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走ることは総合芸術なり〜ほんとうのランニング/マイク・スピーノ

とある統計によると、ランニングを習慣にしている人は約1000万人弱だとか。
自分も朝方走っていると、結構な頻度でランナーに出くわします。
他にも、公園でラジオ体操や太極拳をやってる人だったり、公園の遊具を使って筋トレしてる人がいたり。

当事者にならないと、なんで朝の眠たい時間からそんなに頑張るのという感想を持たれてしまいそうですが、実は(個人的にかもしれませんが)頑張っているという感覚はほとんどありません。
自分は、起床して間髪入れずにさあ行くか、と着替えて外に出て走り出します。本当は準備運動なりストレッチをしたりした方が良いのかもしれませんが、時短のため、ゆっくりと走り出して徐々に体をあっためてくという感じです。

さて、市民ランナーの皆さんは普段どのように走られているでしょうか?
自分はこれまで、音楽を聴いたりaudiobookで情報をインプットしながら、一定速度で走り続けるというのを数年間続けてきました。
ランニングをすることの目的が日々のパフォーマンスの向上であったり健康維持が第一であるため、これで特に不満は不具合はありませんでした。

でも、本書を読み、少し普段の走り方に変化があったのでここに記しておきたいと思います。
ちなみに、ランニングをしようかなと思ってる方はディグトリオというpodcast番組のランニング回を是非聴いてみてください。発信者自身が神回(?)とおっしゃってましたが、ランニングを健康維持活動というフェーズから一気にライフスタイルまで押し上げてくれるような内容になっていて、これからランニング始めてみようかなと思っている人も、これまで習慣的に走ってきた人も、気づきの多い内容になっています。

ランニングではワンペース、ワンリズム式のコンディショニングは有効であはありません

自分の習慣があまりにも鮮やかに切られてしまいましたw
にしても、競技として中長距離をしている方でなければ、ワンペースでのジョギング、ランニングが習慣になっている人も多いのではないでしょうか?
自分が朝にランニングしている時にすれ違う人々を観察してみても、ワンペースで走られてる人が多い印象です。

実際に一人で走っていると、苦しい思いをしたくないですし、強制力も働かないのでどうしても強度の高いトレーニングは避けてしまいがち。
ただ、本書を読んでいるとこの主張は「ただ、きついトレーニングをしなさい」という意味ではないことにも気づきます。

まずはあまり拘らずに、ゆっくりからペースを上げて、というランニングで体と気持ちに起きる変化を観察してみてはいかがでしょうか?

ランニングによる内なる世界の探求

50年も前の書籍に、すでに今のマインドフルネスに通じるような記載があったことに正直驚いています。
著者のスピーノさんは、ランニングを1競技や1運動習慣ではなく、ライフスタイル、総合芸術だという趣旨のことを繰り返し述べています。

その中で、瞑想とランニングとを融合させることも説いています。
具体的なやり方の詳細は本書に譲りますが、まずは、朝晩5分の瞑想から始めてみて、次はランニング中の思考の移り変わりを観察してみましょう。

自分も、少し前からランニングとは別に瞑想の習慣を取り入れています。
いわゆる呼吸瞑想というやつで、静かな場所に座り、呼吸に意識を向ける。
雑念が湧き、そちらに意識を持って行かれたら、それに気づいて再度呼吸に意識を戻すというものです。

これは、言い換えると一つのことに意識を向け続ける訓練ともいえます。
ランニングは、音楽を聴いたりしてなければ否応なしに身体感覚に意識が持っていかれます。
そういう意味では、「矯正瞑想行動」とも言えるかもしれません。
自分は歩行瞑想と同じく、ランニングときの足の感覚に注意を向けて歩数を数えるというのを繰り返していますが、確かに、瞑想に近い効果があるように感じています。

ランニングという運動を一歩引いてみたい方、ランニングを再定義したい方におすすめの一冊です。

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