽ばたく時がやってきたのかもしれない。
 ユミはそう考えた。

キヨシと別れたあと、ユミは職場で知り合った男性と結婚し、ごく普通の家庭を築いた。娘も一人生まれて、落ち着いた日々を過ごしていた。

そんなある日、いきなりキヨシからメールが届いてびっくりした。彼からは、もう何年も音信が無かったからだ。メールには、坂の上公園で待つと記されていた。

『なんだって今頃あそこへ?一体全体、何があったっていうのかしら』

ユミは気が進まなかった。まさかよりを戻そうとしているわけじゃ?

彼女とて、今の生活に心から満足しているわけではない。何かが足りない。このまま安穏な生活を続けていいのだろうかという、焦燥感にとらわれることがしばしばあった。

今の夫は優しさがとりえの平凡な人物だ。そのことに不満があるわけではない。しかも、こんなに可愛い娘を授かったのだ。

「・・・ママ、ママったら」

「・・・え?あ、呼んだ?」

「ねえママ、これ何か知ってる?」

娘は右の手のひらを上に向けて差し出した。
 何も乗っていない、可愛らしい手のひら。

「え?何が?」

「ママ、ちゃんと見てよ。ほら」

「・・・え?・・・あ、それは!」

それは一瞬、蜃気楼のようにゆらめき、やがて実体化した。

娘の手のひらの上に乗っていたのは一枚の紫色の切符だった。

「あ、あなた、これをどこで?」

「綺麗でしょママ。これ、アキラ君の家の裏にある、ヒミツの抜け道で拾ったの」

「・・・」

「バスか何かの切符みたいなんだけど、行き先のところが何て書いてあるのか、よくわかんないの」

自分の声が震えないようにするには、かなりの精神力を必要とした。
 けれども彼女は努めて冷静に話そうとしたし、たぶんそれは成功したようだった。

「これはね。“チカムリオ行き”って書いてあるのよ」

「すっごーい!ママって何でも知ってるのね」

『・・・ずっと長い間忘れてたわ。あのときの切符も、こんなに綺麗だったのね』

鳥の羽のように薄くて軽いけれど絶対に破れない。それを手にする者の心次第で、見えたり見えなかったりする不思議な切符。

ユミの娘には、母親が気づかなかった切符が見えていたのだ。

きっと今のユミであれば、それを見過ごしていたに違いなかった。

『チカムリオ・・・』

ユミもまた、過ぎし日の記憶を鮮明に思い出していた。少女から大人になり、やがて結婚して日々の暮らしに追われるまま、いつしか心の片隅に置き去りにしていた大切な思い出を。

「・・・ちゃん、お母さん、明日の朝少し早く出かけなきゃならない用事ができたの。ひとりで朝ごはん食べられるでしょ、もう大きいんだものね」

ユミは決心した。自分もあそこへ行ってみよう。
 行けば、忘れていた何かを思い出せるかもしれない。
 そして、この先、何をすべきかがわかるかもしれない。

(続く)

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